ベロニカ学習帳。

文京なんちゃらのなれの果て

とりとめもなく、つらつらと書く20年の私的なこと

いやーなんかアホのように自分が書いたテキストサイトとかなんとかの過去ログを読み漁ってしまったわ。理由もきっかけも、あるにはあるが、その理由やきっかけはずいぶん前に自分に起こったことであり、なんで今更になって過去を繙くことになったのかっつうと、この新型コロナウイルス問題で時間ができたからである。

時間がね!

できたのよ!

仕事がいくつも飛びまくり、子供たちは少し手を離れ、今の私は久々に少し自由。とはいえ、遊びにゃいけないし、仕方ないので、目を逸らし続けてきた自分の過去に、向き合おうかなーなんて、いや、そんな大層なことでもないか。

仕事仲間と新型コロナのこと話してた時、2020年には大きな変革があるってずいぶん前から言われてたけど、まさかこんなことだったとは、と彼女は言った。確かに聞いたことがあった、人々の価値観とか意識がガラリと変わっていく2020年説。言うてもそう簡単に価値観や意識なんて変わらないだろうと思っていたけれど、ここまで大きな世界的な問題に苛まれるとくれば、そりゃあ人間、変わっていくはずだ。

それを言うと、私がテキストサイトなんてものを夢中でやっていたちょうど20年前の2000年も、なんだか変革の年だった気がする。少なくとも私の人生、ここで大きく転換してた。どうしたって、人生の岐路と言わざるをえない年だった。

そういえば昨年、20年前に別れた――つまり変革前に付き合っていた男から、突然メールが来たのだよね。最悪な終わり方をした恋人だというのに、懐かしいと思ってメールをするくらいの時間が流れたのですね。最悪な終わり方というのは、私が自分の変化についていけてなくて、うまく伝えられなかった結果なのだと今ならわかる。冷静に思えば、ちゃんと私の恋が冷めた瞬間というのは実ははっきりとあって、それはあの人ともあの人とも出会う前の話で、私は冷めた時にそれを伝えて別れていなければいけなかったのだ。それを言い出せないうちに、私は私の人生を変えかねない複数の人たちと立て続けに出会ってしまい、物理的に彼と離れている間に、何かが動き始めてしまった。そうして完全に私が変わってしまったあとで、別れを告げたものだから、まあ平たく言えば、さんざん浮気をした挙句、別の男に乗り換えた…みたいな…うわー平たく言ってしまうと最悪だな20年前の私☆

その因果に対する応報も私は結構ちゃんと受けてきていると思っていて、痛い苦しいことも多々あった20年。その挙句、今は修行僧のような恋をしているよ。修行僧が恋をするのかどうかは、知らんけど。うん、でもまあ。結婚しても子供いても、気持ちとしては、恋はするよ。たぶんずっと、するよ。でも、修行僧だからね。相手はもはや、人間じゃないかもしれないね。

小説も、すっかり書かなくなって久しいのだけれど。これも単に時間がないからであって、息子が生まれてからかれこれ10年、書いては投げ、書いては投げしてきた欠片はいっぱいある。今、書きたい気持ちも、ネタも、揃ってる。過去ログと一緒に、自分が過去に書いた小説も読んでみたけど、上手いなお前。んで、結構おもしろいな。と、素直に驚ける私がいた。小説を書きたい機運が高まってるところへ、時間ができた。転機って、きっとそういうもの。

20年前の今頃、私はたぶんワクワクしていたけれど、2020年3月30日現在は、まだまだ、世の中がどうなっていくかわからない。でも、そう遠くない未来に、きっと何かが変わっていくだろうという、悪くない感じの予感はある。あ、こういうのワクワクっていうんだっけね。