ベロニカ学習帳。

文京なんちゃらのなれの果て

ゆる受験、それからどうした

Pが「うちの学校に頭いいと思える人なんていない」などと言いだした。「話が合わない」と。

まあPはいわゆる地頭は良い子だとは思う。それで、受験勉強をあまりしなくてもそこそこの偏差値で、必死にならないまま、そこそこの中学に進学した。
もちろん、必死に勉強しなくても御三家などの超難関校とかにひょいっと入れちゃう子もいるので(実際Pの友人にいる)(で、なぜかそういうレベルの子が結構いる小学校だった)、さすがに自分の地頭がそこまでは及ばないというのは本人もわかっている様子。

まあそんな天井がない違う次元の話は別として、一般的には地頭+勉強量で偏差値が決まるのであろうから、本人も勉強をもっとすればもう少し違う学校に行けたというのはわかっているはず。じゃあ勉強すればよかったじゃない、といってもその当時のPにはフォートナイトとスプラトゥーンのほうが大事で、全然言う事きかなかったのだから仕方ない。
公立中に進んでいれば今頃覚醒していたのかな?とは思う。でも正直、現時点の様子を見て、こりゃ勉強はできても内申点が取れるタイプではないのは明らか。昨日、幼稚園同級生のママと久々に会って公立からの高校受験の現実について聞いたけれど、マジで思っていた以上に内申システムがひどい。あれを聞く限り、公立に進んでいたらPは結局思うような高校入試ができず、なんなら今行ってる学校に高校から入るみたいな展開にはなりそうな気がする(偏差値60~65くらい)。だったら中学からホームステイとか体験できたこのルートでいいじゃん?とは思う。
まあ本人もいろいろ文句を言いながら、最後は「大学は自分にあったレベルのところに入ればいいのだ」と何かしら決意を見せており、そういった方向にモチベーションが働くならそれはそれで、ぜひ頑張ってくださいと思う。
で。Pは良いとして、今まさに「ゆる受験」で受験生の世界に片足だけ突っ込みながら小学校生活をエンジョイしているQさん。
Pと比べるとQはまだ内申取れそうなタイプだし、だから公立でもいいと以前は思っていたのだが、地元の公立の現状を色々聞くにつれ敬遠したくなる要素が多く(昔みたいにわかりやすいヤンキーとかはいないけど…みたいな話を多々聞いているし、もうすでに悪い友達予備軍みたいなのがいる)。また地頭でいうとQも悪くはないけれどPほどではない感じもあり、中3でお勉強覚醒するかどうかもわからない。
実はQが入りたい学校は私も気に入っており、伝統も立地も設備も部活も進学実績も、もちろん校風というか生徒の様子や先生と話をしても、どれをとっても好印象というか他と比べても断然こっちのほうがいいと思えるのに、なんでか偏差値が異様に低い。だから勉強しなくてもQはずっとA判定で、そのせいで本人もちょっと受験を舐めているし、私も「必死にならんでもゆる受験でいいじゃろ」と思ってしまうところはある。
とはいっても女子校人気は復活してるし、「実際はそこまで簡単じゃないですよ…」とも塾からは言われており。まあ中学受験にもいろいろなカラクリがあるのよね。伝統があって立地も良くて設備も充実していて部活も強くて有名となれば、偏差値で選ぶ受験ばかりではないので、いろんな目的でその学校を選ぶ子がいる。その中にはとても優秀な子もいるから、進学実績もそこそこになる。
幅広い層の生徒がいるから、同じくらいのレベルで話ができる友達も絶対にいると思う…のだけれど…Pのせいでその自信が揺らいできた…という現在。
とはいってもね、今さらゆる受験からガチ沼受験に切り替えますというのも難しいのでね!この路線で行くしかないわなあ。

手に入れてはなくしてを繰り返す

住んでるマンションが10年に一度の大規模修繕中なのじゃ。

ここで我々が大規模修繕を経験するのも2回目。前回はぴったり10年前なのかわからないけれど、頃合いから考えて、子供が小さかったしなんやかんやベランダというものを洗濯物干す以外にほとんど利用していなかった…のかな。そんなに困った記憶がないのだけれど。

あれから子供たちとベランダで植物を育てるようになったり、コロナ禍をきっかけに時々ベランダごはんを楽しんだりと、なんだかんだいつのまにかベランダに物が増えた。だのに、大規模修繕中はベランダにものを置くなという。

いや無理ー!ただでさえ家の中にもモノがあふれてるのに、これ以上どこに入れるの。

と叫んだところで今月中にベランダをキレイにしないといけないらしいので、悩んだあげく、いろんなものを処分することになった。まあ、処分しようと思って分別してみると、別にいらないというか、そもそも屋外に放置しているものなのだから、そんな後生大事に取っておかなくてもよいものが大半だったりすることにも気づいたりしながら、少しずつベランダのものが減っていっている今日この頃。

だけど大規模修繕が終わったら、また綺麗になったベランダで何かやりたくなって、ものが増えるんだろう。そしてまた10年くらい経って「え、これ処分するの?」ってなるんだろう。

それでもまあいいかな、こういうのも代謝というのかな。と思ったりする傍らで、今ちょっとエコとかサスティナビリティとかについて真剣に学んだりしているところなのもあって、どうにも都会的な暮らしとエコな暮らしって相容れない部分があるな、と気付いてしまう。(たぶん私以外みんな知ってた)

はっきりいって、私は都会に住みたくて選択的に住んでいる。デメリットもわかっている。でもやっぱりメリットのほうがずっとずっと大きいと思っているからこそ。だけど、年齢のせいなのか、時代のせいなのか、何か心の求めるものが都会から離れていっているような気がしなくもない。リモートワークが生活の中心になったせいかもしれないけれど、それよりも、これからはいよいよ本格的に小商いの時代がくるのかもしれないなあとボンヤリ考えたりすることも増えて、人の多いところだからこそ小商いが成り立つんじゃないか、いや人の少ないところでも成り立つものこそが地域に根ざした小商いと言えるんじゃないか、みたいなことも考えだして、はあ、わけがわからなくなっている。

だからといって漠然と田舎に憧れるみたいな、そういうのではなく、つーかやっぱり基本的に田舎暮らしはしたくないわけよ、みたいな気持ちが捨てられない。ド田舎ではないけれど、郊外というよりはちょっと田舎で生まれ育った私には、田舎の生活がどんなものかはわかる。今は昔ほど不便じゃないとはいえ、公共交通機関も先細りだし(あでも地元に根ざしていれば別にいいのか)。

まあ全然話がまとまらない方向に行きそうなのでそろそろやめておくけど、ようは人間変わっていくんだけど、どうしたって変わらない部分もあって困っちゃうという話だよ。

49歳になりました。

今月はPもQも修学旅行に行ったりしちゃって、なかなか非日常感味わってます。そして二人の成長も身にしみて実感する日々。『小学生と中学生の母』でいるのも、今年度限りなのだなあ。

そんな私も誕生日を迎え49歳になりました。といっても45歳になったときから「四捨五入したら50歳だ~」と思っているので、まだ49歳!感もある。ここにも9ボーダー。いよいよ老後の算段などをしたい年ごろになってまいりました。
そんでまた岡崎体育さんの話だけど、実現したいことをどんどん口にしていく彼の姿勢を見習いたいというのを本当に思っていて、でもそれってすごくむっずかしい。チケット余ってます、絶対楽しませるから来てください!ってアーティスト自らが呼びかけたってことで話題になったけれど、これ本当に勇気のいること。なぜなら失敗は怖い。彼は結果的に、ほぼチケットを売り切り、来場したお客さんを本当に楽しませたから成功しているわけだけど、そこまで声をかけてもチケットが全然売れない人もいる、なんとか売っても、来たお客さんが不満を持つかもしれない。そういうのが怖いから、なんとなく一歩引いてしまう。

私も若いころは無鉄砲だったので、30までに作家デビューするとか豪語してたけど(結果的に実現はしなかったけど、ぽろぽろお仕事が来ることもあったのだから、やっぱり豪語することには意味がある)。自主製作本をつくってあちこち必死に売りにいったのも、すっかり遠い昔のような気がする。…いや、今もハーブティーを作って売り歩いたり、イベント主催して人の作品も預かって売ったりしている。けれど、「絶対おいしいから飲んで」「絶対楽しいからイベント来て」と言うのは、やっぱり怖い。人の受け止め方がさまざまであることをネット社会であまりに学びすぎてしまったし、年をとってますます無難を選びがちにもなっている。

でも最近思う。「私、こんな人間だったっけ?」と。

たぶん本来は、ここまで保守的ではなかったはず。子育てをする中で、自分よりも子を優先する生活に慣れすぎたのかな。守るものが大きいと、そりゃ保守的にもなる。でも、子供たちがだいぶ大きくなったから、今また自分を取り戻しつつあるのかな。

長々と書いたけれど、50歳という節目まであと1年というところで、ここのところ抱えていた「やりたいこと」を書いておこうと思う。

・自分で育てたハーブを加工して販売する方向にシフトしたい
・そのために母の畑を受け継いで農作について学びたい
・そんなら加工所と販売拠点も千葉に作ってまえ
・子供が独立するころには2拠点生活を始めたい
・小説も年1本くらい書きたい
・音楽も学びなおして50代主婦ボカロPババアになりたい
・そんなこんなの実現のために60歳までにある程度資産を作りたい

やべ書き出したら強欲すぎて止まらーん。でも、ここ何年か年頭に書いてきた今年の抱負とかと比べて、ビジョンが具体的になった。なんか霧が晴れたような。でも実はずっと考えてはいたことを明文化しただけのような。

気まぐれなので考えは変わるかもしれないし、やっぱり無理ってなるかもしれないけど、とりあえず今やりたいという気持ちだけは大切に。と思った。ここまで具体的だと、そのために今やるべきことも見えてくる。

そんで開業届を出して来年で丸10年になる(事業を始めたのは2012年だけど、その後すぐ妊娠が判明したりもして届出してなかった)。最近ちょっと活動を抑えめにしてたけど(Qの中学受験とかもあるため)、やっぱり飛躍しなきゃだめかも!と思ったりする。

はーなんかやりたいことは一丁前にたくさんあるんだな。今はとにかく、自分の気持ちを大切にしよう。

岡崎体育さんと私

岡崎体育さんにどっぷりハマってしまった。しまいましたよ。「えぇぇ、どうしよう…」となんでか自分でも動揺するほどに。
そもそも彼を知ったのは、MUSIC VIDEOがバズったときから認識はしていたのだが、それよりも子供らが観ていたポケモン(うちの子たちはあんまりアニメを観ずに育ってしまい、ポケモンを観ていたのも本当にごくわずかな期間)でエンディングで流れていた「ポーズ」という曲がなかなかいいしこの人の声好きだわー、と思っていたらそれが岡崎体育だった…というのが最初かな。当時は「あー、あのYoutubeの人」という感じで認識(Youtubeの人じゃなかった)。
以来、まあ好意的な目で応援してますよ、ぐらいの距離感でずっと心の中に留まっていた。Twitterでフォローぐらいはしていたものの、それ以上深掘りすることは特にないまま数年が経過。ただ、私がなんとなく岡崎体育好きらしいことは子どもも認識していたのだね。Pが小6のとき「お母さん、岡崎体育の新曲がすごくいいんだけど」と教えてくれて、実は私もその時点で既に聴いていたのだけれど、そこで改めて子供たちと一緒にMV観て親子みんなでズキューンときてしまったのが「おっさん」だった。

そこからはもう、どんどん古い曲へ遡って色々聴くようになり、最初は単に天才肌の人なのかな、等と思っていたのだけれど、どうにも違う。その大きな躰に見合った心の広さと音楽的(あるいは教養的)な引き出しの多さ。いいね、と思った。でも今にして思えば、このころは特に誰に語るでもなくひっそりと好きでいられる程度の沼だった。たぶん片足突っ込んだくらい。
そして、コロナ禍がちょっと収まり、Pが中学生になってQも小学校高学年になって、だんだん私も古くからの友達と会ったりする機会が増えた。カラオケで岡崎体育を歌って、身近な人には私の体育好きをカミングアウトした。「好き」と声に出して言ったとたん、もっと好きになる現象の発動。
ライブには以前から行ってみたいとずっと思っていたけれど、何かと予定が重なる日ばっかりで全然機会に恵まれず、ようやく初めて行けたのが2023年のJAPAN TOUR IIだった。東京公演が日程的にどうしても行けず、初日の横浜。Yokohama Bay Hallは程よい距離感でちゃんと大きく見えて、お見送りつきだったのも良かった。ここからまたちょっと深掘りが進んで、少し見えてくるようになったのが、カラダの大きさに比例するような心の広さと引き出しの多さ。そしてその割に案外低めの自己肯定感、だからこそ持ち合わせている謙虚さとハングリー精神。このあたりが分かってきた時点で、もう一段深い沼にハマったと思う。それでも足首くらいまで浸かったレベルかな。でも沼って足首までハマると、もう簡単には抜けられないんよ…
そんな中、Zepp Tour 2024。Qも一緒に行きたいというので(本当はJAPAN TOUR IIも行きたがったけど、そんなに大きくないハコだしスタンディングだし小学生の初ライブとしては険しいかなと思って友人と行った。蓋をあけてみればお子様も結構いて全然大丈夫そうだったけど)Zeppなら2階席が良いでしょうと、先行で東京の2階席に申し込んだが抽選ハズレ撃沈…。一般発売始まって割とすぐにもう一度チャレンジしようと思ったのだが、東京の2階席はソールドアウトで、悩んだすえ横浜の2階席をぎりぎりでゲット(最後列だった)。私は横浜でしか岡崎体育を観れないという法則が発動。遠いよ…
とにもかくにもこのライブ、そしてそれに先駆けてリリースされた配信EPの「Suplex」も、そのリード曲としてMVが公開された「失恋ソング」も、全部がとてもとてもとても良かったので、帰りにはQと二人で「これは絶対グッズも買わなきゃ!!!!!」と2階席の最後列から早々に席を立って物販に並び、てっくんパペット他をゲットして気づいたら散財していたという流れ。箍が外れたんだね。もう自分が行くことができないツアーの地方公演チケットの売れ行きを心配し、あーもう私もなんとかして地方公演に行きたい!とカレンダーと睨めっこしたり(そんで全然予定合わない)しながらネット手売りを頑張ってる姿を見守り、福岡公演のチケットが最後カウントダウン状態で1枚ずつ売れていく様を固唾を飲んで見守り、「完売」の文字を見た瞬間、陥落してファンクラブに入会。
これまでの人生でもいろいろなアーティストにハマってきたけれど、ファンクラブというのは私の思う好きな気持ちや応援したい気持ちとはズレがあると感じていて、ファンクラブ特典の文字を指くわえて見ながらも、そこに入るのは頑なに避けてきた私が。なんだこれ。なんでこんなにはまってるのかわからない。でも、好きと思ったとしてもとりあえず一歩引いてしまう自分を、何かこう、つき動かしてしまう熱さがあるんだよ、この人。
とにもかくにも気が付いたら頭までずぶずぶと沼にハマっていたという報告です。人間50くらいになっても、まだまだ初めてのことっていくらでも体験できるんだな~と思います。人生楽しいわ。

リミット解除してしまえ

で、私の話。

基本働くのは嫌いじゃないというか、社会の一員として居る事は案外好きみたいで、めんどいめんどい言いながらも割とずっと何かしらの仕事はやってきた。といってもここ20年ちかくは、子育てをメインにとか、個人事業と両立とかもあって、扶養範囲を超えないように調整しながら。
でも、そんな調整をめんどいと感じるようになった。ので、もう扶養外れちゃお!と、自分にかけていたリミットを解除する決意をした。今すぐにフルタイムってことはないけど、とりあえず、現状週20時間で稼働しているものを、週30時間まで増やすことにした。
もちろん、まだまだ子供のことで時間をとられることは多いし(少なくとも中受はあるし)、ハーブのお仕事も辞めるつもりはなく、融通をきかせてもらいながらの週30時間になるから、なかなか大変ではあるかな?とも思う。でも、個人事業をはじめて12年、フルやらパートやらいろいろあるけど、やっぱり働きながらも個人事業をしている素敵な方々はたくさんいて、見てたら「両方がんばっちゃっても別にいいのでは?」とも思えるようになった。
個人事業に集中したい気持ちがなくなったわけではない、のだけれど。毎度毎度食品を扱うデリケートさに神経を尖らせ、次々出てくる厄介な法制度に振り回され、時々ちょっと面倒なお客様に絡まれ、とかしていたら、(もちろんそんなマイナス要素を軽く乗り超えるくらいのプラスが返ってくる、すごく楽しい仕事ではあるというのは大前提としても)これ一本に集中したらちょっと心がしんどくなる時がくるだろな、というのは正直思う。「いつか法人化」とか「いつかは店を持つ」とか、以前は結構本気で計画を立てていたのだけれど、こちらの方面の人脈が広がっていくにつれ、マジで経営者の皆さんってすごいハート強いんだなと年々思うようにもなった(これには、良い意味もすごくあるけど、悪い意味も多少ある)。私は個人的に商売をすることや、人にものを売ったりすることはできるけれど、経営者になることに対しては、覚悟ができないかもしれないなぁと。まあ、現実の落としどころが見えてきたのかもしれない。
まあそんなこんな、たんにポジティブな要素だけでなくネガティブな要素もあるけど、改めて自分を理解した結果、今までは、子育て:個人事業:お勤めを、6:3:1くらいでやってきたものを、今年度は5:2:3くらいの割合に持っていって、さらにQが中学生になる来年度からは、3:2:5くらいに切り替えてもいいのかな。と今は思っている(こうして数字にしてみて気付いたけど、個人事業の割合が激減するわけではないんだな)。まあ、いつまで続くかわからないけれど、とりあえず必要とされている間は今の会社に何かしら貢献できたらいいなと。

そんな感じ。まあ、がんばってみましょう。

最高学年

Pは中3、Qは小6。ともにそれぞれの学校で最高学年となりました。
まあ、順当にいけば3年後にも同じようなことを言うわけですが。

Pは中2の終わりに突然運動部に入部して、「もっと早くからやっておけばよかった。なんでもっと強く運動部に入れって薦めてくれなかったの」などとものすごく勝手なことを言いながら部活マンとなっている。とりあえず今年度も成績順の選抜クラスには残留したけど(毎年入れ替えがある)、部活との両立は大丈夫なのかというのは少し不安。
とはいえせっかく高校受験を回避できる立場にいるのだから、まあ思う存分青春してくれればいいよ…と思っている。

Qは心配だった子とはクラスが離れ、幼稚園の年少からずっと仲良しだったNちゃんとは一緒のクラスになり、ついでに「1年生から5年生までずっと同じクラスだったのはOくんだけだから、どうせなら6年間同じクラスがいいな」などと言っていたOくんとも同じクラス。(あんまり男子のこと話さないので珍しい)
正直、前のエントリーに書いた事件については全く解決していないどころか、後から後からいろんな話が出てきて、はっきり言って泥沼化しているのだが…まあ割とQはスルー力が高めで厄介そうな人からは自然と離れるみたいなところがある子(昔からのことで、幼稚園の先生にも同じようなこと言われた)なので、無くしたもののことは一旦忘れて最後の一年を楽しくやってほしい。

さて私もちょっと考えなければね、今年度のこと。

事件です

PとQ合わせて計9年間となる小学校生活も残り1年となったところでひとつ事件が起きたので、記録として書いておこうと思って書いておくのだ。

ある日、帰りの会でQは、自分の持ち物が一つなくなっていることに気が付いた。いつも机のわきにかけている手提げで、ランドセルに入りきらない色々なものが入っていた。実用的ではないオシャレ文房具や、色鉛筆やイラスト用のペンセット(今のところ、将来の夢は絵師らしい)、読みかけの(買ったばかりの)文庫本など、正直あまり学校に持っていく必要のないものばかり入っていたのが微妙ではあるが、ちょっと大事なものも入ってた。

同じ時に、仲良しのNちゃんもロッカーに入っていたはずの上着がなくなっていると気が付いた。それ自体そんな安いもんじゃないだろうし、これまたポケットにちょっと大事なものが入ってた。

二人とも先生に話して、最初はどこかに紛れているだろうとか、どこかに置き忘れたのではないかということで、一旦クラス解散してから探したけれど、どうにも見つからず。QとNちゃんが帰った後も、学年の先生総出で学校中探してくださったそうだけど、見つからなかった。

こうなるとやっぱり、意図的に誰かが隠したとか盗んだということを疑わなければならない。次の日、担任の先生がクラス全員に紙を配り、何か知っていることはないか、ちょっとしたことでも気が付いたことはないか、あったら書いてほしいという作戦をとった(昔懐かしい、目をつぶって心当たりのある人は手を挙げるという方式ではないんだなーと妙に感心した)。

数の子が、Aちゃんのことを書いた。ロッカーのあたりでごそごそ何かやっていたのを見た、とか、帰る時一人だけすごい大荷物で帰っていたのを見た、とかそんな感じ。さらに言うと、被害にあったNちゃんも「何度もAちゃんにものを盗られてる、絶対あの子がやった」と言ってるらしく。

実はNちゃんとAちゃんは、なんでか知らないけど低学年の頃からずっと折り合いが悪いのは割と周囲でも有名なのもあって、ちょっと「あるなあ」と思わされるところ、ある。

ただ、QはAちゃんともそんなに仲が悪くない。むしろ家も近くてよく一緒に遊んでいた。ただ「今日はAちゃんと遊ぶからNちゃんと遊べないんだ…」などと二人が一緒にならないよう気を遣っていたりして(これも低学年の頃から)、だけど今年度、5年生になって3人とも同じクラスに揃って、時々NちゃんとAちゃんと遊ぶ、なんて言って出かけることもあったので、みんな大人になったんだなあとちょっと感慨深く思ったりしていたのだけれど。

とにかくネタが上がったので、先生はAちゃんと個人面談をした。何か知らないかというような聞き方をしたが、「自分が疑われているのが悲しい」というばかりで埒があかず。先生はAちゃんのお母さんにも話をしたが、「なんでうちの子がそんなことを疑われなきゃいけないの!」とプンスカされてしまって終わりでした…と…

そんな顛末を電話で聞いて、結局解決せず申し訳ないと先生から大変あやまられたが、先生が悪いわけじゃないからどうにもね。ただ、Aちゃん自身が犯行を認めていないにも関わらず先生が敢えてその名前を出したということは、ある程度、先生も黒だと思っているのではないかなと思う。(うっすらとした疑いの段階くらいで名前を出したら、それは結構大きなトラブルの種になるでしょう)「ちょっとそういうトラブルが前にもあった」「人間関係の危ういところがある子で」と、言葉を選んではいたけどね。

Nちゃんとは親子ともども仲良くしてもらっているのでお母さんとちょっと話をしたけど、もう絶対来年同じクラスにしないでほしい!と憤慨してて(先生に言ったかわからないけど、間違いなく言う感じの勢い)、だけどうちはなんか、そこまで言えないんだよなあ。

Qは、Aちゃんが疑われているとはどうやら気付いていないらしく「誰か知らんがマジで犯人許さん!」と言いながらも、普通にAちゃんの話なんかもしてくる。気付いてないなら、そのほうが幸せかもしれないのよね。あくまで疑いでしかないし。

あと、Aちゃんのほうはお母さんとは全然仲良くもないけど、弟くんとは会ったら普通に挨拶したり話をしたりするから(これは彼のコミュ能力の高さによるもの)、私も無下にできないところがある。

こういった状況から考えるに、仮にQのものもAちゃんに盗られたのだとしたら、それはおそらくQがAちゃんよりもNちゃんと仲良しなところを見られ、要は嫉妬みたいな感情でやられたのではないかと思うし。もしかしたら何か疎外感を感じさせるようなことがあったのかもしれない。だからといってそれはQが悪いということではないし、Aちゃんの前でNちゃんと仲良くするなっていうのも違うし、NちゃんにAちゃんと仲良くしてほしいというのも違うしな。あーでもなー、もやもやー!

って思ってるところに、担任の異動が発表されて、この学校の最後の最後にこんなことが起きてしまって本当先生かわいそうと思った。これまたPのときも5~6年で担任ではないけど学年主任だったからさ…

未解決でオチもない話ですが(もしかしたらここから何か展開はあるかもしれないけど、まあ…ないだろうなー)。何か書かなきゃ気が済まないので書き残しておく。