ベロニカ学習帳。

文京なんちゃらのなれの果て

志望校問題

さて、ボリュゾのゆる受験。夏休みにそれなりに算数を強化したおかげで9/1の首都模試は予想というか期待通りくらいの出来であった。国語もっと伸ばせたらよかった。

んで正味の話、現時点というか毎回ながら第一志望は完全に80%以上をマーク。まあ、ここは特待を狙っていくのでまだまだ安心はせずに。
第二志望は、実はPが通っている学校。こちらは2/1午前のみ80%。あとは英検利用の枠狙いだけど、去年も英検利用枠すごい競争率だったみたいなので、その他の日程は難しそうだなぁ。兄弟優遇は特にナシですと。うーん、もし第一志望で特待がとれず、第二志望のほうも普通に合格だったら、これはどっちに行くかすごく迷うけど。

あと2校受けようと思っていた学校があって、かりに第三志望、第四志望とするけれど、2校とも「一般的には」第一志望、第二志望校よりもやや格上と見なされてるのではないかと思う。私としても、イメージは良い。けれど、進学実績を見ると、指定校推薦でゆるゆると大学に入れる方針なのは明白。ていうか、ボリュゾでいいかんじの伝統校はみな指定校推薦に強い…! で、Qはそういう中高からそれなりの大学に進めたらそれでいいかなと考えていたのだが、最近になって「将来こういう仕事をしたいかも」と言い出しだのがけっこうド理系で、理系だったら国公立じゃないと学費が厳しい気が。まあ、もちろん大学受験時に今と同じ夢を持っている可能性はそんなに高くないかもしれないけれど、あまり受験勉強をがんばる環境ではない学校に行ってしまうと、おのずと道が狭められてしまう。あ、もちろんウチが私立理系に通わせられる経済状況なら良いんですが、、そのまえにPがどうなっているかもわからないので、やっぱり選択肢は広めに残しておくほうが良いと思うのよね。

もう少し偏差値を上げていけば、国公立に進む割合が上がる学校は多いのだけど、二科受験(+ときどき英検利用)だと受けられる学校が限られるし。あと我が家の子供たちはそんなに遠くには通いたくないという(親としても通わせたくない)のもあるので、そうなると全然新たな候補は出てこない。

そんな中、第一志望の学校は、女子校であり伝統校であるにも関わらず、国公立にも少なくはあるが毎年送り込んでいる実績があり(そこにも好印象を受けてもいる)、区内なので通うのも楽だし、偏差値的にも安全圏なのだから、もうここだけを受ければ正直良いような気がしているのだが…せっかく偏差値が上がってきたのにこの学校しか受けないのは勿体ないというような気がしてしまうのは、貧乏性なのだろうか…?

ゆる受験の夏休み

夏休みは受験の天王山と言われますが…

この夏、Qは塾で算数強化に力を入れてもらっている。てか、3年前にPが行ってたのと同じ個別指導塾に通っているのだが、1コマあたりの金額が値上げもしているとはいえ、4科勉強していたPよりも2科のQのほうが夏期講習代が高いの何なん。…思い返せば、Pは正直全然勉強してなかったけど、算数だけはできたのであった。夏休みに基礎をやり直すなんてことはなく、最高水準問題集とかガンガンやってたなぁ、、(算数以外は完全にボリュゾ、というか理社が苦手で偏差値20台とか叩き出していた)。今思うとアレのほうが特殊なんだけど、中学受験でもっとも重要とされる算数、Qは苦手というか、見ていると別に苦手というほどでもなさそうなのだが完全に苦手意識を持ってしまっていて、難航している。まあ今思えば、算数だけはできたのが原因でPはあまり切迫感を持たず受験期を過ごしていたとも言えるわけで、そんで倍の時間をかけて算数をやっているこの夏、Qはだいぶ受験生らしくなってきた、と思う。

そしてそんな中、Qはやっと英検3級に合格した~。1次を2回、2次も2回受けてようやく! いや、それでも小6よ。週1回ECCに通っている程度で、別に海外経験もないのに、3級合格ってすごいことだと思うよ。私は英検受けたことないのですでにQのほうが上だよ。

そう、これで「英検利用受験」が利用できるのだ。学校によっては4級でも利用できるけど、やはり最低限でも3級とっとかないと優遇とは言えないレベルなので、これは是非ともとっておきたかった(もっといえば準2級をとったほうがいいけど、今のQのレベルでは3級が精いっぱいなのはわかる…)。そうそうに4科受験を諦めてしまったので、2科に何かプラスできる武器があったほうが良いと思って、ここだけはこだわった!

そうは言ってもゆる受験。ざっと検索すると「中学受験をする小6は夏休みに400時間くらい勉強する」みたいなのがスタンダードらしい中、Qは1日3~4時間も勉強したら「すごい!がんばったね!」ってレベルだからね!自分で「ここまでやる」とは決めてやるけど(たいした量じゃない)、そこまで終わったらもうあとはゲームにYouTube、趣味のお絵かき、ものづくり、読書など、やりたいことがいくらでも。一応ゲームとスマホは少しくらいは許容ということで時間制限をかけて、趣味のほうは無制限になってしまっているけど読書とかはしたほうが良いし、まあ…これ以上無理して勉強させてもなあ、と思うので。

母はね~、フルリモートとはいえ働いているし勉強もPの頃よりは見てあげているので(というかPは模試の自己採点の時以外はいっさい見させてくれなかった)、自分の時間がぜんぜんない夏よ。そろそろストレスたまってきてやばい。

新NISAと金銭感覚

株価が乱高下しており、新NISAから何かを始めたばかりのわたくしは興奮しています。痛手を負うほどには何もやっていなくて、でも割と歴史的瞬間を目の当たりにして。みたいな状態。

なんで痛手を負わないかって、結局やってることが小さいからなのだ。だから大きな損もしないけど、大きな得もない。ちょっといいランチ1回分くらい儲かったとして、そんなの財産にはならないのよ…わかってるのよ…

ところで先日、独身の友人がこの歳になってできた彼氏を飲み会に連れてきて一緒に飲んだのだが、この彼氏さんはお金持ちで、やっぱり話してみるとお金持ちというのは金銭感覚というかお金を動かすセンスが全然違うことを実感した。

正直サラリーマン家庭にももちろん収入の差は大きくあって、我が家は氷河期世代のサラリーマン家庭としては健闘しているほうだとは思う。でも、そんなのは労働者階級の中の多少の差でしかない。実はその上に経営者とか地主とか、元貴族とか華族みたいな家柄からして違うのも…みたいに、上には上の階層がある。私、目の前のいる人が貧乏か金持ちかくらいはわかると思うけど、そういう根本的な違いが良くわかっていなかった。それぞれ財産というか、資産が全然違う。

私などは生まれた家が公務員一家で、これはもう金銭感覚としてはぶっちゃけサラリーマンより下で、ほぼセンスがないと言って良いのだと思う… 公務員は最高に安定しているというのも、それに魅力を感じる人がいるのも、ここ数年くらいでようやく理解できるようになったけれど、長いことその安定感にすら気付いていなかった。

センスのなさを思い知ったのは、自分で小商いをやってみたからだ。もうまるでセンスがないので、小商いを大きく広げようとか、これでたくさん儲かろうとか、そういう方面にはどうしても進まなくて、まあ最低限「これでは続かない」という状況に陥らない程度の儲けがあれば良いかなっていう気持ちがどこかにあって、そんで不思議と、そのくらいの儲けを最低限出すセンスはあって大失敗とかはしないのだ。儲けるセンスはなくても、安定させるセンスはあるのかもね…知らんけど。んで、「それよりも大事なのは社会貢献!」というか、自分の商品で癒される人がいる、救われる人がいる、そういうことが自分にとってこの小商いをやる意義である。などと思ってしまっているのも事実。いやもちろん社会貢献は大事なことだと思うけど、経済的基盤もなしに大口を叩くことでは絶対ないんよ。

友人の彼氏の話に戻ると、彼はもうご両親からして階層の違うお金持ちであった。なかなかそこまでの人と一緒に飲む機会もないので、痛いくらい壁を感じた。(もちろん人と人の付き合いとしての壁ではなく、あくまで金銭感覚の壁)(でも飲み会は割り勘)

思えば子供を私立から中学に入れるのにはそういう意味もあるのかもしれないな、とちょっと考えた。この中受ブームの中、我が家のようにあくまでも庶民という家もたくさんあるけど、正直「これは本物のお金持ち…!」と思うようなお家もある。そういう家の子とも区別なくナチュラルにお友達になれるというのは、それだけで結構良い社会勉強なのではないか。先日見学にいった学校では、起業体験みたいなのも授業でやるって言ってた。そういうことだよ!

もうさ、私と夫は身を粉にして働くくらいが精いっぱいのサラリーマンとして一生終えるしかないとしても、子の代はちゃんと財産を築いたり拡げたりできるようになってくれたらいいじゃない。他力本願な願いをかけて、この夏も塾代が飛んでいくのだった。

ゆる受験、それからどうした

Pが「うちの学校に頭いいと思える人なんていない」などと言いだした。「話が合わない」と。

まあPはいわゆる地頭は良い子だとは思う。それで、受験勉強をあまりしなくてもそこそこの偏差値で、必死にならないまま、そこそこの中学に進学した。
もちろん、必死に勉強しなくても御三家などの超難関校とかにひょいっと入れちゃう子もいるので(実際Pの友人にいる)(で、なぜかそういうレベルの子が結構いる小学校だった)、さすがに自分の地頭がそこまでは及ばないというのは本人もわかっている様子。

まあそんな天井がない違う次元の話は別として、一般的には地頭+勉強量で偏差値が決まるのであろうから、本人も勉強をもっとすればもう少し違う学校に行けたというのはわかっているはず。じゃあ勉強すればよかったじゃない、といってもその当時のPにはフォートナイトとスプラトゥーンのほうが大事で、全然言う事きかなかったのだから仕方ない。
公立中に進んでいれば今頃覚醒していたのかな?とは思う。でも正直、現時点の様子を見て、こりゃ勉強はできても内申点が取れるタイプではないのは明らか。昨日、幼稚園同級生のママと久々に会って公立からの高校受験の現実について聞いたけれど、マジで思っていた以上に内申システムがひどい。あれを聞く限り、公立に進んでいたらPは結局思うような高校入試ができず、なんなら今行ってる学校に高校から入るみたいな展開にはなりそうな気がする(偏差値60~65くらい)。だったら中学からホームステイとか体験できたこのルートでいいじゃん?とは思う。
まあ本人もいろいろ文句を言いながら、最後は「大学は自分にあったレベルのところに入ればいいのだ」と何かしら決意を見せており、そういった方向にモチベーションが働くならそれはそれで、ぜひ頑張ってくださいと思う。
で。Pは良いとして、今まさに「ゆる受験」で受験生の世界に片足だけ突っ込みながら小学校生活をエンジョイしているQさん。
Pと比べるとQはまだ内申取れそうなタイプだし、だから公立でもいいと以前は思っていたのだが、地元の公立の現状を色々聞くにつれ敬遠したくなる要素が多く(昔みたいにわかりやすいヤンキーとかはいないけど…みたいな話を多々聞いているし、もうすでに悪い友達予備軍みたいなのがいる)。また地頭でいうとQも悪くはないけれどPほどではない感じもあり、中3でお勉強覚醒するかどうかもわからない。
実はQが入りたい学校は私も気に入っており、伝統も立地も設備も部活も進学実績も、もちろん校風というか生徒の様子や先生と話をしても、どれをとっても好印象というか他と比べても断然こっちのほうがいいと思えるのに、なんでか偏差値が異様に低い。だから勉強しなくてもQはずっとA判定で、そのせいで本人もちょっと受験を舐めているし、私も「必死にならんでもゆる受験でいいじゃろ」と思ってしまうところはある。
とはいっても女子校人気は復活してるし、「実際はそこまで簡単じゃないですよ…」とも塾からは言われており。まあ中学受験にもいろいろなカラクリがあるのよね。伝統があって立地も良くて設備も充実していて部活も強くて有名となれば、偏差値で選ぶ受験ばかりではないので、いろんな目的でその学校を選ぶ子がいる。その中にはとても優秀な子もいるから、進学実績もそこそこになる。
幅広い層の生徒がいるから、同じくらいのレベルで話ができる友達も絶対にいると思う…のだけれど…Pのせいでその自信が揺らいできた…という現在。
とはいってもね、今さらゆる受験からガチ沼受験に切り替えますというのも難しいのでね!この路線で行くしかないわなあ。

手に入れてはなくしてを繰り返す

住んでるマンションが10年に一度の大規模修繕中なのじゃ。

ここで我々が大規模修繕を経験するのも2回目。前回はぴったり10年前なのかわからないけれど、頃合いから考えて、子供が小さかったしなんやかんやベランダというものを洗濯物干す以外にほとんど利用していなかった…のかな。そんなに困った記憶がないのだけれど。

あれから子供たちとベランダで植物を育てるようになったり、コロナ禍をきっかけに時々ベランダごはんを楽しんだりと、なんだかんだいつのまにかベランダに物が増えた。だのに、大規模修繕中はベランダにものを置くなという。

いや無理ー!ただでさえ家の中にもモノがあふれてるのに、これ以上どこに入れるの。

と叫んだところで今月中にベランダをキレイにしないといけないらしいので、悩んだあげく、いろんなものを処分することになった。まあ、処分しようと思って分別してみると、別にいらないというか、そもそも屋外に放置しているものなのだから、そんな後生大事に取っておかなくてもよいものが大半だったりすることにも気づいたりしながら、少しずつベランダのものが減っていっている今日この頃。

だけど大規模修繕が終わったら、また綺麗になったベランダで何かやりたくなって、ものが増えるんだろう。そしてまた10年くらい経って「え、これ処分するの?」ってなるんだろう。

それでもまあいいかな、こういうのも代謝というのかな。と思ったりする傍らで、今ちょっとエコとかサスティナビリティとかについて真剣に学んだりしているところなのもあって、どうにも都会的な暮らしとエコな暮らしって相容れない部分があるな、と気付いてしまう。(たぶん私以外みんな知ってた)

はっきりいって、私は都会に住みたくて選択的に住んでいる。デメリットもわかっている。でもやっぱりメリットのほうがずっとずっと大きいと思っているからこそ。だけど、年齢のせいなのか、時代のせいなのか、何か心の求めるものが都会から離れていっているような気がしなくもない。リモートワークが生活の中心になったせいかもしれないけれど、それよりも、これからはいよいよ本格的に小商いの時代がくるのかもしれないなあとボンヤリ考えたりすることも増えて、人の多いところだからこそ小商いが成り立つんじゃないか、いや人の少ないところでも成り立つものこそが地域に根ざした小商いと言えるんじゃないか、みたいなことも考えだして、はあ、わけがわからなくなっている。

だからといって漠然と田舎に憧れるみたいな、そういうのではなく、つーかやっぱり基本的に田舎暮らしはしたくないわけよ、みたいな気持ちが捨てられない。ド田舎ではないけれど、郊外というよりはちょっと田舎で生まれ育った私には、田舎の生活がどんなものかはわかる。今は昔ほど不便じゃないとはいえ、公共交通機関も先細りだし(あでも地元に根ざしていれば別にいいのか)。

まあ全然話がまとまらない方向に行きそうなのでそろそろやめておくけど、ようは人間変わっていくんだけど、どうしたって変わらない部分もあって困っちゃうという話だよ。

49歳になりました。

今月はPもQも修学旅行に行ったりしちゃって、なかなか非日常感味わってます。そして二人の成長も身にしみて実感する日々。『小学生と中学生の母』でいるのも、今年度限りなのだなあ。

そんな私も誕生日を迎え49歳になりました。といっても45歳になったときから「四捨五入したら50歳だ~」と思っているので、まだ49歳!感もある。ここにも9ボーダー。いよいよ老後の算段などをしたい年ごろになってまいりました。
そんでまた岡崎体育さんの話だけど、実現したいことをどんどん口にしていく彼の姿勢を見習いたいというのを本当に思っていて、でもそれってすごくむっずかしい。チケット余ってます、絶対楽しませるから来てください!ってアーティスト自らが呼びかけたってことで話題になったけれど、これ本当に勇気のいること。なぜなら失敗は怖い。彼は結果的に、ほぼチケットを売り切り、来場したお客さんを本当に楽しませたから成功しているわけだけど、そこまで声をかけてもチケットが全然売れない人もいる、なんとか売っても、来たお客さんが不満を持つかもしれない。そういうのが怖いから、なんとなく一歩引いてしまう。

私も若いころは無鉄砲だったので、30までに作家デビューするとか豪語してたけど(結果的に実現はしなかったけど、ぽろぽろお仕事が来ることもあったのだから、やっぱり豪語することには意味がある)。自主製作本をつくってあちこち必死に売りにいったのも、すっかり遠い昔のような気がする。…いや、今もハーブティーを作って売り歩いたり、イベント主催して人の作品も預かって売ったりしている。けれど、「絶対おいしいから飲んで」「絶対楽しいからイベント来て」と言うのは、やっぱり怖い。人の受け止め方がさまざまであることをネット社会であまりに学びすぎてしまったし、年をとってますます無難を選びがちにもなっている。

でも最近思う。「私、こんな人間だったっけ?」と。

たぶん本来は、ここまで保守的ではなかったはず。子育てをする中で、自分よりも子を優先する生活に慣れすぎたのかな。守るものが大きいと、そりゃ保守的にもなる。でも、子供たちがだいぶ大きくなったから、今また自分を取り戻しつつあるのかな。

長々と書いたけれど、50歳という節目まであと1年というところで、ここのところ抱えていた「やりたいこと」を書いておこうと思う。

・自分で育てたハーブを加工して販売する方向にシフトしたい
・そのために母の畑を受け継いで農作について学びたい
・そんなら加工所と販売拠点も千葉に作ってまえ
・子供が独立するころには2拠点生活を始めたい
・小説も年1本くらい書きたい
・音楽も学びなおして50代主婦ボカロPババアになりたい
・そんなこんなの実現のために60歳までにある程度資産を作りたい

やべ書き出したら強欲すぎて止まらーん。でも、ここ何年か年頭に書いてきた今年の抱負とかと比べて、ビジョンが具体的になった。なんか霧が晴れたような。でも実はずっと考えてはいたことを明文化しただけのような。

気まぐれなので考えは変わるかもしれないし、やっぱり無理ってなるかもしれないけど、とりあえず今やりたいという気持ちだけは大切に。と思った。ここまで具体的だと、そのために今やるべきことも見えてくる。

そんで開業届を出して来年で丸10年になる(事業を始めたのは2012年だけど、その後すぐ妊娠が判明したりもして届出してなかった)。最近ちょっと活動を抑えめにしてたけど(Qの中学受験とかもあるため)、やっぱり飛躍しなきゃだめかも!と思ったりする。

はーなんかやりたいことは一丁前にたくさんあるんだな。今はとにかく、自分の気持ちを大切にしよう。

岡崎体育さんと私

岡崎体育さんにどっぷりハマってしまった。しまいましたよ。「えぇぇ、どうしよう…」となんでか自分でも動揺するほどに。
そもそも彼を知ったのは、MUSIC VIDEOがバズったときから認識はしていたのだが、それよりも子供らが観ていたポケモン(うちの子たちはあんまりアニメを観ずに育ってしまい、ポケモンを観ていたのも本当にごくわずかな期間)でエンディングで流れていた「ポーズ」という曲がなかなかいいしこの人の声好きだわー、と思っていたらそれが岡崎体育だった…というのが最初かな。当時は「あー、あのYoutubeの人」という感じで認識(Youtubeの人じゃなかった)。
以来、まあ好意的な目で応援してますよ、ぐらいの距離感でずっと心の中に留まっていた。Twitterでフォローぐらいはしていたものの、それ以上深掘りすることは特にないまま数年が経過。ただ、私がなんとなく岡崎体育好きらしいことは子どもも認識していたのだね。Pが小6のとき「お母さん、岡崎体育の新曲がすごくいいんだけど」と教えてくれて、実は私もその時点で既に聴いていたのだけれど、そこで改めて子供たちと一緒にMV観て親子みんなでズキューンときてしまったのが「おっさん」だった。

そこからはもう、どんどん古い曲へ遡って色々聴くようになり、最初は単に天才肌の人なのかな、等と思っていたのだけれど、どうにも違う。その大きな躰に見合った心の広さと音楽的(あるいは教養的)な引き出しの多さ。いいね、と思った。でも今にして思えば、このころは特に誰に語るでもなくひっそりと好きでいられる程度の沼だった。たぶん片足突っ込んだくらい。
そして、コロナ禍がちょっと収まり、Pが中学生になってQも小学校高学年になって、だんだん私も古くからの友達と会ったりする機会が増えた。カラオケで岡崎体育を歌って、身近な人には私の体育好きをカミングアウトした。「好き」と声に出して言ったとたん、もっと好きになる現象の発動。
ライブには以前から行ってみたいとずっと思っていたけれど、何かと予定が重なる日ばっかりで全然機会に恵まれず、ようやく初めて行けたのが2023年のJAPAN TOUR IIだった。東京公演が日程的にどうしても行けず、初日の横浜。Yokohama Bay Hallは程よい距離感でちゃんと大きく見えて、お見送りつきだったのも良かった。ここからまたちょっと深掘りが進んで、少し見えてくるようになったのが、カラダの大きさに比例するような心の広さと引き出しの多さ。そしてその割に案外低めの自己肯定感、だからこそ持ち合わせている謙虚さとハングリー精神。このあたりが分かってきた時点で、もう一段深い沼にハマったと思う。それでも足首くらいまで浸かったレベルかな。でも沼って足首までハマると、もう簡単には抜けられないんよ…
そんな中、Zepp Tour 2024。Qも一緒に行きたいというので(本当はJAPAN TOUR IIも行きたがったけど、そんなに大きくないハコだしスタンディングだし小学生の初ライブとしては険しいかなと思って友人と行った。蓋をあけてみればお子様も結構いて全然大丈夫そうだったけど)Zeppなら2階席が良いでしょうと、先行で東京の2階席に申し込んだが抽選ハズレ撃沈…。一般発売始まって割とすぐにもう一度チャレンジしようと思ったのだが、東京の2階席はソールドアウトで、悩んだすえ横浜の2階席をぎりぎりでゲット(最後列だった)。私は横浜でしか岡崎体育を観れないという法則が発動。遠いよ…
とにもかくにもこのライブ、そしてそれに先駆けてリリースされた配信EPの「Suplex」も、そのリード曲としてMVが公開された「失恋ソング」も、全部がとてもとてもとても良かったので、帰りにはQと二人で「これは絶対グッズも買わなきゃ!!!!!」と2階席の最後列から早々に席を立って物販に並び、てっくんパペット他をゲットして気づいたら散財していたという流れ。箍が外れたんだね。もう自分が行くことができないツアーの地方公演チケットの売れ行きを心配し、あーもう私もなんとかして地方公演に行きたい!とカレンダーと睨めっこしたり(そんで全然予定合わない)しながらネット手売りを頑張ってる姿を見守り、福岡公演のチケットが最後カウントダウン状態で1枚ずつ売れていく様を固唾を飲んで見守り、「完売」の文字を見た瞬間、陥落してファンクラブに入会。
これまでの人生でもいろいろなアーティストにハマってきたけれど、ファンクラブというのは私の思う好きな気持ちや応援したい気持ちとはズレがあると感じていて、ファンクラブ特典の文字を指くわえて見ながらも、そこに入るのは頑なに避けてきた私が。なんだこれ。なんでこんなにはまってるのかわからない。でも、好きと思ったとしてもとりあえず一歩引いてしまう自分を、何かこう、つき動かしてしまう熱さがあるんだよ、この人。
とにもかくにも気が付いたら頭までずぶずぶと沼にハマっていたという報告です。人間50くらいになっても、まだまだ初めてのことっていくらでも体験できるんだな~と思います。人生楽しいわ。