ベロニカ学習帳。

文京なんちゃらのなれの果て

6/28 炎の九連組手 於・恵比寿リキッドルーム

2月のおだんごくんの時に告知された、まさかの9日連続対バンというとんでもない企画で、ホントにやるんか、マジなのかと思っていたが、本当にその日がやってきたよ~~。ひっさびさのリキッドルームだ!たぶん20年ぶりぐらいw

予定通りというかなんというか、土日どちらかで1回は行くの確定として、あとは対バン相手によって行ける日は行こう~みたいな考えでいたのだが、結果として土曜日のチケットが取れたのみで、他は抽選外しまくっていけずじまい。以前から薄々感じてはいたのだが、私ってチケ運ないな?

まあそれでも、ものすごい企画に1日でも立ち会えるだけいいかと気を取り直して迎えた28日。一緒に行くのはもちろん娘のQである。Qは岡崎体育のライブは3回目になるが、ライブハウスというものが生まれて初めてで、それもひっくるめて良い体験になったっぽい。

対バン相手は、こっちのけんと。正直ごめんだけど最初あんまり興味なかったのよ。でも同行者のQは対バン相手で一番観てみたかったのがこの人だったからラッキーと喜んでたし、ならば良いかと。はいよろこんでの人だとか、菅田将暉の弟だとか、若い人には人気っぽいとか、そのぐらいの認識で観にいってしまったんだけど、まず歌がとても上手だった!帰ってからいくつかMVとか観てみたけど、これ録音された音より生歌のほうが3倍くらい上手な人だ(体育さんもそういう感じある)。そして、60分の尺を埋めるほど持ち歌がないからと、突然出てくるカラオケセット。4曲歌ったカラオケの内、2曲はお兄ちゃんの曲、1曲はお兄ちゃんの主演映画の主題歌で、残り1曲が体育さんの曲だったよ。お兄ちゃんのこと大好きすぎるだろ…と思ったけど、もし自分の兄が菅田将暉だと仮定したら、なんの影響も受けないで生きていくのは難しいだろうからな…などと妙にしんみり目線で味わってしまった。総じて楽しめたのでおk。
そして体育さんのターン。9日連続の4日目、まだ折り返し地点前だったのに、だいぶ極まっていて(というか皆さんのレポを見ている限りたぶん初日から極まってたと思うんだけど)、この人また進化しようとしてる…というのを目の当たりにした、というのが一番大きな印象。近くで観れるライブハウスだからこそ感じられたというのはあるかもしれない、けど、そもそも私が初めて体育さんを見たのは横浜ベイホール。あそこはリキッドルームよりは少し大きかったかもしれないけど、やっぱりライブハウスで、そこまで大きなハコではないはずで。それなりに良い立ち位置もキープできたから結構近くで観れたはずなのだけれど、あのときよりもだいぶすごい、なんていうかオーラ?気迫?上手く言語化できないけど、体育さんが大きく見えた。大きく…なったのもあるかもしれない…けどそうじゃなくて、だからいわゆるオーラとか気迫とか、そういう目に見えない部分なのかなって。思えば30代半ば、人が生物としていちばん脂のってる(←これは比喩的な意味での脂です)時期だし、今が頑張り時だって誰より本人が一番自覚して頑張っているんだろうな。それがストレートに伝わるから、見る人がみんな応援したくなっちゃうんだよ。すげーよ。
24時間曲作り合宿生配信で完成した「俺に告ぐ」(←これがタイトルで良いのかな?)の曲を紹介する際に、「2019年に『もういっそ一生寝たろかな』って歌ってたけど、2025年は『眠ってる場合じゃねえ』になった」みたいなことを言ってて、これが今の私にとっては一番の刺さりどころだったな…。
ライブから少し離れるけど、いつも思ってることがあって、岡崎体育を代表する名曲「エクレア」の中に、ものすごいエモ部分がある。一番の「もう+-×÷の次元じゃない気がする」と、二番の「まだ〇×良不良の次元じゃない気がする」という対比。もっと言うと「もう」と「まだ」の間にある感情。
「もう」+-×÷の次元じゃない、というのは、これ以上作品をこねくり回したって良くならない、これが自分のベストである(のに認められていない)という諦観。そして、「まだ」〇×良不良の次元じゃない、というのは他者からの評価を得ようとする姿勢。つまりこの曲、自分としてはベストを尽くしてるけど、周囲からの評価を得るにはまだ何かが足りないと気付き、立ち上がっていく物語なわけで、これってまさに「なにをやってもあかんから一生寝たろ」から「いやいや夢を見て眠ってる場合じゃねえから!!!」と動き出す、それと同じなのだ。想像上のステージで歌っていた体育くんが「やれるとこまでやろう」と表舞台に出てきたのと同じように、ここから次のフェーズに入るんだなぁと、なんだかすごい瞬間を目の当たりにしたような気がした。そんなライブだったのでした。ああ、私もそろそろ次のフェーズに移動しなければ!と、火もつけられた気分。
9回もあるのに1回しか観に行けなかったことが悔やまれるが、1回でも十分に良いものを観れました。今日は九連組手の千秋楽であり、体育さんのお誕生日ということで、おめでとうございますとありがとうございますの気持ちを一緒くたに書きなぐってしまいました。

凪のお暇が終わってしまった

漫画は今でも結構いろいろ読み漁っているわけだけれど、ここ近年で一番好きだった「凪のお暇」が最終巻を迎えてしまったー。まあ、終わりなきお暇では困るので、物語としては終わりを迎えられてよかったのだけれど。

とてもいろいろと思う事があった物語なので、自分用メモだけどまとめておきたい。

最初は、空気読める子読めない子みたいな話なのかなーと思っていたら、楽しきモラトリアムライフのお話だった、と思ったらどうやら毒親育ちの子のお話なのかもしれない、いや毒親でなくても親とか育った環境という呪縛と闘う人たちのお話なのかも、からの、最終的には呪縛から解放されて自分らしく生きる皆さんの姿で大団円(なのかな?)。凪と慎二がくっつくくっつかないの話ではないし、呪縛から解放されたからって何もかもがうまくいくというわけでもない、とはいえとても気持ちの良い終わり方で、でも全部を語ったりしないあたり、ある意味とても純文学のような物語だったな、と思う。

空気読むのが下手なのにめっちゃ空気を読もうとする凪は、親がかけた呪いのような価値観を乗り越える。空気めっちゃ飲める慎二は、崩壊している自分の家族を憎みその逆張りを求めて進んだはずの道で「この仕事が好きだ」と気付く。与えられることを知らず空気を読む必要もなかったゴンは、凪を想って欲しがったり嫉妬したり敢えて断ち切ったりする人間らしい心を知る。空気クラッシャーな円は、両親という理想像の穴を知り、理想を乗り越えることでやっと自分らしい理想の実現にたどり着く。空気読むけど中身はどす黒い夕(凪ママ)は、過去の後悔とタラレバの自分を見事に打ち砕いて、推し活という新しい喜びを知る。などなど、それぞれがしっかり成長しているのが醍醐味というか。最終話まで見守ってきてよかった!と本当に思わせてもらった。

他の登場人物にもいろいろ、それぞれシンパシーどころがあるのだけれど、やっぱり夕さんについては、私は同世代だから(たぶん設定からすると最初は私よりちょっと年上だったはずだけど、連載中に年齢を追い越してしまった感…)実は一番共鳴するところが大きかったかも、と思う。時代の空気というか、夢を持つ☆彡みたいなことが今よりずっと、地に足が着いていなかったというか、良い言い方をすると大きな夢を見ることができる時代だったし、悪い言い方をするならフワフワしていた80年代後半から90年代初頭あたりのあの空気よ。それに対して親世代の考えは非常に前時代的であり(特に田舎では)、だから反発もより大きい。

だいぶ端っこのエピソードだと思うのだけれど、凪の北海道ご近所幼馴染マーくん(高校生男子)のお母さん(彼女はおそらく私より少し下の世代)が、モラハラ低脳夫にブチ切れるときに、剣道で全国を制覇していたという意外な過去が出てくる。結婚を機に剣を捨てたんだって。全国を制覇するほどの腕ならば、それを活かすことはいくらでもできただろうに、夫のモラハラにビビりながら十何年と大人しく主婦をやってきたわけ。たったこれだけのエピソードに、すごく昭和生まれ感…前時代感?そして田舎ならではの閉塞感などが詰まってるなと震えた。

突然の自分語りだけど、私は若い頃、どうしても生まれ育った千葉を出なきゃいけないと思っていた。結果として、夕のような家出ではなく、就職とともに正当な形で家を出たわけだけど、そうしないと私の人生は始まらないくらいに思っていた。東京へのひたむきな憧れとかではなくて(普通に4年間、大学通ってたしね…)、おそらく私の場合は、3人姉弟の長子にして唯一の女子という家族内での立場こそが、呪縛だったように思う。だってほら、押し付けられるものが多そうやん…?結果的に、距離が離れてることでバランスが取れている今。

まあそんなわけなので、主人公の凪ちゃんたちの世代はそれでも私たちよりずっと軽やかで、選択肢も多いように見えるのだけれど、私も中高生の親になった今、若い人たち(マーくんや愛恋ちゃんの世代)も、違う種類の大変さがあることはよーくわかる。今は30年前よりずっと、踏み外すことを多くの子が恐れていて、ちょっとでも外れていると群に戻れないから、そうならないよう着実に地に足の着いた未来を手に入れたがっている…ように見える。もちろん個々に見ればそうでもない子もいるだろう。群に戻れなくなった立場を活かしてる子もいるし。でもやっぱり、みんながみんなそう上手くやれるわけじゃないよなー。(うちの子らは今のところ問題ないように見える)(本当のところはわからないけれど)

まあそんな、話がだいぶとっ散らかっているけれど、そういった世代感と空気の差っていうのは如実にあって、でもどんな時代でもどんな価値観の中にいても、結局自分のスキを貫けている人が幸せだし、空気なんて読む必要ないよ。というのが、全体の大きなテーマなのかなと。

ただいろいろごちゃごちゃ書いてみたけど、単純に言えば慎二みたいなアンビバレントな男子はとても好きだし、慎二と凪の関係性が後半になるにつれてどんどん良くなっていく感じは、もうラブコメとして最高に好きすぎる。いくらゴンに揺れても最終的にはこの人に戻るのだろうなというのは初期段階からわかっていたのだけれど、心を通わせたうえで二人は別々の道を行く。…と見せかけて、やっぱりそうでもないかもね? という終わり方にも納得。この二人はくっついたり離れたりを一生繰り返す、そういう関係でもいいのかもしれないと読者のほうも最終話までには思うに至るようにできているのがすごい(もちろんこのラストに納得のいかない人もいるのでしょうが…)。そこらへんがラブストーリーとしてとても気持ちよかった!

もうひとつだけ言わせてもらうと、加筆ページでタロさんが亡くなっているっぽい描写があり、それだけは寂しい…。

とりま珍しくここまで語りたくなった漫画は久しぶりだったな。ドラマも観てたけど、漫画の結末のほうがとてもとてもとても良かった。エコで節約上手なライフハックもそこかしこに散りばめられているので、今後も定期的に読み返したい作品となりました。おわり。

プチ終活、みたいな

そういえば、台湾に行く前に一応というかなんというか、自分の身に何かあったらという万が一のことを考えて、家族にやっておいて欲しいこと(連絡してほしい仕事先とか友人関係とか、あと解約しとかなきゃいけないサービスとか…)をまとめたのだけど、テキストファイルにしたら案外2KBくらいにしかならなくて、私の50年の人生…などと思った。まあ、テキストファイルといってもURLが書かれていてそこにアクセスして…みたいなことなので、その先の情報はいっぱいあるとはいえ、なんともあっさりした人生…と思っちゃった。まあ、まだこれが半分という可能性もある…?

それはともかく、そういったテキストファイルを1つ用意して、あとはPCのログインパスワードと、そのようなテキストファイルを開いてほしいという旨をメールで帰国予定日の2日後くらいに送信予約。伝家の宝刀「このメールがあなたに届いたころには私はもうこの世にいないでしょう」的な雰囲気で。まあ、無事に帰国したらすぐに送信予約を解除してメール削除という流れで、これはなかなかいいシステムじゃないかなと思ったりした。送信予約の解除を忘れなければ、だけどね。

今後、このテキストファイルを適宜更新していき、一人で海外旅行とか入院とか大きな手術とかあったら、その都度、ちょっとだけ未来に送信予約をしていけばいいのだ。

ただ、やっぱり自然災害とか事故とか、思ってもみないときに自分がピンチを迎えることは多々あると思うし、そのあたりをどうカバーしていくかだな…などと考えたり。てか東京で大災害とかあったら、そもそもPCのローカルに置いたテキストファイルなんてその辺の紙ごみ程度の存在になってしまわないか…?と思うし。でもクラウドにはなんとなく置いておきたくない気もするし。デリケートよ。

そんなこんなで、プチ終活だなぁと思ったりするけど、たいがいこういう準備をしっかりしている人ほど長生きだったりするのよね、というセオリーを信じて長生きを目指すタイプです。

半世紀生きた

というわけで50歳になたよ~
いつかはなると思っていたけど本当にその日が来たんだと思うと感慨深いというかなんというか、50歳になる日ってちゃんとくるんだなぁ、って思った。40になったときや30になったときも大台に乗った感はあったかもしれないけど、50ていうのはもう絶対人生後半戦入ってますよね?という確信があるし、あとはどこまで楽しく生きられるか、健康寿命というより人生楽しめる寿命がどの程度残っているのかな、などと考える。そういうの考えてるとさ、もう適当な食事とかできないよね。時間ないからコンビニおにぎりでとりあえず済ませちゃお!みたいなのが1回の食事としてカウントされちゃうのが悔しい。残りの人生の食事、美味しいものしか食べたくないもの。って、自分がここまで食に執着あると思ってなかったけど、今は割と本気でそう思っている。これが、50歳のリアルです。ほんとかよ。

Pは受験する大学を絞り始めた。15年前、まだPが0歳の頃に「京大に行きたい」と言われた夢を見た、と書いたが、そんなことはつゆ知らぬはずのPが「京大に行きたい」と言い始めて驚愕している。まあ本当に本気で行きたいというなら応援するけど、まだちょっと言ってるだけ感もあるっつーか、どうせネット上の京大のイメージくらいしか知らないはずなので、話半分に聞いている。模試の成績とか見ても、そういうつもりならさすがに現時点からもっと頑張らなきゃ無理でしょ、という感じもあるし。できれば東京にある大学に入って家から通ってほしいなぁ。

Qは全国レベルで賞を取ってるかなりガチめな部に入った。現時点で週1日しか休みがなく、大会前は休みがなくなるという。先輩への礼儀などを含め大量の約束事がグループLINEに送られてきているのを見た。すげー!私やPはどちらかというと反体制魂があるのでそういった決まり事を見て「ばかばかしい!」とか言っちゃうタイプだし、そういう団体に所属すること自体がストレスにしかならないのだが、Qは案外そういうのいけちゃうタイプ。この部活を6年間頑張れれば、私はとても身に着けられなかった体力、忍耐力、気配り、女子力、団結力などを身に着けられると思う。そしてそれが一番就職のときに役立つ… 私には教えられないことばかりなので、本当に頑張ってほしい。

さて去年の誕生日には、今後はハーブを自分で育てて加工して販売するとか、母の畑を受け継ごうとか、加工所と販売拠点を千葉に作ろうなどなど高らかに書いたし、それについては実践もしているのだが、農業ビジネス本を何冊か読んだり台湾に行ったりして開眼した結果、そういうのを全部自分一人でやろうとしてるからいつまでもスモールビジネスの儘なんじゃよ、ということに気が付いたのだった。いや、そんなのは承知の上で「スモールビジネスですが何か問題でも?」という気持ちもなきにしもあらずだったのだが、ビッグビジネスにしたいと思うようなネタ(それを他でもない私がやる必然性)もなし、と思っていたのだと思う。けど、台湾に行ってたくさんお茶屋さんを観察して、「こんなお店やりたいなー素敵だなー」より「私だったらこうするのに」「ここを、こうしたいな」「こんなんだったら絶対いい」とアイディアがたくさん降りてきて。今私の中に浮かんでいるこの想像上のお店、業態は私がやる必然性あるんじゃないの?と思えたの。で、やろうと思います。50歳にして会社設立目指して動き出すことに。でもまずはビジネスを学ばないと!と思って、とりあえずそこから。

そんな50歳の一年間になりそうです。どんなやら。

台湾弾丸旅行2日目

台湾2日目は8時起床。テレビをつけたらカムカムエブリバディ再放送がやってた。しかも、るいが怪我をする重要な回であった。なんか受けのコーナーまであって笑ってしまった。

さて今日は私が行きたかったところに行くぞーということで、友人Aに街を案内してもらいながら、まずバスで向かうは林華泰茶行。本格的なお茶を買えると有名。Aは「ガブガブになるくらい試飲しちゃうかも~」とか言ってたけど、試飲は烏龍茶1杯しか出されず。開店同時くらいの時間に行ったからかな?。私は烏龍茶と菊茶を買った。



その後も、有記名茶など気になるお茶屋さんをいくつか回って、少し買物したりパッケージや店舗づくりについていろいろ考えたり。また、昨日の散策中に見た滋養製菓という素敵な和菓子屋さんのパイナップルケーキがどうしても気にったので、それを買いに行ったり。

それから少しお腹も減ってきたので、友人Aに勧められるまま、阿川蚵仔麺線という店で大腸麺線を朝食としていただく。あーこれはいいですね。胃にやさしい。モツもおいしい。そんで私、台湾バジルが好きだわ。どうしたらこの味が再現できるかなーと考えながら食べた。

ここでようやく手持ちの日本円を両替。外国で銀行に行くというのもドキドキ。行ってしまえば、向こうは慣れたもので簡単な日本語なら全然しゃべれるんだけど、友人Aがいなかったらそもそものハードルが高かった(次に外国へ行く機会には、たとえ手数料が高くても、やっぱり日本で外貨を用意して行こうとは思った…)。とはいえ台湾にいるのはあと半日というタイミングなので1万円分だけ両替して、朝から友人に立て替えてもらっていた分を返済&悠遊卡(交通系電子マネー、友人Bが買っていたものを受け継いだ)にチャージ。

借りをなくして気分すっきりしながら、その後もいろいろと面白いものを見て歩き続け、11時すぎたところでこれまた有名店の冰讚へ。50分くらい並んだけれど、蒸し暑いなか(ときどき雨がちらつくが)ようやくたどり着いた芒果雪花冰(マンゴーかき氷)の冷た美味しさ♡二年ほど前に桃アレルギーが発症して以来マンゴーも食べていなかったので、ちょっと不安で、最初はタピオカにしようかと思ったのだが、今タピオカないと言われたので、思い切ってマンゴーにしたけどよかったー!(ちょっと唇が腫れた気がしたが軽くね)。

その後は一旦ホテルに戻って増えた荷物をさらに預け、問屋街みたいなところへ。友人おすすめの、天天水水(帝一化工原料股彬有限公司)にて、化粧品材料や精油を見る。日本より安いかな?私はプロ向けのお店で普段買っているから、そんなに価格的な差はないような気がした。でも、日本であまり見ない精油やオリジナルブレンド精油をいくつか購入。おまけももろた。

それからAが「台湾のパワースポットといえば龍山寺とよく言うけど私的には絶対こっち!」とかなり力説していた行天宮に連れて行ってもらい、お詣り。日本語でお詣りの仕方を丁寧に説明してくれたり、日本人にとってもやさしい…ありがとう…おみくじは休憩時間で引けなかったけど、魂を清めてもらって(?)お守りももらえて、良かったわ。

そこから一旦MRTで東門へ移動。Aが語学留学していた学校の近くで、Aおすすめの天津葱抓餅にて葱餅をおやつになんとなく街歩き。餅っていうかパイ生地?おいしかったね~。あとは友人が以前から気になっていたというお茶屋さんに行ったり、ふらりと雑貨屋さんに立ち寄ってPへのおみやげを買ったり。

それからバスで信義通化街へ移動。台北101(東京タワーみたいなもん?)も一応写真だけ撮って、中華街みたいな(中国なんだけど)味のある街並みを味わう。そしてチェックしていた一両十銭青草舗という台湾ハーブティーの店へ。私は龍眼と生姜のハーブティーをいただく。生姜のインパクトすご!アイスティーを飲んでるのに汗をかく。飲んでる間にもたくさんの人がハーブティーを買いに来てて、しかも大きなボトルで買ってく。ハーブティーの浸透が羨ましい。

Aが、このあたりにBarが立ち並ぶエリアがあるはずなんだけど見つからない…とちょっと探して歩いた。今思うと私が私の検索能力を発揮して探せばすぐに見つかった気がするけど、私自身はBarに行く気分ではなかったので、なんとなく只ついて回って「Barがあったなんて、夢だったんじゃない?」などと揶揄ったりしていた、ごめん。

そこからバスでまた移動し、先ほどの東門を通り過ぎて中正記念堂近くの杭州小籠湯包という小籠包のお店へ。台湾に来た時からずっと小籠包たべたい小籠包たべたいとうわごとのように言い続けてきてようやく願いが叶ったのである。この小籠包がまた、一口ごとに感謝を述べてしまうほど美味しかった。そして台湾ビール(まだ飲む)も美味しかった。もう、美味しかった!てか好吃!!充足。

店を出て、中正記念堂へ。観光っぽい観光ってこのくらいでは。下から見上げると大変な高さの階段をゼーハー言いながら上って、なんとか蒋介石像の見えるところにたどり着いたのが17時58分くらい。なんと18時で閉まるという。ちょ、そんな大事なこと先言ってよ…小籠包もっと時間かけて食べてたら、見れなかったところだ。まあ一瞬の邂逅であったけど、会えてよかったよ…。

さて、MRTで台北駅へ戻り、地下街の石屋をめぐって翡翠を買おうと考えた。たくさんある店の中から、やっと「ここで買うか」と店を決め、いくつか迷っていた中から吟味に吟味を重ねて商品を決めて、いざ会計!ってなってからその店ではカードが使えないことを知る…。現金だと足りない。ん--…まあいいか!こういうのは縁がないというか、今は買うときではないということだと思う。欲しい気持ちがすっと消えてった。
残り時間もあと2時間ほど。友人AはやっぱりBarに行きたそうだったけど、私はゆっくり時間があるならいいけどそうでもないなら飲まないでも、と思ったので、無理しないでいいよーといったら、「じゃあ甘いものを食べよう!」と。

寧夏夜市を視察して、最後に古早味豆花へ。私は豆漿豆花。Aは愛玉子みたいなやつ。ああ、私、豆花ってのはもちろん知ってたけど近くで食べられる店もあるけど、食わず嫌いというか、甘ったるそうで避けてたん。もー後悔。うまいやん、体にも良さそうやん。これからはもっと食べてみます。そして、なんなら作ってみます。と思った。

心底満足してホテルに戻り、荷物をピックアップして空港へ。MRTは座れたし、何のトラブルもなくすんなりチェックインを済ませて搭乗手続き。筍の瓶詰(なるべく小さいやつを選んだのでギリいけないかなと思ったのだが)を回収されてしまい残念。そして、さすがLCC、とんでもない外れの搭乗口だったけど、空港のトイレで洗顔し、濡れた手拭いで体を拭いて、パジャマ用に持ってきていたロンTに着替えて準備万端。最後に軽くなにか食べるか、ということになりフードコートみたいなところに行くと、もう厨房は閉まっており、お弁当みたいなものを買うしかないと。サンドイッチと、ティーバッグがそのまま入ってる烏龍茶ボトルを購入するも、お茶は甘いお茶もサービスで付けてくれた。甘いけど8割くらい飲んだ。友人はさらにクレカの優待で台湾ビール1本とハーゲンダッツももらっており、もうフードコートの食べるエリアも消灯してるのに、暗い中で2人で晩餐。似たような人たち他にもたくさんいたけどね…
ともかく食べ終わり、最後のトイレも済ませて、帰りの飛行機に無事乗り込んだ。友人Aとは席が離れ、私は3人並びの真ん中席だったのでエーンと思ったけど、両脇女子だし行きの飛行機よりは静かで眠りやすそうかな?と思った…のだが!いや両脇静かだったし全然環境は良かったのだが、丸2日歩きすぎて(2日間で50000歩超え、35kmくらい歩いた)脚がパンパンで。うつらうつらすると、こむら返り?みたいに勝手に脚が動き出す症状に苦しめられ、一睡もできず!というか、少しずつ慣れてちょっと眠れそうになったらもう到着だった。帰路は羽田だし早かったな。
羽田に午前4時すぎに着いて、モノレールの始発を待って6時過ぎに帰宅。子どもたちはまだ寝ていた。無事に帰ってきたよー。まあとにかく疲れたけど、台湾とてもエネルギー溢れる元気な土地で、食べ物もすべてエネルギーを補充するため!という感じがすごくて、普段東京だったらこんなに歩かないし動けないところ、めいっぱい遊んでこれたので充実感がすごい。
そして東京に改めて感じる、街としての老成感。秩序があり清潔で、とても生きやすいし好きだけどさ。でもこの雰囲気だからこその問題もたくさん内包しているなとも感じた。たまに外に出るって大事ね…
あと、台湾行くときは汗拭きシートを絶対持っていくべき。これは、声を大にして言いたいです。

台湾弾丸旅行1日目

台湾旅行にずっと誘ってくれていた友人がいたのだが、さすがに子供を置いて一人で海外に行くのは難しい。子どもを連れて行くのも大変だしね、ということでずっと延期してきたのだが、このたびQが中学生になったことから、私も15年ちかく期限切れのまま放置していたパスポートを作り、スケジュール的に「行ける!」と思ったタイミングだったので、思い切っていくことにした2025年5月。もうすぐ50歳だし、40代最後の冒険よ。

といっても友人と日程の都合が合わず、先に台北入りしていた友人にあとから合流するという形に。久々の海外脱出なのに、そもそも一人で海外まで行くの初めてだよ。飛行機は北海道との往復で何度も一人で乗ったけども。ビビりながらLCCのチケットを取ったのは2週間前でした。

さていろいろ準備をして迎えた当日は、3時起床。朝から成田なので、山手線始発に乗るため、徒歩20分の山手線駅まで歩かねばいかんかった。駅までの道は案外目覚めている。ただ、酔っぱらって道で寝るおっさん、奇声を上げる若者などいろいろで、カオス。しかも外国人ばかりで、すれ違った人の半分以上が外国人…?駅前のコンビニでおにぎりとお茶購入したけどコンビニの従業員も全員外国人だった。ここからもう異国が始まっているのか。

駅のホームも明かりがついていたが改札はシャッター。こんな光景久しぶり。で、待とうと思ってチト腰掛けたとこでシャッターが開く。さっそくホームへ。始発15分前。ホームで待っている間に空が明るくなってきた。まもなく山手線始発が到着して乗車。電車の中で迎える日の出。

東京駅についてトイレを済ませてから成田行きのバス列に並んだら、5時発の始発バスがまさかの満席で乗れず!え、トイレ行ってる場合じゃなかった。バスにトイレついてるし…。次のバスは20分後。まあ十分早く家を出ているので、命取りになるような遅れではない。こういうトラブルも込みで移動時間を考えないとね。

結局、次のバスに乗って、社内でおにぎりを食べてしばし休憩。千葉に入ったとたん天気が悪く、成田に近づくほど空がどんより…。眠いのに心が落ち着かず寝られへん。日曜の朝だからか思いのほかスムーズで3時間前には空港に到着。

チェックインもまだ空いていて、スムーズすぎるほど。さあ、搭乗開始まで2時間だ…って長い!朝食はバスで頂いてしまったが、甘いものを入れたかったので、コンビニでお抹茶ロールケーキとカフェラテを購入しフードコートで人間観察をしながらコーヒーブレイク。静かで自由な時間を満喫している感じがある。

30分ほど休憩した後、やることもないので出国手続きも済ませて搭乗口近くで待機。まだ人もまばら。搭乗開始まで1時間以上、搭乗口近くのカウンター席みたいなところに電源があったので、スマホ充電してる間に、気が付いたら寝てた。こんな状況で寝られるかと思ってたけど気づいたらけっこう寝てた。
そんなこんなのうちに搭乗時間がきて、無事搭乗。ここまでの反省としては①さすがにこんなに早く行かなくても飛行機乗れた②でも20年ぶりの海外で、LCC初めて、しかも一人なので安全策は大事③LCCやっぱり座席とかの快適性は微妙。
機内では揺れがけっこうすごい上、後ろの席の人のいびきがやばすぎて大して眠れないまま、台北桃園空港着陸。
ここで友人Aと落ち合う予定が、入国カウンターが激混みで予定より30分遅れる…待たせてすみません。遅れたものの無事合流し、いよいよMRTで台北駅へ。異国というか異世界みたいな感じがある台北。とりあえず予約しているホテルにチェックインし、友人Bとも合流。Bは今日の夕方には日本に帰ってしまうので、急いで一緒に観光することに。

迎えに来た友人Aが持っていたスタバの網バッグを見て「いいね、これ私も欲しい~」なんて言っていたのだが、Bも同じものを買っていたので、もう3人お揃いにしちゃおう!と私もスタバ網バッグをゲット♡その足でルーロー飯を食べに行ったのだが、店にドリンクメニューがない。さっそくビール飲みたいと思ってたけど、台湾のこういうローカル飲食店って、アルコールどころかドリンク置いてないのね。飲み物は基本、持ち込み自由みたいな感じ。だからドリンクスタンドも繁盛するわけだ。好きな飲み物買って、好きな食べ物を食べに行けばいいなんて楽しい。

けど、日本の飲食店ってドリンクで儲けを出すというじゃん…?台湾の食べ物、特に高くないけど何で儲けを出しているの?あーでもドリンク出さないから長居もしないから回転率か。など、考える事色々。

食べ終わって店を出ると結構な雨が降り出す。夕立みたいなもので毎日のように降るらしい。アーケードも充実してるので、とりあえず街歩きすることに。薬膳食材が気になりつつ、まずは買おうと思っていた台湾コーヒーと、網バッグ素材のポーチなどをお土産に購入。友人はカラスミを買ったり。

てか案内をしてくれる友人Aが、日本で両替するのは損、空港でもだめ、街なかでキャッシングが一番いいよ!というので日本円しか持たずに行ってしまったんだけど、日曜だからかキャッシングもできないし両替もできず…おみやげはカードで買えたからいいけど、あとはAに立て替えてもらうことになったので、なかなか身動きがとれないので苦しい。

そんなこんなのうちにBがそろそろ空港に向かう時間。1杯でいいから台湾ビールで乾杯したいよね!と、飲める店を探すが、やっぱりないのね。私が見つけたお店はAに却下され(高いのかな…?観光客向けみたいな店?)、でも夕方になってきてどこも混んでいるし、やっぱり手軽に飲める店がない。探しているうちにタイムリミットを迎えそうになり、結局セブンで缶ビールを買って道端で乾杯!今年50になる女3人で何やってんの、と思うけど、Bは飛行機に間に合うよう帰れたので良かった。

Bを見送ってから、Aと二人で台北駅を視察。地べたに座り込んでいる外国人(インドネシアからの労働者らしい)がものすごく多くて圧巻。これは日曜日だからこそみられる現象らしいので、珍しいものを見た。オーバーツーリズムじゃないけど、台湾も外国人労働者にこんなふうに占拠されてるんだな…しかし多くの女性はヒシャブを身に着け、肌も出しちゃいけないんだろう、この暑い台北の中でとても暑そう…。

それからMRTで松山に移動して、饒河街観光夜市を視察。なんせ現金を持ってないので、友人の買った胡椒餅を少し食べさせてもらったほかは、またセブンで買った台湾ビール、あと芭楽檸檬汁(グヮバレモンジュース)を飲んだくらい。でも夜市の雰囲気は十分に堪能できた。

それから「マッサージでも行く?」という話になり、どうせなら台湾式足つぼを体験したいと所望。では、とバスで移動しAの行きつけである中山國小の店につれてってくれた。現地に詳しい人がいないと、なかなかこういう移動ってできないからありがたい。
で、足つぼ。めっちゃ痛かった~。けど、担当のお姉さんが「せっかく台湾まで来てお金出して施術を受けるんだから、しっかりやりましょう!(にっこり♡)」と全然手を抜かない。最初はギャーと叫びながら、後半はもう心を無にして受ける。まあでも最終的にはとても足が軽くなり良かった。悪いところは「寝不足」「首から肩」「腰」「食べ過ぎ」「循環悪すぎ」とはっきり言ってくれた。自覚あるけど心して暮らしていきます…。

この足つぼの店で、他の日本人客がお店の人に近くに美味しい店ないか?と聞いていて、お勧めされていたお店を盗み聞きしてチェックし、店を出たあとそちらに向かってみた。茹で鶏、筍のサラダ、台湾風おこわなどを食べながらまた台湾ビール。ここでもドリンクは出されるのではなく自分で冷蔵庫から持ってくるスタイル。台湾ビールガールみたいな子が一応いるのだが、あまり売る気がなく「自分でやってね」みたいな感じ。なかなか賑わっていたし現地の人がオススメするだけあって美味しい店だった。でも足つぼの店でこの話をしていた日本人客たちは来てなかったな…

さて、店を出てGoogleで調べると、ここからホテルまでは歩くと40分ほど。足つぼをやって足の疲れがなくなったのと、アルコールが入って気が大きくなったので、歩いて帰る事に。観光客が来ないような夜の街を歩いていくのは、何かすごい浮遊感だったな。

無事にホテル着。台湾、暑くてすごい湿度なので、身体がベッタベタ。シャワーで1回身体を洗ってもベタベタ感が取れず、2回洗った。友人も「ベタベタすぎて2回洗っちゃった」と言ってた。それぐらい、とにかくベタベタになった一日だった。
2日目に続く。

記憶がないくらいに

あっというまに4月が終わってしまう。先日ここになにかを途中まで書いた記憶があるのだが、下書きに保存されていなかった。酔っぱらってなかったと思うけど、何を書いたのかも覚えていないし、もしかして夢だったのかな…。

さて、そんな間にもPは無事中学を卒業し高校生に、Qは小学校を卒業し中学生に。私はオフィスを借りて心機一転がんばろうみたいな感じで、それぞれステージが上がったね。というか、ちょっともう変化に富みすぎてわけのわからない2か月だった。今は少し落ち着いた…のかな?まだ全然そんな気がしない毎日ですが、中学受験なんて言ってた日々は、もはや遥か遠くに感じます。

お弁当作りはもう4年目に入ってすっかり慣れたものだし、子供たちもしっかりしてきたので、私はパスポートをとりました。20年ぶりくらいに海の外にでも遊びにいってみようかなと。なんつって資金的な余裕があるんだかないんだかNISAは塩漬けしてて良いのだか間違いなのだかわからない。あっちの仕事もそっちの仕事も忙しく、さらに高校のPTA委員になってしまい(一応立候補ではあるけれど、高3とかでやるのは厳しそうだから今やっとこうと)、子供たちが手を離れるほどむしろ言い訳がきかなくなるので、忙しくなるなぁと実感しているところ。

これからの予定としては、海外もそうだけど、とにかくいろんなところに出没してたくさんの人に会いにいこうと思う。子どもが私の行動に付き合ってくれなくなったので、出没友がほしいな~(なにそれ)。そしてそうしながらも貯金を殖やしていこうと思う。色々出かけるのと貯金するのは両立するのかね?

まあそんな感じの新年度。がんばろーね。