ベロニカ学習帳。

文京なんちゃらのなれの果て

#3

朝から千葉に帰る……つもりだったが、いろいろ用事をこなしていたら病院の最寄り駅についたのが正午。母に電話したら「今、ちょうど駅前にきたところ」という。

母のいるところまで行ったら、普通に父もいた。やはり一昨日と変わらない元気そうな姿だ。「ちょ、病院はどうしたの? 検査入院じゃないの?」と聞くと、「まさか昨日の今日でいきなり入院とは思わなかったから、何の用意もしてこなかったって言って断った」「まあ、いまさら1日ぐらい入院が遅くなったって変わらないだろう(明らかに『どうせ死ぬんだし』のニュアンスで)」って……。「検査で『頭痛はしますか?』とか聞かれても、二日酔いなのか症状なのかわからない」とか言ってる。

( ゚д゚ )

わが両親とはいえ、さすがに呆れた。
けれどまあ実際なんの準備もしていないのは本当らしいし、今夜は弟たちも実家に駆けつけるというから家にいたいと言うし(明らかに『みんなで会うのは最後になるかもしれないから』のニュアンスで)、まあとにかく飯でも食おうぜということで、近くの寿司屋に。

とりあえず、ひととおり話を聞く。

前日は、「なんだか目が見えない、調子がおかしい」ということで、まずはかかりつけの医院に行き、眼科への紹介状をもらって一旦帰ったらしい。が、紹介先の病院での検査予約を入れたら土曜日になってしまい、短気な母はほかの病院に連れて行くことにした。そこでなんとか診察を受け、また紹介された先がK病院の脳外科。その時点では、脳梗塞かなにかだろうと診断されていたようだった。

その日のうちにK病院へ行くと、すぐに診察してもらえた。ドクターは美人女医だった(別に美人という情報はまったく必要ないが、西川史子なんか目じゃないとか、父が大変強調していた)のだが、どうも新米らしく、「とりあえずCTとってみましょう」ということでとったCTに腫瘍が3つも現れたことに動揺し、その動揺を隠すこともできなかったらしい。で、すぐ上司(?)に電話してそのことを報告したのだが、その際「転移性の腫瘍」とか「ご家族にどう伝えればいいのでしょうか」とかいう言葉がばっちりうちの父母に聞こえていたので、二人ともその時点で「もうだめなんだ」と思った、と。

で、実際今日はその上司となるドクターに診てもらい、こちらに何の準備もなかったので血液検査程度で終わったけれど、やっぱりそのドクターにも「転移性の腫瘍である可能性が高い」ということはハッキリ言われたそう。というのも、脳腫瘍が多発性になるのはほかから転移したときだけだからだとか。つまり、父の体のどこかには、必ず癌がある。しかも脳なんかに転移するのは、相当なレベルなんじゃないかと思われる。だから、もう絶対に未来はないと二人が思うのも無理はない。

そんな話をしながらのランチなんで、しめっぽいに決まってる。

母はおちゃらけて笑ったりしながらも急にウッと来て泣き始めたりするし、私もやりきれない気分。で、私も母も1人前の寿司が半分くらいしか食べられなかった。しかし、父は1.5人前を元気に完食。えー。腫瘍は確かにあるんだろうけど、二人が思うほど末期の癌患者だったら、こんなに食欲旺盛で体重減少もない(少なくともここ何年も大きな変化がない)のはおかしいんじゃないか、と少しだけ思った。

その後、父が会社に診断書を持って長期休暇を申請してきたり、入院の準備を調えたり、家の前で記念写真を撮ったり。夜には弟たちと私の夫も集まり、とても賑やかな晩餐。父はさすがに酒はやめておくと言いながら、煙草だけは弟たちから分けてもらってでも吸っていた。

両親が寝た後、弟(仕事がやや医療寄り)と話をしていたら、弟が「でもお父さんはいきそうだよね」と言った。「生きそう」or「逝きそう」……イントネーション的には前者だったけど、ちょっと考えてしまった。夜、ちょっと泣きながら就寝。