ベロニカ学習帳。

文京なんちゃらのなれの果て

#27

金曜の夕方、一人でふらりと病室を訪れると、父は強気。母がいると煙草を吸わせてもらえないのは解っているので、子どもが来たときにここぞとばかり「煙草を吸わせろ」とうるさい。病室では吸ってはいけないから、早く自分で立てるようになって煙草を吸いにいこう、と言っても怒る。役に立たないなら帰れと言われる。まともにとりあってはいけないと思いながら、それもひっくるめて悲しい。
土曜は午前中にひとつ検査を済ませた父。これが原発巣を見つける最後のチャンスだったけど見つからなかった、と言っていたけど本当は何のための検査なのか私は知らない(まあ原発巣が見つからなかったことは確かだ)。
昼食を食べながら、お粥(父は若い頃から歯だけが悪くて入れ歯を使用しているのだが、もうその入れ歯を入れるのも億劫なので噛まなくていいよう御飯を全粥にしてもらっている)がまずくて、これはスターチだろうという。しばらく文句を言いながら食べていたが、突然「60年も日本のために頑張って働いてきたのに、こんなものしか食べさせてもらえない」と泣き出したりして(働いたのは40年だし、日本ではなく県のためではないかとは思うものの)、いたたまれなくなった。母は、怒っているときより泣いているときのほうが本来の精神状態だからいいと思うんだけどね、と言ってるけど、それもつらいわ。本当は、もっともっと一緒においしいものが食べたいよ。一緒にお酒が飲みたいよ。煙草も吸わせてあげたい。でも、それはもう二度と叶わないのだろうか。できれば、無理やりでもいいからあと一回、その機会を作れて楽しく笑って時間を過ごしたいのだけれど。
入院すると病院オーラに飲まれて誰だってひときわ病人ぽくなると思うし。体が動かないのに頭は動くというのがどれだけストレスでもどかしいのかも想像できる。もちろん、薬の副作用とかで体に不具合が出てしまうであろうこともわかる(幸い、今は薬の名前をぐぐるだけでいろんなことがわかる)。でも、それだけでは今は気持ちが支えられない。父の全身を覆っていたむくみはすっかり消え、顔さえ昔のように小さくなりつつあるのだが、腕や脚のあまりの細さにハッとする。そしてその傍らで一旦小さくなったお腹がまた膨らんできている。母は「腹水が溜まってるんじゃないか、こうなったらもう最後だ」と言うけれどそれもどれだけ真実かわからん。ただ、それを差し引いても正直、最期が近づいているのだろうことは覚悟せざるを得ない。
解っていてもつらいね。