ベロニカ学習帳。

文京なんちゃらのなれの果て

#04

前夜、私はあまり眠れず。ひどい状態だけど、ともかく父を病院まで見送って「がんばってね」と声をかけ、東京に帰る。母、泣く。
バイト中、あまりの眠さに気絶しそうだったけれど、家に帰るといろいろ考えすぎて眠気が覚めてしまう。落ち着かず母に電話して病院は一体どうだったのかと聞いてみた。すると、血液検査やMRIでざっと見たところ、どうやら首から下には現在のところ癌がみつからないらしい。もう体中が癌に冒されていて末期だとばかり思っていた二人は、ちょっとだけ拍子抜けした模様。でも脳に腫瘍があるのは事実なんだよな。
ところで、身体に癌が見つからなくても転移性腫瘍というのか? 病名が変わるんだろうか? 電話を切って疑問に思ったので、ネットで調べてみた。ら。「原発巣不明の癌転移」というのはやっぱりあるらしい。見つけにくいとか、かなり稀な例だとは思うけど自然治癒してたとか。写真を見て医師が転移性のものと判断したのだから、見た目で解るのかもしれない。だから転移は転移ということで変わらないのだろう。それが良いことなのか悪いことなのか、今の私にはまだ解らない。でも、身体にある筈の癌がないならば、治療は頭に集中できるという意味では悪くない。
さて、ご飯だけは炊いたけど、夕飯の準備ができない。まったくする気が起きない。夫もそんな私を気遣ってか、今日は外食しようと誘ってくれた。で、近所の焼鳥屋へ飲みに行く(やっぱり飲む)。
母から聞いた話や自分で調べた話などいろいろ夫に話しているうち、父との思い出が走馬灯のように頭を駆け巡ってきて、号泣してしまった。店の中ですみません。たぶんマスターもほかの客もびびってた。しかも、泣きながらも「あづがんおでがいじばず(熱燗お願いします)」て頼んだ。泣き上戸と思われたかね。
でも、思いっきり泣いたら逆に「これは現実なんだ」と受け入れられたのも事実。夢だったら良いのにと思ってたけど、やっぱりこんなに悲しいことが本当に起きてるんだって思った。現実ならば、逃げている場合じゃない。私は父のために、そして父のそばについている母のために、私ができる限りのことをしてあげようと思った。
このまま父はだめかもしれない。でも、もしかしたら治るかもしれない。いずれにしたっていつかは死ぬんだし、いずれにしたって今は生きてる。生きてる間は少しでも楽しく過ごさせてあげたいし、私が笑ってるところを見せてあげたい。だからもう、父のことで泣くのは封印した。