ベロニカ学習帳。

文京なんちゃらのなれの果て

書いている

10年ぶりに書いている。何をって、小説をだよ。

正確に言うと10年ぶりではなく、最後に書き上げたのは今10歳になるPが腹にいるときだから11年前だし、まあ子供が生まれてからずっと何も書かなかったかというとそうでもなく、書こうとおもって向き合ったことは何度かあった。でもちゃんと書けてはいなくて、なんか半端な夢のひとかけら(最近、音楽系チャンネルで20年前くらいの曲ばっか流してるのをよく見るのだけど今見るとケミストリーかっけえな)みたいな感じで、いくつもの作品が未完のまま終わっている。

書かなかったわけではない。書けなかったわけでもない。

でも、振り返るとこの10年くらい、書きたいという気持ちはあんまり湧いてこなかったな、とは思う。まあ、日々成長していく子供を見てると飽きないし、そんなこんなのうちに10年単位で時間は簡単に吹っ飛ぶということだ。

きっかけは昨年、執筆の仕事を請け負ったことだった。それは創作ではなく、ある組織?施設?のパンフレットだったのだけれど、インタビュー記事と音声から、その組織の魅力を引き出す文章をひり出す行為がたいへん面白かったし、言葉に対する自分のものすごく面倒くさくて愛おしい拘りが、まだこんなにあったのかと気づかされたのだった。

そこへきて、このコロナ禍。時間、できた。じゃあ書いてみようってなって。

物語にしたいと思って頭の中で作ってきた世界は、すでに出来上がっていた。でも、それを実際書き起こし始めたら、最初に思い描いていた物語からどんどん違う方向へ進んでいく。いまは主人公の性別まで当初の予定から変わってしまった。よもや、主人公が違う人になりそうな勢いで脇役が主張をはじめてる。これよ、この勝手に動き出す感じ。懐かしい。楽しすぎる。

問題は、ずっと書いていなかったせいで、書くための技術がすっかり衰えていることよ。語彙がない!読み返すと、てにをはレベルのことすら怪しい!読むこともさぼってたもんなー。育児と仕事に追われて(とばかり言い訳してるけど、育児と仕事が忙しくても読む人は読んでる!)ここ何年も、年に1~2冊くらいしか小説を読まないで生きてきてしまったのだ。むー、ゆゆしき事態。

書くことに並行して読むことも再開しようと、小説を読みはじめた。もはや知らない作家さんがいっぱいだー。なんという勉強不足。10年のブランク、大きい。

でも、再開するのだ。書きたい気持ちがある限り。