ベロニカ学習帳。

文京なんちゃらのなれの果て

#24

父は毎日、とは言えないががんばって通っていた仕事を、とうとう辞めた。7月末まではがんばる、と先週末に言っていたのだが、そこまでも持たず、29日が最後となった。病気の発覚から8ヶ月、すごく大変だったのだと思う。ほとんど精神力だけでもっていたようなものだ。とりあえずはお疲れさまと、ありがとうを言わなければ。
病状はかなり良くなく、もう息をしているだけでもつらいみたいな弱音を吐くので、いよいよかもしれないと思ったりもする。が、よくよく聞いてみれば、薬の副作用で骨がもろくなっているところに何かしらの衝撃が与えられ、背骨だかなんだかの一部が折れてしまっているらしい。しかも、飲み合わせの問題か、あまり強い痛み止めも飲めないそうで、あんたそりゃ病気じゃなくても生きてるだけで痛いよつらいよ、と私などは思う。そんなんで、よく仕事に行ったもんだ。それだけ、「行かなくなったら終わり」と思っていたのだろう、とも思う。
父は本格的に療養生活に入る。長くなるのかもしれないし、短いかもしれない。いずれにせよ、仕事に行かなくなったら、一気に衰弱してしまうのだろうな。実際、最近はもう「夏を越せない」と自分で言っている。自分で言っているのだから本当にそうなのかもしれないけれど、それはある種、今の痛みや苦しみを早く終わらせたいという願望からくる言葉でもあるはずだ。私としては一日でも長く生きて欲しいけれど、病気に苦しむ父や、介護に心の安まるときのない母にとっては、これからの生活が長ければ長いほどつらくなるのだろうから、どちらが良いとも言いがたい。
ま、どちらが良いとも言いがたい、ということは、逆に言えば、どっちに転んでも「これで良いんだ」と思えばいいというわけか。なんてポジティブ。
とにかく。今の父はもう、目もだいぶ見えなくなってしまったし、とにかく副作用による身体の浮腫と背骨の痛みに苦しんでいる様子。でも、言ってることはしっかりしている。母よりもずっとしっかりしているくらいだ。先日、実家の町内の祭りに参加した際、知らないおじさん(正しくは、私は向こうを知らないけど向こうは私を知っているおじさん)から、「あなたのお父さんの手は、すごいよ。あんな手をした男は、どこを探してもいない。ぜひ、お父さんの手を握りなさい」と言われた。ちゃんと父の記憶に残るうちに、それだけは実践しようと思う。