ベロニカ学習帳。

文京なんちゃらのなれの果て

#30

1031 朝、母より電話。父が目を開けず、食べたものを吐いてしまい、それから食べもの飲みものが喉を通らなくなったとの話。喉を通らないというのは、苦しくてとかではなく、脳からの指令が届かずに飲み込むという動作ができないということだ。父は脳以外にあまり悪いところがないので、お腹はすいて栄養を待っている。食べられないのはかわいそうだな。私はいろいろあって2日ほど徹夜していた上に生理痛がピークで絶不調。しかし父がこんな状況では落ち着いて寝込むこともできない。同じ寝込むならなるべく父の近くで、と思い、夫が帰宅しご飯を食べてから千葉へ帰った。
1101 父、朝タール便。良くない印らしい。昼頃、長野から父の兄姉らが揃ってやってくる。すげー大所帯で騒いだり泣いたり。午後には医師がやってきて点滴など。みんなを集めて話すことには「(余命は)1日2日かもしれないし、2〜3週間かもしれない」と。(ちなみに「重篤な状態」と言っていたが、それって意味は解るけど一般的な言葉?と思ってあとでググったらこんなページが出てきた。)自力で栄養摂取ができなくなったので、それで衰弱するが早いか脳が機能を止めてしまうのが先かといったところ。その後、弟2嫁の両親がいらして挨拶したあたりで私はダウン。弟のベッドで寝かせてもらってる間にも弟1嫁の両親がいらしたりして、とにかく客の多い日だった。それがよい刺激になったのか、父は目が覚めない状態からは脱し、多少の意思表示も。夜には父のベッドの隣で母と私ら姉弟、そしてそれぞれの配偶者が集まりちょっとした宴会となったが、みんなで父に声をかけると反応がちゃんとある。水も受け付けないはずが、「お酒飲む?」と聞くとうなずき、ほんの一滴二滴だが舐めるように美味しそうに飲んでいた。良い夜だった。
1102 朝、父が排便。べったりしたものだが黒くはなかった。つーか食べなくても便が出るという人体の不思議。ところで、今回は一週間くらい(場合によってはもっと)このまま実家にとどまるつもりでいたのだが、どーにも私の具合が悪い。免疫力がない父はもちろんのこと、父を介護している母や弟嫁たちに変な病気でもうつそうものなら地獄絵図確定なので、私と夫はいったん東京へ戻ることに。父に「ちょっと東京に戻るけどまたすぐ来るね」と声をかけたら、「お」と返事してくれた!東京に帰ってからは仕事のフォローをちょっとやって、すぐ寝る。
1103 私の話ばかりだが、あったかくして寝ていたのに朝になってもまったく熱が下がらない。池袋の休日診療所にいって見てもらうと、腸炎からくる発熱ではないか、と。ほんと腸弱いな。今日も千葉に帰るつもりだったがこれでは無理と判断、声すら出ないので夫に電話してもらったところ、父はとりあえず変わらず。しかし今日はプリンをひとさじ食べることができたそうな。よかった。