次のフェーズなわけよ
あっちゃんが死んでしまった。BUCK-TICKの櫻井敦司様が。訃報に触れて小一時間泣き、その後も何度も思い出しては泣きそうになっている。
そんな泣くほどのガチファンではなかったはず、というか別に自分がファンという認識ではなかった。けれど中高生の時よく聴いていた音楽のひとつ。まあ強いて言えば今井ちゃん派。でもそこで終わって今は懐かしい思い出というわけではなく、今でもバンドがずっと続いて進化し続けていることくらいは追っかけてるよ、くらいの。
このショックは、あまりに早い、そしてあまりに突然の、予期せぬ形の展開だったから、なんだろうなと。解散したり休止したり、再結成したり、解散したのかなんなのかどこにいるのかもわからなかったり、二度と再結成できなくなったり、いろんなバンドを見てきた中で、やっぱりオリジナルメンバーでずっと続いているバンドってそれだけで価値があるし、ずっとずっとその形で続いていって欲しいと無意識に思っていたんだろう。
まあそんなこんな、ひとしきり泣いて色々思い出したりしているうちに、でもうちの父も60で逝ってしまったし、義母も58だった。50が見えてきた今、もう私とていつどうなっても仕方ない年齢ではあるんだよ。と思い始め。そういえば、ずっと体調が悪いのよ。
といっても今現在まさに体調が悪いのは原因がはっきりしていて、先週末にPからもらったインフルエンザがやっと治ったばかりのところに生理きた、という状況だからなのだけれど。そういう体調悪い、というのも多くなったけれど、それよりもここ一年くらいずっと体調がパッとしないのがね。具体的に何が悪いとかじゃなく、でも月に2~3日くらいしか調子の良い日がなくて、それ以外はずっとイマイチ。
別に何か生活が変わったかというと、そんなに大きく変わってはいないと思うのだが。若いころからの積もり積もった不摂生に、更年期が重なって? さらにコロナ感染して?みたいな感じで、どんどん弱くなっていく気がしている。といっても仕事ができないほどじゃない、子育てもできる。イベント事があれば普通に動いてもいる。ただただしんどいだけ。年取ったら誰でもこんなものなのか、自分が特別弱っているのかどうかもわからない。とにかく今まで通りのケアではだめな、次の段階に入ったんだろうな。また新しい対策を模索していかなければいけないのですかね~~~~はぁ。
あっちゃんの話からはだいぶ逸れてしまったけれど、好きなミュージシャンがこうやって急にいなくなってしまうことだって今後まだまだあるかもしれないんだから、観たいものは観たいときに観なきゃ。と思うし、そのためには、私自身も動けなきゃ困るわけだから、せめてもの教訓に、私は健康を目指さなければいけないと改めて思った次第。生きる。
風水鑑定うけたメモ
今日風水お試し鑑定を受けて聞いたこと忘れないうちにメモメモ。
・地盤を作ること(物理的なものよりは、勉強をするみたいな自己投資?)。
・ラッキーカラーは赤。
・方位的に東京は自分に合っている。故郷の千葉も。西側は南も北もあかん。行くなら東へ。
・お金に困ることはないから心配すんな。
・人生61歳から。今勉強していることや経験していることのすべては、そこからの人生を花咲かせるため。長生きするので楽しめ。
・思ったことが現実化しやすいので、ネガティブなことは考えず良いことばかり考える。
・2023年は良い、何か重要なことを決める。2024年は新しいことをしない、2026年も要注意。
もっといろいろ言われた気がするがこんなところかな…おもしろかった!
そして新展開
Pが無事帰国し(夏休みの最後は地獄の宿題こなし期間となり、ようやく落ち着い)た9月。
7月にパートを辞めるのに失敗し、とりあえず休職という扱いになった中、8月は調子に乗って散財しまくった。そうしてさんざっぱら遊び尽くしたQが、気が済んだのか「やっぱり中学受験する」と言い出した。おま…
というわけで、経済的には心もとない。「やっぱりこのままパート先をつないでおくべきか」「それとも新しい仕事を探すか」「いやいやハーブティー頑張って売っていこうぜ」という間をさんざん彷徨ったあげく、「やっぱり私は文章を書きたい。そうだ、とりあえず何か作品を書いて出そう。賞金狙いだ!」などと迷走しはじめた矢先、昔馴染みから10年以上ぶりぐらいに連絡があり「まともな文章を書ける人が欲しい」とお声をかけていただいた。
半年ほど前に「いっそ個人事業をたたんで就職しませんか?みたいな気持ちが、実はここ1年くらいで膨らんできている。」と書いた私だが、アラフィフになって就職というのは現実的考えれば当然難しく。まあ無理だよねーと思っていたので、世の中何がどうつながってくるのか分からない。
まだ働いてない会社だし業種職種ともに伏せようと思ったら書くことないんだけど、文章を書ける以外のことはとにかく未経験初心者の48歳…。マジでこんな人間を雇う気なのだろうか、と半信半疑ではあるものの、ありがたきお話であることに変わりなく。
就職すんのか、ハーブティーどうすんのか。悩みつつ、でも結論を急ぐことはないか。どっちみち常に新しい勉強は必要で、今この勉強をしておけばいずれ役に立つというのはわかっているし。やるしかないか。学びの日々はいつまでも。
go to America
Pが2週間のホームステイでアメリカに発った。
正直、本当に行くとは思ってなかった。
学校で希望制のホームステイプログラム。Pの学校は中高一貫なので、このプログラムには中1から高2までが応募できるのだが、昨年はコロナで中止だったし、中3と高2は修学旅行でも海外に行くので、行くなら中2の今年か高1の年がいいでしょうねーとは思っていて。行きたい?と聞くと、本人は「行っていいのなら行きたいよ」と。(一応、経済面とかで気を遣ってたっぽい)
夫は自分も中学の時行けばよかったという悔いがあるらしく、本人が行きたいと言うならぜひ行かせたいとは以前より申しておったので、ノリノリで申し込みに行きましたとさ。公立中出身で高校受験を控えていた私にとっては、中2の夏なんて夏期講習の日々でとてもじゃないけど自分も海外に行きたかった~みたいな選択肢自体がなく、正直ピンと来てなかったのだけど。あれよあれよという間に準備が進み。
母親としては、結構寂しいというかすごく寂しいというかとにかく寂しい。出産してから子供とそんなに離れたことなんて、ないわけで。最近では、一緒にいるからといって別に何をしてあげるわけでもないけど、それでも目の届くところに子供がいるのは当たり前という13年と少々を過ごしてきたわけで。
申込が受領された夜に泣いたし、パスポート取ったときも泣いたし、親向けのガイダンスのときにも泣いた。こっそり、お風呂で。いろいろ書類を準備しなきゃならないときにちょうど自分がコロナにかかったのもあって、ちょっと普通じゃない精神状態だったというか、異常にナーバスだったりしたというのもある。これでも私はかなり子供に対してドライなほうだと思うので(周囲と比べて)、こんな気持ちになるなんて自分でもちょっと意外だったけど。無事に向こうについたと知らせがきた今も、胸が押しつぶされそうに苦しい。
とはいえ、普段被らない帽子を被って、マスクにサングラスも着用して「これって変装じゃね?ワンチャンおれってバレなくね?」と空港の集合場所に向かったら一瞬で同級生たちに「おう、Pじゃん」と普通に発見されてて爆笑(その後、「え、なんでわかった??」「Pならだいたいふざけた感じで登場すると思って」とか言われててさらに爆笑)したりして楽しかったり、同級生のママたちとも同じような不安を共有してなんとなく気持ちが落ち着いたりもしたのだが。
ちなみに、子供にはいつまでも家にいてほしいなどとは微塵も思っていなくて、最低でも学生でなくなったら家からは追い出す予定なのだけれど、その時にもこんな気持ちになるのかしら。
もちろん、どうせ行くなら13歳の今だからこその感受性でいろんなものを見て聞いて経験して、人生の大きな糧にしてほしいと思うし、いろいろ甘ったれた精神を鍛えて、ちょっと大人になって帰ってきてくれればうれしいとも思う。もちろん英語も上達してくればなお良し。金もけっこうかかりますんでね、それなりの費用対効果というのは期待している。
ただ、それはそれとして、やっぱり元気に笑顔で帰ってきて、大人になって「中2のあのとき行って本当に良かった!」と思ってもらえれば、それだけで泣けるな~とも思う母心である。
でも寂しいのだ!!!!!
下手か
前回の締めくくりに書いた通り、遅れを取った仕事をこなし続けて1か月半、ようやく休みが来た。という感じ。忙しくて自分の誕生日すら、もはやスルーだった(というか病み上がりだったしご馳走食べる気力もなく)。
まあ、まあまあまあまあいろいろあったのだが、忙しい忙しい言うてるのはアレです。個人事業、パート(週2)、ボランティア(不定期)、PTA(不定期だが頻繁)、その他ハーブの団体に関わる仕事(月2ぐらい)、学び、という主に6種類くらいのことが常に同時進行で、一番疲れているのは脳だなと思っている。PTAは来年は絶対やらないとしても、既にその前の時点でキャパオーバー気味で、取捨選択が必要。
優先度を考えると。
個人事業のほうは、また一つ拠点が増えたりして忙しくなりそう。ボランティアは趣味と学びを兼ねているのでやめたくない。団体のほうは人間関係のギスギスがきつすぎてやめたいけどコネを作ってから辞めたい。そしたらもうパート辞めるしかない。という裏には、Qがもう中学受験やめる!とブチ切れ(いいのよ本当に公立で)、だったらそんなに働かないでもいいんじゃ、という後押しもあって。
よっしゃ、辞めるならパートしかない!辞めるよ!!!!!
で、7月末で辞めますって上司に伝えた。のだが、なんやかんやあって、休職という扱いになっただけで辞められず「退路を絶てよ!」とツッコミを受ける事態に。ていうか、なんなんだろう…私パートけっこうサボりながらやってるし、そもそも週2しか行ってなくてそんなに役立ってる気もしないのに、なんで手放してくれないんだろう…
しかしながら、またこんなタイミングで久々に会ったママ友に「すぐ次の仕事が決まると思って、前のパート先やめたんだけどさ、全然決まらなくて…」などと打ち明けられて、さらに「年齢のせいだよね…たぶん…」という言葉を聞いてしまうと、仕事を失わないことって素晴らしいことなんじゃないかとも思えてくるわけで。休職期間が終わったときに、やっぱり収入が心もとないから復帰という手を残しておいても悪くはない…のか…?とはいえ今のところ全然復帰する気ないんだけど。
いつも思うけど、本当こういうのが下手なのである。今までで普通に希望通りの時期に退職できたのって、結婚するときと出産するときぐらい(いや、結婚のときも1か月延長されたわ…)。男と別れる時も、だいたいいっつもこういう感じでズルズルと別れられない期間ばかり重ねていたな。しつこいようだが私はサボるし遅刻も欠勤も多いし勤務態度もそんなに良くなく、そんなに繋ぎとめておく価値のある従業員ではないと思うのだが(対人トラブルとかはないけどな)。どうやったらうまく辞められるのだろう?
などと考えながら、もうすぐ休職期間に入る。
コロナ闘病記
5類になる直前に夫が感染して家族みんなで引きこもり生活をしたわけだが、なんとそのわずか10日後に私もコロナ感染してしもうた。たぶん別ルート。
せっかくなのでいろいろ記録しておく。
【5/15 発症】
この日はパート出勤日。昼頃から強い悪寒と節々の痛み。天気も悪かったのでそのせいかなと思ったけど、こんなに寒かったのは私だけだったみたい。帰宅後に発熱。といっても7℃行くか行かないかくらい。食欲ない、トイレやたら近い。解熱剤飲んで横になると少し楽だけど。喉はザラザラする程度で咳などはあまりない。
【5/16 診断】
朝も熱下がらず7℃超えくらい。といっても平熱が35.5くらいなので体はつらい。さすがに普通の風邪ではないと思い、発熱外来。体の痛みからインフルだとばかり思っていたが、コロナ陽性を伝えられる。いきつけの医院ではいつもだいたい漢方薬を出してもらっていたが、コロナも漢方薬でいけるというので処方してもらって帰る。食欲はまあまあある。薬で熱をおさえればそんなに困らない程度だが薬切れてくるとやばい。19時すぎ、7度5分を超えてくると叫ぶほど体痛い。つらい。
【5/17 ウイルス大暴れ】
未明に解熱剤が切れて痛みで目が覚める。解熱剤を飲んだら朝までぐっすり。もう解熱剤なしでは生きられない…
朝の体温36.3℃。食欲もあるのでご飯食べて入浴。終わったらまた熱上がってきたので解熱剤。効いてくるまで時間がかかるようになった気が?でも効いてくると何もつらくないしむしろテンション高めで元気。仕事も色々こなして(もちろん在宅作業だが)、周囲には「え、コロナなのに大丈夫?」と言われるくらい。
しかし、解熱剤でいいかんじ→薬切れて体痛い寒い、の繰り返し。喉の痛みは殆どないが痰がえぐいほど出る。夕方また7度超えて痛い寒い!!味覚嗅覚が失われてないのは幸いだけど、とにかく熱がつらい。38℃超えてきた。
メンタルが弱くなってきて、子育て系のインスタとか見て号泣したりしていた。
【5/18 メンタル崩壊】
朝は熱下がった!?と思うくらいだったがその代わり喉が激痛。咳もひどく耳が変(多分中耳炎になってる)。Qが熱あるとか言い出しやがり、つらい体を引きずって医者に連れてく。8割位ズル休み感があったが、あえて抗原検査とPCR受けさせて大変なことを知らしめる(どちらも陰性)。Pのために部屋を隔離することにして(今は1つの部屋を真ん中に二段ベッド置いてゆるく分けている)もろもろ準備…めっちゃ寒気は感じるけど熱は平熱の35℃台が出るように。
午後、呼吸がずっと苦しくつらすぎてもう死ぬかもと思って、なんか死んだときのためにと急にLINEを整理しはじめる。べつにファンでもなんでもないけど猿之助のニュースにもさめざめと泣く。小一時間息がずっと上がった状態だったが、収まるとともに熱が上がってくる。また38℃超くらい。熱が上がったらなにか心に憑いた悪いものがやっつけられたように落ち着いたが、今度は体がつらい。
夕方になって少し落ち着き、眠った。帰ってきた夫に、飯だーといって起こされると喉激痛!でも桔梗湯がすごく即効性あって、飲むとすぐノドの痛みやわらぐのすごい♡
この夜は久々にまともな飯を食った気がする。水分たくさんとったら、鼻水とか痰が噴き出してきた。水分不足だったんかな…
【5/19 デトックス】
未明、一度熱が上がってきたので薬を飲むのに起きたけど、またすぐ寝れた。朝から熱はなく、体の痛みもなくなった。ただし喉はべらぼうに痛い!痰と鼻水の量も半端ない。
朝食とって風呂はいったあと腹下し…夕方まで何度も水様便が出る。痰とか鼻水もそうだけど、たぶん自発的に体の中を掃除しはじめたのだろうと思った。つらいけど、毒が抜けていく感覚はある!しかし喉の痛みだけはアカン。ロキソニン。
金曜日なので家族みんな出かけてくれるのは今だけ!と思って存分マイペースにやる。仕事も久々に進める。そのくらいには症状が落ち着いてきている。
熱はそんなに上がらなくなってきた。ただ、ずっとお腹の調子が悪い。
【5/20 ひたすら眠い】
土曜日だがPは学校だしQは朝から友達と遊ぶということで、割と早めスタート。夫がいそいそと家を仕切っているので、ひたすら眠ろうと思った。実際、熱はもう解熱剤が不要なくらいになっていたし、喉の痛みはまああるものの、そのピークは過ぎている感があって、とにかくひたすら眠かった。きっと昨日までの発熱で、ウイルスはとりあえずやっつけたのだろう。で、戦い疲れた体が残った。。。みたいな。
病気と闘っている間にはアドレナリンが出まくっているのではないか。と思うほど、逆にこうなってからのつらさ。無気力、脱力、ひたすら眠い。そして、水様便はもう出なくなっていたけれど、お腹の調子はずっと悪い。そのため食欲があまりない。
【5/21 やっぱり眠い】
日曜だが夫は朝から出張。出張は明日なんだけど、せっかく初めての四国だからってんで前乗りして観光してくるという以前からの予定で、今更飛行機の便も変えられないってことで出かけてった。まあ別に問題ない。
子供たちも適当にやってくれている。Pは試験前だし(といってもゲームばかりやっていたが)Qはやはり午後から友達と遊ぶといって夕方まで出かけていたし、13歳と10歳でよかった。5歳と2歳とかだったらほんと無理だったわーとか思いながら、やっぱりよく寝た。腹の調子は相変わらずよくない。
【5/22 日常はまだ遠い】
パート出勤日だが昨日まで寝込んでて今日いきなりは無理だろ!と思って休んだ。子供たちを学校に送り出してから、午前中しっかりしっかり眠。何も知らない母から野菜がたくさん届く。正直、今は調理とか全然したくない…。とりあえず溶けかかってるリーフレタスだけ洗ってカットして保管したけど、それ以外は冷蔵庫につっこんでおしまい。
お昼からは起き出して、できる活動(おもにPTA関連など)をしたけれど、寝ても寝ても眠いのはなんなのか、これはコロナ後遺症ってやつではないのかと、後遺症について調べる。実際、私のような症状も後遺症にありそうなので、続くようなら病院だなーと思いながら過ごす。
熱もないし、痰はすごいけど喉の痛みもひいてきたし、腹の調子だって少しずつ良くなってきた。でも、何かが調子悪い。なんか微熱だし、だるい。そんでわき腹がずっと痛い。と思ったけどこれは毎月ある排卵痛っぽい。そう思うと、あれ、もはやコロナは治まってて今は婦人科系の不調?という気もしてきた。もうわけがわからない。
【5/23 雨のおかげで】
本来朝から仕事が入っていて、私自身も「今日から動こう!」と思っていたのだが、悪天候もあり仕事延期に。正直、ホッとした。子供たちを送り出したあと、午前中超しっかり睡眠。いやほんとどれだけ眠れるんだろう。基本ショートスリーパーなほうなので、ここ1週間の何かを取り戻すかのような睡眠時間にちょっと退く。
相変わらず怠いし眠いけれど、昨日の脇腹痛はおさまっていた。その代わり、頭痛?なんか耳の奥だと思うので、たぶん熱で耳鼻科系がやられたんだなと思いつつ、耳鼻科系がやられることは日常茶飯時なのでもはや放置。心配していた後遺症とは違う気がしてきたので、もういいやと。
雨とはいえ今日こそ外には出ようと思っていたので、午後になってなんとか動く。オンラインの注文が入っていたので発送作業とか、ちょっと買い物とか。夜も夕飯を作れるくらいには回復していることを実感。ただ味見するのを控えて作った麻婆豆腐がしょっぱすぎたわw
食事もできる。入浴もいつもどおりくらいにできる(昨日まではしんどくてすぐに上がってしまった)。ちょーっとだけ微熱はあるけど体調戻ったな!と思えるくらいになった。ここまでで発症から8日。ああ、このくらいかかるんだな…と思った。
これにて闘病おわり。5/24からは普通に暮らしますってことで。
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5類になってすぐの感染で「マジかよ」と思ったけれど、子供たちが普通に学校行ってくれるのは本当良かった。これでまた家族全員家で1週間すごすとか、マジできつかった。診察(検査)と薬も、合わせても6000円くらいで済んだ。まあなんだかんだ言っても神様から休息を与えられた感じだと今は思う。しばらくは、溜まった仕事を消化する日々になりそうだわ。がんばる。