ベロニカ学習帳。

文京なんちゃらのなれの果て

3年ぶり、2度目の。

外出自粛、家族みんなで籠り生活をすることになったゴールデンウィークです。まさかの今更!

夫がコロナ感染。ただ、出張から帰った翌日、まだ症状が出る前に何かちょっと体調がおかしいという時点何かちょっと嫌な予感がして自主的に隔離生活を始めてくれたので、私を含め家族は家庭内感染を免れ、というかみな元気が有り余っている。3年前より子供たちはでかくなったし、やっぱり家が手狭!!というのを改めて実感しながら、今はベランダでこれを書いている…。

来週ならばもう5類となって、濃厚接触者は自宅待機しなくてよくなるので、なんでこのタイミングでー!とも思うけど、5類になったら夫が山のようにもらってきた薬も無料ではなくなるわけだし、家にもりもり届いた救援物資もなくなるということでしょうから(家族がいるし食料にはそれほど困らない状況だったのだが、余ってるから申し込んでよと言われて申し込んだらしい)、このタイミングで被害を最小限にとどめつつ最後の恩恵を受けることができたのはある意味良かった…のか?

面白いのは、ここのところ普段は会話しないようなP(中2の兄)とQ(小5の妹)が、自宅待機3日目くらいから仲良く一緒にゲームで遊び始めたという点。下手だの姑息だ野と罵り合ってはいるが、3年前のように喧嘩してギャーギャー泣いて大騒ぎ、みたいにはなったりもしないので、すばらしく平和♡
こんなふうにベランダで一人過ごしていても大丈夫なほど寒くも暑くもないこの季節なのもよかった。なんかもう、割と最近は燃え尽き気味でただひたすら何も考えずにゆらゆらしたいテンションです。ゆらゆら~

中年だもの

Pは13歳、Qも昨日10歳になりました。私は今年、年女だからたぶん48になるのだと思う。

もう年齢がよくわからない、というか、どうでもいいという状態になってきて久しい。45超えたあたりから「次は50か」と思っているので、まだ47だと改めて知ると「あ、思ったより若いな」と他人事のように思ったりする。こう書いていても、やっぱり自分はもう50だとどこかで思っていて、50代としての自覚にあふれまくっている。後ハッピーマニアを読んで、アラフィフあるあるにうなずくばかり。

そんなわけで、最近の身近な話題は「閉経しちゃった♡」とカミングアウトする同世代友人が増えてきたこととか(そんな中、若いころずっと生理不順でしかも周期が長めだったせいか、私はまだ終わりそうな気配がなく、重い月経困難症なのでそれはそれで絶望している)、親の介護の苦労だとか(かくいう自分の母親もちょっと認知症気味なのか情緒不安定で弟嫁が大変参っているらしく、なんとかしなきゃなと頭を抱えていたりする)、ああもう本当にそんな話題ばかりだよ!

ひとつ、とても悩んでいることがあって、個人事業と週2のパートのほかにいくつかのボランティアなどをやっていて、さらにQさんが塾をやめて通信で中学受験講座を受けているので毎日60~90分くらい勉強に付き合っていたりして、もう禿げそうなほど毎日疲れがとれないのがヤバい。体力的な限界というのも大いにあるけれど、どちらかというとマルチタスク機能が低下している感じがする。脳の疲労やばい。
だから個人事業は今、一人でできる範囲をなるべく広げず、月に7~8日の無理ない営業活動(+通販の発送など)というペースでやっているのだが、いっそこの規模をもっと拡大して他を整理したいという気持ちは、なくもない。でも、いざ具体的に考え始めると、人雇ったりすんのめんどいな~みたいな感情が先に来てしまうのよ。勢いがない。だって若くないもの…

そんな中じわじわと、いっそ個人事業をたたんで就職しませんか?みたいな気持ちが、実はここ1年くらいで膨らんできている。個人事業が嫌になったというわけではないのだけれど、むしろ全然好きだし続けたいと思っているのだけれど、ここで出てくる50歳という年齢(まだなってないけど)。するとしたら、たぶんこれ最後の就職チャンスだ。会社員生活だって別に嫌いじゃなかった。今はリモートで働く日なんてのもアリになってきたしね。個人事業のほうは、やめないまでも細く長く続けていたら、定年後にもまた再開できるかもしれないし。なんて思うと、こちらのほうが選択肢として有効な気もしてくる。何より、フリーとか個人事業とかでながく繋いでしまったので、定収入とかボーナスとかへの憧れが異常。

しかし重度の月経困難症なので、閉経してからじゃないとフルタイム勤務はきついかもしれない、とか、母の認知症が進んだら実家に通わなければいけなくなるかもしれない、などなど、現実的に考えると懸念事項も多々あって、行動に移せない。

通信といえどQの勉強もやっぱり見てあげないとひとりではなかなか無理っぽいし(ちなみに全体から見るとひっどい成績だけど、こないだのテストで志望校はA判定だった。高みを目指してないのでそこそこでいいのだが、どうせなら特待生で入ってほしいので、もう少し頑張らないとだめだと思う)、となるとあと二年、Qの中受が終わるまでは大きく動けないかな。

あと二年ってえとリアルで50歳。中受が終わるころには、うまいぐあいに閉経もして、母もおとなしくなってたりしないかなぁ。

まあ希望的観測すぎるのだが、こうなってくると、早くこいこい50代。今は40代というトンネルの中にいるのだと思いながら、毎日を積み上げていくように過ごす。

中学受験から1年後に振り返ってみる

なんだかね、年末年始に「去年は受験生いて非日常な年越しだったよな~」などと昨年の今頃のことを思い出したら、ずいぶん1年前が遠くなったものである。沼にはまらない、ゆる受験を目指して過ごしていたけれど、それでもやっぱり、いつもとは全然違う状況だったと思うし、精神状態も案外平静ではなかったのだろうなと、ようやく冷静に振り返ることができるようになった今、2年後のQの受験のためにも去年の反省を書いておこうと思った。折しもちょうど一年前は、前受けの初受験の前日でまったく落ち着かなかったという今日。

今、Pはとても楽しい中学校生活を送っているので、結果オーライだし中学受験やって良かったとは言えるのだけど、はたして成功だったのか?というと、それに関しては微妙だったりする。というか、反省点は多すぎる。

第一に、Pにもっと勉強させるべきだった(でもどうしたらそれが実現できたのかは全くわからない)。巷で言われる「まだ小学生なのに遊びたいことも我慢していろんなことを犠牲にしてあんなに頑張ったんだから、合格させてあげたい」みたいには思えないほど、Pは本当に全然勉強していなかった。かりにも、それなりの難関校が第一志望だったのにな。「俺はまだ本気出してないだけ」という言い訳を、小学生のうちから身につけさせてしまったのではないかとも思う(でもすでに本人が生まれ持った性質のような気もしている)。

第二に、やはり受験タイムテーブルを子供の意見中心に決めすぎた。もちろん子供が受けたい学校を受けるというのは第一だけど、それでもやっぱり2月1日に午前も午後もチャレンジしすぎて、結果2日と3日の午後、絶対確実と思っていた安全校すら落として塾の先生すら絶句させてしまった。2日と3日の午後の学校が、偏差値的には安全でも落ちる可能性が高いというのは、埼玉の前受けの結果(倍率が高すぎる場合、80%判定でも余裕で落ちる)から考えたらわかったはずだった。せめて1日、午前か午後どちらかだけでいいから、こちらの意見(塾の先生にも言われていた)で受験校を決めていたら、全体的に違う結果になっていたとは思う。でも本人が頑として譲らなかったんだよ。それでモチベーションが下がったら…というところを一番心配してしまった。本人は自分の望んだ通りの受験スケジュールになったから、不合格続きでもやりきった感があってある程度満足というか飄々とした様子ではいたものの、絶対受かると思っていたところに落ちたら、やっぱり動揺くらいはしてただろう。

前受けで受かってた埼玉の学校に行くのかー!?と迷っていたところ、落ちた安全校たら繰り上げ合格をいただいたわけだが、繰り上げで入った学校だと中学で苦労するなんてことは全くなく。しょっぱなの実力テストから、定期テストでも外部テストでも今のところPはずっと上位をキープしてるので、やっぱり80%判定の安全校だったのに間違いはない。それが、受験ではその通りの結果にならないというのがほんと難しい。

肝となるのは、親の采配と子のメンタルですかね。という怖いおはなし…。Qのときはもう少しうまくやろうと思う。

まあ、難関校目指すレベルの人たちからは「底辺校」と言われる(てか名前も知らないかもしれない)ような学校なんだけど、こういう学校って、そんな学校しか受からなかった人たちが来るわけではなく、やっぱりこの学校の魅力を感じて、選んで来ている子が多い印象です。P自身も、受かっても行きたくない学校は受けないと最初から言っていたので、もとから結構気に入っていたはず。規模の小さい学校だから先生方との距離も近く面倒見が良い(自称進学校的な意味ではない)し、そういう環境の中で友達ともすぐに仲良くなれた。勉強も受験期より今のほうがしてるんじゃ?と思うくらい、ちゃんとするようになった不思議。

そんなわけで、「受験」に関しては反省は多いけど「進学」という意味では、この学校に入れてよかったと今は本当に思ってます。

…と、もしかしたら、これから中学受験を迎える親御さんが迷走のすえに検索かなんかでこの秘境のようなブログにたどり着くかもしれないなと思って、一応メッセージ的なことを書いてみました。うん、もし「受験」が不本意な結果に終わったとしても、「未来」はきっと大丈夫だから楽観的に行きましょう。ぜひとも。

Qの学校訪問記

そうそう「2022はQさんをできるだけたくさんの私立中学校へ連れて行こう」と思っていろいろ動いたのね。でも結果からいうと4校しか行けてない。

A校 すでに4回足を運んでいる。Qが気に入って、4年生でも参加できるイベントがあるたびに申し込んでいる。うちの最寄り駅から2駅(てか徒歩でも20分くらいだと思う)という近さ。部活がとにかくすごい。ちゃきちゃき系。先生と生徒の仲も良い。

B校 文化祭の予約が取れなかったので生徒主催の説明会1回しか行けてない。母的には一番オススメしたいけどQ本人的には「まあ普通」。オシャレ系(卒業生は赤文字系ってかんじ)。先生はうるさくなくて生徒を優しく見守ってくれる印象。

C校 一応見てみるかって感じでノーマークで生徒主催の説明会に行ったら思いのほかQが気に入って、文化祭にも足を運ぶ。先生も生徒もなんだろう、これといった特徴もないんだけど地味に良いと感じさせる何かがある。立地もすばらしい。ただ人気急騰中っぽいので校風も変わるかも~。

D校 徒歩圏内。校舎ととりまく環境はピカイチかも、だけど母子ともにちょっとピンとこなかった。なんだろう、先生も生徒も真面目な、おとなしい印象。説明会でなくオープンスクールだというのに、なんかこう、全体的にすごく静かだったのよね。

…という女子校4校と、Pが通っている中学も文化祭を見に行ったので一応5校見たことになるのか。文化祭は共学のほうがレベルは低いんだけど(展示とかの適当さ)やっぱり楽しそうではあるな!と思ったりも。あと、母的にはBがオススメだったんだけど、実際見たらQさんには合わないかも、みたいな事は往々にしてあるね。

レベル的にはB=C>A>Dって感じだけど(Pの学校はBとCの間くらいかな?)ボリュームゾーンの偏差値に関してはもう、3年くらい前からいろいろ見てきて、激動するもんだなと理解した。ので、もはや2年後はどうなってるかわからない。今は考えないことにする。

他にも見たい学校はたくさんあれど、ある程度条件を絞っていかないと全部は見きれない!ということで、色々と考えた結果、英語受験がある、または英語資格が得点になる学校に絞ることにした。実はQさんは英語が好きというか、1歳のときから保育園でネイティブの先生の英語を聞いていて、幼稚園でも毎日英語の時間があったりしたので、せっかくならその感覚を忘れてほしくなくて、小学校からはECCに通わせている。実際、読み書きはまだ全然だけど、リスニングに関しては私なんかよりも全然できるので(ただし語彙がない)、ここを伸ばしていったほうが中学に入ってからも有利でしょう、と思って。6年生の春くらいまでに英検3級を目指して頑張ってる。頑張れ。

そんなこんなの条件の中で、まだ行けてないけど絶対に見ておきたいチャレンジ校2校と、押さえに良さそうな学校もまだ2校ぐらい候補があるので、これを2023年中に見たい。あとはもう、気に入ったところに何度も足を運ぶというほうが結果に結びつきそう(これはP時代の反省を活かして)。

正直、Qがとにかく気に入っていて、私も夫も見て「いい学校だね」と思えて、近いという点でも安心なA校が偏差値急騰しないでいてくれれば、もうそこが一番良いなと思ったりもする。

ということで学校研究の日々は続きます。

ハロー2023年

2022を振り返る間もなく新年を迎えてしまいました…!

2022年はPの中学受験に始まりサロン閉鎖で終わったのかな。いろんな出会いがあったけど、みんながみんな繋がってる今の時代、別れって感じにくいなと思ったり。繋がってると思ってたけど、いつの間にか切れてたり。みたいなことを考えている今日この頃。

2022年初の抱負を今見返したんだけど
①日帰りでもいいからひとり旅をする⇒できんかった
②朝型生活への切り替えと、充分な睡眠の確保に努める⇒微妙
③走る習慣をつける(昨年も少し考えてはいたのだが実現せず)⇒できん
④やめてしまったヨガの代わりにどこかジムに入る⇒これは入った、でも11月からずっと行く時間ない
⑤音楽を生で聴きに行く機会を作る⇒何度か検討したものの予定合わずー!
⑥マルシェに出展するなど、具体的に販路拡大の行動をする⇒まあ、少しは。
⑦ひとりで抱え込まない仕事の仕方を身につける⇒道半ば
⑧月1回週末ファスティングをする⇒全然できてない

その酷い達成率は、気合が空回りしていた2022年を如実に表しているようで、今はアロマサロンを閉鎖したことによってやっと荷物をひとつ下ろした実感と、あー今までちょっと肩の力が入りすぎてたよーという気持ちと。

2023年はもう少しシンプルでいいかなと思っている
①ひとり旅絶対する
②ライブに行く
③会いたい人に会う

こんぐらい。仕事は、横の広がりは作って行きたいけど、あとはちょっと流れに任せてみればいい時期なのかなと思っている。任せるくらいの「流れ」は作って来た、と思いたい。つーか冬場が繁忙期なのでこの時期はいつもそんなに焦ってないのだよね。5月くらいから焦り出す、あの癖をやめたい。忙しくないときは、他の事をしよう。
後はあれね、自然体でも美しくいられるようにがんばりたい、みたいなのは考えている。

テーマは、「流れに任せつついい感じ」ってとこかな。がんばります。

またたく間に

夏が終わり、気付けば秋も深まり。

もう激動激動言うの飽きたな。って思うくらいにまた激動してた気がするここ数か月。アロマサロンをやめることにした。サロンをやめようかどうかということを本気で考え始めてから、今後の人生の指針になるようなもの(と私が感じてしまうようなもの)に出会いすぎていて、ちょっと怖いくらい。今までスルーしてきたメッセージを、単に拾っているだけとも考えられるけれど。いずれにせよ、そういったいくつもの出会いから結論としてサロンを閉めるということにしたわけだけど、だから後ろ髪をひかれることがないと言ったらうそになるけど、後悔はしないと思う。現実的にもうこれ以上体がもたないというところまできているし。
パート先にもやっと新しい社員さんが入ったので、そっちも少しずつ手を引いていき、これからはハーブティーのお仕事に専念していきたい。予定。いろんな意味で、うまくいくかどうかはわからないけど(それはいつものこと)。未定事項が人生を動かしていくよ。

Qさんも激動というかなんというかの夏~秋を経て、中受やめるかやめないかというところまでいったものの、今は皮一枚つながった状態で、初めての英検(5級)に合格して、算数だけ通塾するという良くわからない状態となっている。別に受験しなくたっていいんよとは最初から言ってるし、本人も自分が受験すると言い出した理由は「友達がするから」というもので、なんのモチベーションもないことは自覚しているようだし、なんとなく公立中でも悪くないんじゃないかと思い始めてる様子もあるんだけど、お友達のNちゃんが「Qちゃんが受験しないなら私もしない!」とか言い出しちゃってるらしく、いやーそれは責任持てないよ?

PさんはPさんで、一応写真部に所属して入るものの、中学から帰ると昼寝ばかり、土日は外に行ったと思ったらゲーセンで遊んでくるというしょうもない日々…の中で、突然「バスケ部に入る」と言い出した矢先に右手を負傷して全治1か月…。なんなの。結局今はバスケ部にも入ってないし写真部にも行ってないし唯一の「続けたい」と言っていた習い事の書道も休んでいるし、しかしゲームだけは毎日せっせと励んでいる(今は音ゲーにハマっている)。ベネッセの学推っちゅう中堅以下の進学校?がだいたい受けるテストがあって、3教科で上位1割以内の順位に入るよう頑張るから新しいiPad買ってくれなどと言い、そういうのはしっかりと宣言通り実現してくる(憎たらしいことにギリギリ食い込む感じ)のでゲームは今のところ好きにやらせているけれど。でも、正直そんなん、1割に入ったって大したことないテストだと思う…。ちなみに学内では3位。前回も似たようなものだし、定期テストでもそんなもの。これで実は補欠合格っていう事実が怖い、受験が本当に水物だってよくわかる。そんなのもあって、Qさんの受験にもあんまり肯定的になれんのよね(Pは今の学校が合ってると思うし、結果オーライだけども)。

というような毎日です。正直、どっぷり疲れている。そんななかで岡崎体育が癒し。

3週目半ば

少し間が空いたものの続いてますよダイエット。

とりあえず2週目でなんとかマイナス1kgにはなった。って数字で言うと大したことないけど、体感としてはなんか腰回りに巻かれていた布団が取れた、みたいな感じ。まあ、まだ薄いケットくらいは巻いてる感じはするけどね...

8月1週目はダラダラと続く生理でつぶれ(これはもう年齢的なもので仕方ない)、からの帰省で2週間近く思うように体が動かせなかったり、食べる量も増えているはずで、帰省から戻ってきて体重増えてるだろうなと思っておそるおそる体重計に乗ってみたら全然増えてなかったからガッツポーズしましたね。でも増えるのも減るのも数字は後からと思ってるので、ここで気を緩めないよう気をつけます。
15日に東京に戻り、
16日上半身+ランニング
17日下半身+ランニング(時間がなくいつもの3分の2くらい)
と、とりあえずペースを取り戻すことを第一の目標に。ここらでもう一段階ぐっと体重落としたいんだけどな~
8月後半になり仕事がにわかに忙しくなってきたり、子供の宿題が進んでなかったり、ここからしばらくは、いかに自分の時間を確保するかが課題となりそう。がーんばろー