ベロニカ学習帳。

文京なんちゃらのなれの果て

お元気ですか

医療機関で働く知り合いから、最近、脳梗塞で運ばれてくる人が明らかに増えてるって聞いて」という話を聞いた。ちょうど爆笑問題の田中さんが入院してなんちゃらという騒動の近辺だったもので、すごく印象に残っている。同時に「産婦人科のナースの知り合いもいるんだけど、その子が、最近流産もすごく増えていて、月に3~4件だったのが週に3~4件になって、精神的にきついってこぼしてて」なんて話もしていた。

増えてる、というのは、何なんだろう。

脳梗塞つったらやはり生活習慣によるところが多いけれど、やはりコロナ禍で運動不足だったりするせいなのだろうか。流産はコロナ禍のストレスによるものなのだろうか。

って、すぐコロナに結び付けたがってしまう昨今のわたくしたちではございますが。生活習慣病ちゅうのは長年かけて蓄積していく結果なのだから1年やそこらでどうこうなったりしないんじゃないか。コロナ禍のストレスってのも、少なくとも流産の手前の妊娠までできている健康な体があり、ちゃんと愛し合える相手がいる、そういう環境の中にいるということ(この場合は流産で落胆する人たちをたくさん見るのがつらいという話なので、つまり望んでの妊娠だったわけだから、望まない妊娠ではないと仮定する)。いや、コロナによっていろんな我慢は強いられているよ、いるけどさ。そうじゃない、もっと違うところに原因があるような気がするよね。知らんけど。

そんな原因を追究する気はないけど、良い齢になってきたのは確かで、いつ何が起こるかわからないと思いながら生きていくしかない。会いたい人と、会っておかなければと思う。けれど、それこそコロナ禍で会えない。オンラインではどうにもこうにもね。

は~どうしたものかね~。

中学受験まであと1年

子供をSAPIXに行かせるために家を売ったブログが話題になってるってんで、読んだ。まあ、常軌は逸してると思う。

でもうちも塾代が家計を圧迫してるわー。今のところ赤字ではないけどさ。貯金も普通にしているし、大きな我慢はしてないしさ(外食は減ったけどそれはコロナのせい)。生活で変わったことといえば、業務スーパーを頻繁に利用するようになったぐらい(今やむしろ業スー大好きおばさん)。

うちの学区の公立中はまあ昔からえらい評判が悪く、今はかなり区が努力しているのが分かるし、良くなったともいわれるし、傍から見てる分には全然いい子ばっかりじゃんと思うけど、やっぱり名前だけでもうダメという人も多いくらい悪い。さらにいえば30分以内の通学時間でも行ける私立、都立、国立の良い学校がわんさかある環境でもあるから(なのに人気の出ない豊島区)半分くらいは中受で他へ行ってしまう。そんな環境もあって、Pは自分から「偏差値」なんて言葉を覚えてきて、自然と中学は受験するもんだと考えるようになっていった。(とはいえ尻を叩かなきゃ勉強はしない…)

私は正直、行きたい学校があるなら応援するし、学歴とかよりも中学高校という素晴らしい青春の時間を本人に合った良い友達と心底楽しく過ごしてほしいという気持ちはあるのだが、二月の勝者とか、面白いけど完全にフィクションの世界だと思ってたわ。でも実際、子供の受験に目の色変えて必死になってる親を身近にもチラホラ見かけるようにはなってきてるんだよな~。

Pは実質5年生から塾に行き始めたものの、集団塾では4年生から受験対策やってる子たちに全然ついていけないことがわかったし、コロナでろくに授業にならないのもあったので、夏休みから個別指導の塾に行く決意をしたわけだが、当たり前だけど個別は月謝が高い。個別の中ではそこそこ良心的な金額設定の塾だけど、ぶっちゃけSAPIX行くより高いのではないか。でも低学年から塾に投資してきた人たちを思えば、実質1年半の短期集中ならトントンかな。なにしろ、個別指導塾に入れてから面白いように成績が上がったし、本人が勉強って楽しいねと言うようになってきたので、コスパは相当高いんじゃないかと。

この変化から、Pに合うのがどういう学校なのかもわかってきた。コロナの中、学校見学もろくにできないけれど、ようやく志望校を絞れてきた。あと1年。Pにはどんな試練と成長が待っているのか。そして、親はどれほどの金を投資するのか…。恐ろしい世の中じゃよ。

そして老害へ

齢をとると人間ってどんどん厄介になる。というのは、自分の行動の変化を顧みても思うし、周囲の同年代の友人知人に、「あれ、この人ってこんな人だったっけ?」ってなることが、なんだか最近多い。

私はこれまで割とどんなことに対しても臨機応変に、悪く言えばなんの拘りもなく、ノリと流れで生きてきた感が強いのだけれど、最近は「なんぼなんでもそこは黙ってニコニコ対応できないよ」と思うことが増えている。他者の考えを受け入れられないというか。

これは今日たまたまそういうことがあった、とかではなく(いや、あったよ。あったけど、たまたまではない)、ここ1~2年で明らかにそういうことが増えているのだ。

なんだろこれ、やっぱり齢のせいなんかな。

若い時に同じようなことがあった場合、たぶん私は我慢をしてニコニコ言うこと聞いていたわけではなく、むしろ不快にさえ思ってもいない(自分の不快に気付いていないのか、そもそも不快でなかったのかはよくわからん)みたいな状態で、言うたら文字通り「何も考えていなかった」のだと思う。
齢をとることで人の経験値は上がるというのは確かで、それは財産だとも思う。だけど、知識や経験を踏まえて、考えて行動するようになるほど、不快なことって増えるんだな。不快っていうか、経験上それは間違いだということが分かるようになるから、NG事項が増えていく。そして、もう若くないからこそやり直しがきかないというか、やり直す手間とか時間とかが勿体なくて、「間違えたって別にいいじゃん」とは思えない。その結果どんどん保守的な頭になって、どんどん腰が重くなってるんだろうな。

なるほど、老害はこれを積み重ねていくことで完成するんだな~とか、他人事のように言ってみる。人生とはなんて厄介なのかしら。

今年の抱負とか言って

2020年の総括もできなかったし、なんならもう記憶がどんどん抜けていってる感あるんですが、一言で言えば、閉塞的だったなここんとこ。という感じで、じゃあ2021年はオープンザドア~な感じかというと、まだまだ世の中の雰囲気的にも、それ以上に私のテンション的にも、そこまでじゃないのよね。でももう2週間後にアロマサロンのオープンが迫ってます。大丈夫か。

ひとつ言うと、自分は何のプロフェッショナルにもなれないというのを40数年コンプレックスのように感じてきたのだけれど、2020年のどこかで、ふっと「そっか私はバランサーなのだ」という自覚が芽生え、以来べつにプロフェッショナルじゃなくていいんだーわーいわーいという気持ちになったものである。それだけ、(精神的に)バランスの取れていない人がすごく周りに多く感じて、ストレスだったというのもある。

のめりこむ人を、うらやましいと思っていた。でも結局、私、どれにもそんなにのめりこめない。だからといって、愛や情熱がないわけじゃなくて、あれもこれも、どちらもじゃないとバランス取れないのよ。そんなこんなで、今の私ができました。これがすべてなんだと思えるようになってきた。俗にいう、開き直りである。

小説もなー、書いてたんだけど途中で書けなくなったわ。世の中が変わってしまって、私が書いていたビフォアコロナの世界が、嘘くさくなってしまったから。若さとか未熟さを盾にした無防備な主人公、だからこそ生まれるむやみに密な人と人のつながりが、もう「ありえない世界」になってしまったのだ。
かといって、アフターコロナの世界へうまくシフトすることも(少なくとも今はまだ)できない。私が生きてきた45年はほとんどがビフォアコロナの世界で、青春時代も、苦悩した時代も、たくさん恋愛したことも、つまり経験のぜんぶがぜんぶビフォアコロナを舞台に繰り広げられてきたものだったのだから。いや、想像力?働かせれば書けるかもしれないけど、これがまあぜんっぜん乗れないのよ。だったら、まったく違う次元の世界を舞台にしたほうが、なんぼかリアリティある。でも今はそういうのを書きたかったわけでもないので、筆が(正確にはタイピングが)止まってしまった、と。
まあ、またそのうち世の中も変わるし、書きたいものが合致すれば、書くでしょう。

子育てについてはちょいちょい書いてるし、そんなに書くこともないかな。今年はPが受験生になるけど、そもそも中学受験自体もコロナでいろいろ変わってくるだろうし、今までのセオリーはあまり参考にしない。Qは相変わらずみそっかす感が抜けないけど、Pも5年生になってようやく覚醒した感じなので、うちの子たちはそういうもんなのだと思って呑気に構えている。

今年絶対にしようと思うのは、婦人科に行くこと。ピアノの弾き語りを3曲マスターすること。月に1冊はきちんと本を読むこと。これらは、自分の時間をつくることという目標でもある。そして月に1回は週末ファスティングをすること。総じて、まずは体調をよくしたいなぁ。まじで更年期を乗り越えたい。そして睡眠をちゃんととりたい。体の痛いところなくしたい。まだまだ子育ての道は長いし、人生はさらに長いのであろう。できるだけ元気でいたい。(という願いがすでに、もう本当、おばあちゃんみたいです…。)

がんばりまーす。

良い担任とトラウマと

書いておきたいと思いながら1か月近く経ってしまったこと。

11月に子供たちの小学校の個人面談があり(なんとオンライン!)、PとQそれぞれの担任と話をした。Qは昨年と同じ担任の先生なので(クラス替えがあったので持ち上がりというわけではない)そんなに変化もなかったのだが、Pの担任は今年からうちの小学校に赴任した先生で、しかもこのご時世でお会いする機会がない。たまにあっても、マスクしてるし顔見たことない!みたいな状態で半年超。ようやく11月になって、オンラインとはいえまともに顔を見てお話ができたというわけ。

Pにとっては、保育園~幼稚園~小学校低学年、中学年とずっと女性の先生が担任だったのだが、今年が初めての男性の先生。どんな感じかなあと思っていたのだが、どうやら本人は担任のことをなんだかんだネタにしながらもとても信頼していて、「ずっとこの先生が担任ならいいのに」というくらいで、えらい気に入っていているなあと以前から思っていたので、どんな先生か私も興味津々であった。

話してみたら、なるほど、納得した。

Pのことは、「ちょっと一歩引いてるところがある子だから最初はわからなかったけれど、よくよく知るとすごく面白い子だし、内面がとても大人。クラスではKくん(以前からPが信頼を置いている頭のいい子)とPくんの二人がダントツで落ち着いている。勉強もできる。でもふざけるときはふざけるし、面白い子なので、いつも友達がPくんの取り合いをしているような状態だから、本人は苦しいときもあるかも」というようなことをおっしゃった。

すごくいい先生に巡り合えたんだなあ、嬉しいなあ。と思った。

これは決して、ほめられたから嬉しい、というわけではない。私の中のP評価とかなり近いことを言ってくださったのが嬉しい。この先生は、母親である私と同じ感覚でPを見てくれていると感じた。20代の男性なのに!

こうして比較対象ができて、改めて思う。これまでの担任、ひどかった…!いや、全員ではないけどね…。でも2年生、3年生のときの担任は酷かった。Pという人間を全く理解していなかったのは別に仕方ないとしても、理解しようと努力もしていなかったし、あまつさえ自分の理解の範疇にないことはすべて「発達障害の疑い」みたいなことをにおわせて、でもじゃあ療育をというような流れではなくて。つまり「この子がおかしいから私には理解できません」と言いたかったわけだ。
これまでの担任のひどさに私が今まで気づけなかったのは、私自身が子供時代に、そもそも先生は自分たちを理解するつもりなんかない生き物だと学習していたからだ。

もちろん私にも、素晴らしい先生との出会いはあった。恩師といえる人だっている。けれど、くしくも今のPと同じ小5のとき、つまり二次性徴とともに大人を見下すことで自分が成長したように感じる時期を、ひどい担任のもとで過ごしてしまった(しかも持ち上がりで小学校卒業まで2年間も)。あれは本当に最悪の担任で、今でこそネタにもできるかもしれないけど、正直当時の友達と会ってもあれのことは話題にならない、誰も思い出したくないというくらいに、割と本格的な生き地獄だった。心を閉ざしてやり過ごしていたので、私は今でも小5、小6の記憶がほとんどない。

記憶がないからもはや思い出しもしないのだけれど、こうしてPが良い先生と出会えたことで、ああ、あれって結構トラウマになってたんだなと気付くことができた。私だけでなく、おそらくあの当時のクラスメイトみんなが、多かれ少なかれ同じものを抱えているだろう。

これってすごくね?

あらためて、教育環境って大事だなと思うし、熱心な先生のいる学校に子供たちを行かせたいと思うよ。はからずも、中学受験のモチベーションが上がった一件でした。

芽生え(いろんな意味で)

気が付けば2か月経ってた!とぶように!

Pは声変わりが始まり、私の身長を追い抜きそうで、履いていたスニーカーがきつくてもう履けないと言って、私のスニーカーを履いて学校へ行っておる。。。そう遠くない未来に「お母さんの靴ちっさ!」とか言われるようになるのだろう。なんと急激な成長。
受験勉強も、個人指導の塾に行ってから急に身が入るようになったのかなんなのか、家ではゲームしてる姿しか見えないからわからんのだけど、40台前半の偏差値が50台になって、そうなるとやる気も出て、今のところ楽しそうに行っている。

落ち着いた。落ち着いたのだ、いろいろ。
反抗期はまだこれから来ると思ってるけど。何を話しかけても全然答えが返ってこない日もあるだろうけど。でもなんか、小1~小4くらいの「いかにも小学生男子!」みたいなところから、次のレベルへ行った感あるなあ。ランドセルも似合わなくなってきたし。

Qは生まれた時から面倒くさい女子だったけど、小2になってますます面倒くささ全開といったところ。学校から帰って友達と約束をしたといって遊びに行くけど、待ち合わせが下手なので「会えなかった」と帰ってくることもまだ半々くらい。でも、遊びに行くのも親と一緒~という時期は抜けて、こちらは幼児からやっと小学生になった感。

自粛開けからこうやって子供たちの様子もどんどん変わってきたので、私もライフスタイルが変わっていく。2021年から自宅とは別の部屋を借りて、アロマサロンを開くことを決意。

これは、子供たちが少しずつ手を離れているというのもあるけれど、はっきりいって住宅事情。ここに住むことを決めた時は夫婦二人だったから十分すぎるくらいの広さだったマンション、まさか4人で暮らすことになり、そこで自粛生活を過ごした身としては、まあ狭い。そんな中、私の仕事も自宅でやって、夫もテレワークが増えて、、となれば、もうぱつんぱつんよ。

引っ越したいという気持ちもあるけど、いろんな事情で無理だなあと感じる。なら、少しでも外に出せるものは出すしかないということで、私の仕事場がまず出るべきでしょう。
まだ正式に決まってはいないけど、これまでの伝手があって、家から近くの風呂なしトイレ共同の昭和感あふるる木造アパート(それなりにきれいにはなってる)に決まりそう。伝手があるってのはしがらみがあるということで、安く借りれることを単純に喜ぶ気持ちにはちょっとなれない。けれど、今の私のライフスタイルを考えると、かなりベストに近い選択だと思うので、よほどのことがなければここで決める予定。

ここで2年は頑張るよ。そしたらQも小学生とはいえ高学年。女子だから、今のPよりもっと大人びているのだろう。そしたら、私も3年目、もっと立派なところへ移転オープンしよう。それができるだけの、仕事が回っている状態でいよう。

目標は具体的に宣言しておかないとね。

とにかく色々芽生えてる今。今後、またいろんな動きがあるんだろうな。

もうすぐ地上

コロナ禍だったのではない。私の場合、その前からずっと地下に潜り込んでいたんじゃないか。と、今になってそんなことを思うのは、たぶん地上のにおいがしてきたからだ。異世界の雰囲気を感じて、ようやく自分の立ち位置を自覚する、みたいな。あら、今まで私がいたのは地下だったのね。みたいな。道理で自粛生活だって、今までの生活とたいして変わりないと受け入れていたわけだ。

ここ2年ほどくすぶり続けてきたのは、もう「そういう流れだったのだから仕方ない」としか言いようがない。「そういうときもある」と慰めることしかできない類の、誰も悪くないから改善のしようもない、どうしたってやってくるし、乗り越えなければ(あるいは、やりすごさなければ)いけない、そういう時期。それまでの数年間、自分に鞭打って苦手なことも頑張ってきたからね。燃え尽き症候群というのもあると思うけど、やっぱり人間突っ走り続けることはできなくて、緩急あるのが自然の流れなのかもしれない。

そして今、「あ、もうすぐ地上かも」と思える状況にまでなってきた。てことは、まだ地下にいるわけだけど。焦る必要はないし、焦る気力もない。今年いっぱいぐらいかけて、ゆっくりと土を掘り起こそうと思う。