ベロニカ学習帳。

文京なんちゃらのなれの果て

そして老害へ

齢をとると人間ってどんどん厄介になる。というのは、自分の行動の変化を顧みても思うし、周囲の同年代の友人知人に、「あれ、この人ってこんな人だったっけ?」ってなることが、なんだか最近多い。

私はこれまで割とどんなことに対しても臨機応変に、悪く言えばなんの拘りもなく、ノリと流れで生きてきた感が強いのだけれど、最近は「なんぼなんでもそこは黙ってニコニコ対応できないよ」と思うことが増えている。他者の考えを受け入れられないというか。

これは今日たまたまそういうことがあった、とかではなく(いや、あったよ。あったけど、たまたまではない)、ここ1~2年で明らかにそういうことが増えているのだ。

なんだろこれ、やっぱり齢のせいなんかな。

若い時に同じようなことがあった場合、たぶん私は我慢をしてニコニコ言うこと聞いていたわけではなく、むしろ不快にさえ思ってもいない(自分の不快に気付いていないのか、そもそも不快でなかったのかはよくわからん)みたいな状態で、言うたら文字通り「何も考えていなかった」のだと思う。
齢をとることで人の経験値は上がるというのは確かで、それは財産だとも思う。だけど、知識や経験を踏まえて、考えて行動するようになるほど、不快なことって増えるんだな。不快っていうか、経験上それは間違いだということが分かるようになるから、NG事項が増えていく。そして、もう若くないからこそやり直しがきかないというか、やり直す手間とか時間とかが勿体なくて、「間違えたって別にいいじゃん」とは思えない。その結果どんどん保守的な頭になって、どんどん腰が重くなってるんだろうな。

なるほど、老害はこれを積み重ねていくことで完成するんだな~とか、他人事のように言ってみる。人生とはなんて厄介なのかしら。