ベロニカ学習帳。

文京なんちゃらのなれの果て

良い担任とトラウマと

書いておきたいと思いながら1か月近く経ってしまったこと。

11月に子供たちの小学校の個人面談があり(なんとオンライン!)、PとQそれぞれの担任と話をした。Qは昨年と同じ担任の先生なので(クラス替えがあったので持ち上がりというわけではない)そんなに変化もなかったのだが、Pの担任は今年からうちの小学校に赴任した先生で、しかもこのご時世でお会いする機会がない。たまにあっても、マスクしてるし顔見たことない!みたいな状態で半年超。ようやく11月になって、オンラインとはいえまともに顔を見てお話ができたというわけ。

Pにとっては、保育園~幼稚園~小学校低学年、中学年とずっと女性の先生が担任だったのだが、今年が初めての男性の先生。どんな感じかなあと思っていたのだが、どうやら本人は担任のことをなんだかんだネタにしながらもとても信頼していて、「ずっとこの先生が担任ならいいのに」というくらいで、えらい気に入っていているなあと以前から思っていたので、どんな先生か私も興味津々であった。

話してみたら、なるほど、納得した。

Pのことは、「ちょっと一歩引いてるところがある子だから最初はわからなかったけれど、よくよく知るとすごく面白い子だし、内面がとても大人。クラスではKくん(以前からPが信頼を置いている頭のいい子)とPくんの二人がダントツで落ち着いている。勉強もできる。でもふざけるときはふざけるし、面白い子なので、いつも友達がPくんの取り合いをしているような状態だから、本人は苦しいときもあるかも」というようなことをおっしゃった。

すごくいい先生に巡り合えたんだなあ、嬉しいなあ。と思った。

これは決して、ほめられたから嬉しい、というわけではない。私の中のP評価とかなり近いことを言ってくださったのが嬉しい。この先生は、母親である私と同じ感覚でPを見てくれていると感じた。20代の男性なのに!

こうして比較対象ができて、改めて思う。これまでの担任、ひどかった…!いや、全員ではないけどね…。でも2年生、3年生のときの担任は酷かった。Pという人間を全く理解していなかったのは別に仕方ないとしても、理解しようと努力もしていなかったし、あまつさえ自分の理解の範疇にないことはすべて「発達障害の疑い」みたいなことをにおわせて、でもじゃあ療育をというような流れではなくて。つまり「この子がおかしいから私には理解できません」と言いたかったわけだ。
これまでの担任のひどさに私が今まで気づけなかったのは、私自身が子供時代に、そもそも先生は自分たちを理解するつもりなんかない生き物だと学習していたからだ。

もちろん私にも、素晴らしい先生との出会いはあった。恩師といえる人だっている。けれど、くしくも今のPと同じ小5のとき、つまり二次性徴とともに大人を見下すことで自分が成長したように感じる時期を、ひどい担任のもとで過ごしてしまった(しかも持ち上がりで小学校卒業まで2年間も)。あれは本当に最悪の担任で、今でこそネタにもできるかもしれないけど、正直当時の友達と会ってもあれのことは話題にならない、誰も思い出したくないというくらいに、割と本格的な生き地獄だった。心を閉ざしてやり過ごしていたので、私は今でも小5、小6の記憶がほとんどない。

記憶がないからもはや思い出しもしないのだけれど、こうしてPが良い先生と出会えたことで、ああ、あれって結構トラウマになってたんだなと気付くことができた。私だけでなく、おそらくあの当時のクラスメイトみんなが、多かれ少なかれ同じものを抱えているだろう。

これってすごくね?

あらためて、教育環境って大事だなと思うし、熱心な先生のいる学校に子供たちを行かせたいと思うよ。はからずも、中学受験のモチベーションが上がった一件でした。