ベロニカ学習帳。

文京なんちゃらのなれの果て

諦め2020

今、Pの退塾メールを送ったところ。しんどい。

塾やめたいと本人が言い出してから3日、まあ割と早いほうかな。受験をやめるわけではなく転塾するので、この夏を無駄にしないためには急がねばならない。とはいえ、行先がまだ決まってないのだが。

ただ塾が嫌になったというならアレなんだけど、これ完全にコロナ禍がきっかけということになるんだろうなと思ったので、記録しとこうと思った。

Pの塾は早い段階からオンライン授業を始めてくれたので、良かったと思っていたのだが、どうもPはオンライン授業だとさっぱり理解できないらしい。まあ、通信でゲームやりながら友達とコミュニケーションとるのは苦でないみたいなので、単純に話を聞いてない(聞いてなくても進んでいってしまう)んだと思うけど、オンライン授業が苦手というのは私もわからないでもない。オンライン飲み会は楽しいけど、オンライン講座って今までも受けようと思ったことないもんな私も。

結局、塾のほうでは今、オンライン授業をやったうえでフォローの時間として短時間の通塾授業を行うという形式をとっているのだが、これがまた面倒で、単純に先生の解説時間と生徒の拘束時間が増えただけという、、、まあ私でもイヤになるかもと思ったので、今回は本人の希望に従い辞めさせることにした。

そしてP本人から「個別指導がいい」という言葉がでてきたのでお母さんびっくり。塾に行かせることになったとき、友達と通える、一緒に勉強ができる、そういうのがいいといって集団授業を選んだので、個別指導塾はまったく考えてなかった。

でも今の塾で一度、オプション授業みたいなのを受けた時に、たまたま先生とマンツーになって(みんな申し込みますよみたいな空気だったから申し込んだのに、うちだけだったという。。。)その時のPの感触は確かに違った。先生の言うことがすごくよくわかったと言ってたし、その授業で教わったことはしっかり記憶にも残っているみたいだったので。そういうのって合う合わないという話でしかないなので、本人がそれを希望するならいいんじゃない。私だったら絶対イヤだけど(逃げ場がない感じ!)。

塾に行っててもなかなか成績の上がらないPに、何度も「公立中から都立高校とか行ってもいいんだよ。お母さんもそうだったし、そのほうがお財布にやさしい!」と何度も促したが、不思議と受験自体は諦めるつもりがないようなので、だったら本人が希望するやりかたを模索してみようと。

ただ、また新しい塾探しってめんどくせー。と、今は私が一人悲鳴を上げている。

実はQについても、ピアノをやめるというひと悶着があったばかりだ。こちらは、7月いっぱいでやめる手筈になっている。

これだってさ、別に無理やり習わせたわけではないわけよ。本人がやりたいというから、これも一生懸命教室を探して、やっとこ見つけて通うようになって一年。本人が「もうやめたい」と言い出した。やりたいと言い出した責任、みたいなものを問うのは、やめた。根性論もいらん。

私自身は子供のころ、ピアノやめたいやめたいと言いながらも、続けてたらある日突然ピアノが楽しくなって、いやいやながらも続けてきて本当によかった~と思ったものだけれど、私の場合ほかに趣味もなかったからなー。Qにはダンスがある。ダンスの練習は家でも一生懸命やっているし、ちっこい脳みそを駆使して自分なりに研究みたいなこともしている様子で、それを見たら、「ああピアノはそこまでではないんだな」と明らかに解る。なので、やめさせることにした。

とはいえ、楽譜が読めて、何かこうさらっと曲が弾けたりするとちょっと素敵やん。ということで、家で自分のペースで練習を続けさせようと思っている。バイエル終わるくらいまでなら、私も教えてあげられると思うし。

そんなこんなで、いろいろ諦めるとともに、新しく動かざるをえない2020夏。本当は、他にもいろんなことをね。変えていかねばならないのだ、きっと。

ハロー更年期

45歳になったと書いた途端に更年期障害出てきたよ。体に仕組まれたタイマーに、驚愕するばかりである。
いや、もうここ2~3年で「更年期突入したなあ」と思うところは多々あった。周囲には「ずっと少量の生理が続いてて」(あげく貧血で入院になった)という友達や、「実はもうしばらく生理が来てないんだけど…もう閉経かな」という友達(私より年下)がいたりするので、年齢的な意味ではもう完全に更年期にあるのだろうと、もう意識はそこにあった。

でもでもでもでも、甘かったね!

こんなに典型的なホットフラッシュが自分に起きるとか、思ってなかったし。私はもともとPMSがひどいほうで、それはここ何年かのいろんな努力で改善してきたんだけど、ここんとこずっとエブリデイ生理前みたいな感じで情緒不安定だし体調も変(悪いじゃなくて変)。生理周期長めでしかも遅れがちだったものが、なぜか更年期になって月一でちゃんと来るようになったのは良いとして、なんか…カスみたいなものしか出てこないし。でも腹はしっかり痛いし。

とにもかくにも、身体が一歩一歩おばあちゃんになっていくのを日々実感しているわけである。

こうなる前は閉経は案外楽しみだった。前述のように、私はPMSも生理痛もひどかったし、実は産後そこに排卵痛まで加わるようになり、月の半分くらいは腹痛に苛まれているような状態で(アロマやハーブに傾倒していったのもそのあたりに大きく関りがある)、生理が来なくなるというのはそれらから解放されることを意味する。はっきりいって、幸福だと思っていた。それに、女でいることがしんどいなと思うことも多く、閉経することで男でも女でもない第三形態になれるみたいなイメージを持っていたのだ。

でも、こう毎日心身がつらいとね。そうも言ってられないわ。

世が世ならもうぼちぼち隠居して良い頃合いだろうに、人生100年時代ってさ…それが本当なら、現代社会は、体が現役を終えようとしている人間に、現役感を求めすぎではないか。

って、誰も見てないブログだと思って赤裸々に書きすぎだな!

たぶんこれも更年期の症状。

誕生日と、自粛明けと。

45歳になった。
若いころは、40くらいまで生きれば人生もう十分なんじゃないかと思っていたので、自分が45歳になるなんて隔世の感である。

隔世の感といえば25歳の誕生日は友人とルームシェアをしていたこともあって、いろんな機動力があり、なんか店貸し切って誕生日パーティーなんてもんをやったんだよね。今思うとこれ完全にパリピやで。で今年は「あれから二十年だし今年もなんかやらないん?」とかいうことを言われたりもしたんだけど、もはやそんな情熱ないわぁー。つか、それ以前に自粛だわー!と思っていたら、誕生日当日が緊急事態宣言解除の日となりました。私のためかな?(違う)

緊急事態宣言が解除され、自粛事項が少しずつ減っていく今日この頃。

私はもともと力の抜けている(力が入らないともいう)タイプの人間だと思うけれど、そんな私が二児の母になって、プチ起業的な事をして、イベント立ち上げる的なこともして、PTA的なこともして、パートタイマー的なこともして、、、と力を抜いている暇もないというか、本当に自分を省みる時間もないままひたすら全速力で突っ走ってきたのがここ6年くらいの毎日だったので、この自粛期間というのは「今の私になって初めて訪れた休暇」みたいだった。

もちろん家事育児には休みはないし、オンラインショップは動き続けているし、パートもテレワークだし、そういう意味では休みといえるような休みではないんだけど、少なくとも自分を省みるくらいの時間ができた。

自分を省みると、全て投げ捨てたくなる衝動がすごい。やばい。

でも投げ捨てないのは、年の功なのか。これが、四捨五入すると50ということなのか。たとえ今抱えている面倒くさいものをうまいこと投げ捨てたとしても、自分はまた別の面倒くさいことを「面白そう」と拾い集めてはまとめて丸めてこねくり回して、もう自分が持てないくらいの巨大な何かになるまで育てていくんだろう。ということが、わかってしまった。だったら、今ここにあるこの重くて面倒くさいやつを、もっと育てても同じことだ。そういうことが、この年齢になってようやくわかったのである。

はーすごいね50年(まだ45歳です)。

そして、今はこんなことを書いているけれど、ある日突然「うわぁぁぁぁぁぁ」てなっていろんなものを投げ捨ててしまうかもしれない、そんな可能性も秘めていることは否定しないでおこう。人生どこで何があるか、マジわからん。

書いている

10年ぶりに書いている。何をって、小説をだよ。

正確に言うと10年ぶりではなく、最後に書き上げたのは今10歳になるPが腹にいるときだから11年前だし、まあ子供が生まれてからずっと何も書かなかったかというとそうでもなく、書こうとおもって向き合ったことは何度かあった。でもちゃんと書けてはいなくて、なんか半端な夢のひとかけら(最近、音楽系チャンネルで20年前くらいの曲ばっか流してるのをよく見るのだけど今見るとケミストリーかっけえな)みたいな感じで、いくつもの作品が未完のまま終わっている。

書かなかったわけではない。書けなかったわけでもない。

でも、振り返るとこの10年くらい、書きたいという気持ちはあんまり湧いてこなかったな、とは思う。まあ、日々成長していく子供を見てると飽きないし、そんなこんなのうちに10年単位で時間は簡単に吹っ飛ぶということだ。

きっかけは昨年、執筆の仕事を請け負ったことだった。それは創作ではなく、ある組織?施設?のパンフレットだったのだけれど、インタビュー記事と音声から、その組織の魅力を引き出す文章をひり出す行為がたいへん面白かったし、言葉に対する自分のものすごく面倒くさくて愛おしい拘りが、まだこんなにあったのかと気づかされたのだった。

そこへきて、このコロナ禍。時間、できた。じゃあ書いてみようってなって。

物語にしたいと思って頭の中で作ってきた世界は、すでに出来上がっていた。でも、それを実際書き起こし始めたら、最初に思い描いていた物語からどんどん違う方向へ進んでいく。いまは主人公の性別まで当初の予定から変わってしまった。よもや、主人公が違う人になりそうな勢いで脇役が主張をはじめてる。これよ、この勝手に動き出す感じ。懐かしい。楽しすぎる。

問題は、ずっと書いていなかったせいで、書くための技術がすっかり衰えていることよ。語彙がない!読み返すと、てにをはレベルのことすら怪しい!読むこともさぼってたもんなー。育児と仕事に追われて(とばかり言い訳してるけど、育児と仕事が忙しくても読む人は読んでる!)ここ何年も、年に1~2冊くらいしか小説を読まないで生きてきてしまったのだ。むー、ゆゆしき事態。

書くことに並行して読むことも再開しようと、小説を読みはじめた。もはや知らない作家さんがいっぱいだー。なんという勉強不足。10年のブランク、大きい。

でも、再開するのだ。書きたい気持ちがある限り。

自粛生活を記録しておこうと

どっぷり自粛生活を送っています。

前回の記事を書いた後から、パートの仕事も在宅でさせてもらうことになり、ここ10日ほど、本当に家から出ることの少ない生活(一応、体を動かさねばと思って少しは出る)。夫も今は在宅勤務で週一回くらいどうしようもないときだけ出社。子供たちはもちろんずっと休校。
まあつまり家族みんなで70平米ちょいのマンションに籠ってるわけで、私これたぶん耐えられないなーと最初は思ってたんだけど、案外アリになってる。そもそもよく考えてみたら、引きこもり気質は十分に持ってる。子供たちも、お母さんが家にいるというだけで割と落ち着いてる。コロナ離婚とか言われてるけど、普段から離婚危機の多い夫との関係も、基本的には事件がないので距離感さえ間違わなければ凪の状態。夫は時間あれば普通に家事をやる人というのも大きい。あれ、これ案外快適だ。
そんな私の一番の問題は、最小限の買い物で1日3食、4人分の食事を作る(献立を考える)というのはさすがに苦行!ということくらいで、でも別に食うに困ってるわけじゃないし料理自体は好きだし。近所の美味しい店がテイクアウトを始めたので利用したい気持ちも山々なのだが、あんな美味しいもの子供達にはもったいないし(鬼)、とりあえず夫婦ともに職は失ってないとはいえ日本自体いつどうなるかわからない状況であるのは確かだから財布の紐はゆるめないでおきたいというこで、結局自炊自炊自炊の毎日。ネタが尽きるんだけど、うちの家族で私以外は全員、おいしければ毎回そのメニューでも全然良いよ!ってタイプで、私だけが、どんなにおいしくても続いたら飽きて死ぬタイプなので、つまりは自分のためなので、、、がんばろう、、、
しかしまあ、夫も私もテレワークで、子供たちの習い事も最初こそ休校だったけど今はなんでもオンライン授業(もう小学校もオンラインでいいんじゃ?)。そして私は、もともと結構使ってたけど、これを機にほぼキャッシュレス決済でしかお金を払わなくなった。新しい時代が来ちゃってる感すごい。
明るい話ではないんだけどね。でもたぶん、人間の暮らしが変わっていかなきゃいけないんだろうから、しなやかに変化できる自分でありたい。

元気ではあるけれど

パート先で先週、同じ島の社員さんが三人同時に退職するって聞かされて、それもその三人のうち一番若い人が私と同い年という割とベテランな人たちなので、なにそれコロナ関連リストラなの?それとも単にブラックなの?どちらにしてもこの会社ヤバいんでは?と震えています。もともと人の出入りが非常に激しい会社であることには気づいてたし、まあヤバいのはヤバいんだろうけど、給料とかは普通に出るし融通もきかせてもらえてるから1年働いてきたけど、これはそろそろ潮時なのではないか。でもこのタイミングで新しい職探しは難しそうだし、今さらこの収入がなくなるのも、困る。というわけでモヤモヤしたままテレワークに突入したよー!大丈夫かな。

個人事業のほうも、イベント中止などにより停滞気味だけど、イベント中止てのは出費も少なくなるし、奇しくも昨年末から無駄と思われていた固定費のカットを推進していたので、案外トントン(とはいえ、本来なら固定費カットにより利益倍増となっていたはず…)。
私は元来カネにはそんなに執着ないのだが、子育て中となると話は別で、この東京で不自由のないように子供を育てようと思ったら、すごく贅沢とかをするわけでなくても、やはり思った以上にかかるから、お金は大事だよー。

それでも今非常に私の中で揺らいでいることがあって、それは「そうまでして東京にしがみつくのか?」ということ。

東京に出たいと思って出たし、ここに住みたいと思って今の場所に住んでいる。だけど、この自粛生活で痛感した、人口密度の高さ、イコール危険の多さ。そして、夕方から朝まで家族で過ごすくらいなら特に気にならないマンション生活も、朝から晩まで家族みんなが揃っていると、とたんに狭くなること。子供が乳幼児だったころは、そんなに気にならなかったけれど、今やPは5年生、Qも2年生。それぞれにパーソナルスペースでもないと、喧嘩も絶えないという仕様。家に庭があって、少し遊べたりしたら、それだけでも違うだろうに、うちには狭いベランダしかないし。かわいそうだなと思っている。

もちろん、私だって息が詰まる。いや、実はド田舎の大きめの一軒家で育ってしまった自分自身が、一番今の状況に適応できてないかもしれない。

うーん、庭のある広い家に住みたい!

コロナ収束してまた普通の生活に戻ったら、それはそれで何とかやっていくのかしら。でも最低でもやっぱり今のマンションをリフォームしてみんなのプライベートスペースを作ったほうがいいと思うな。それにはお金がかかるので、仕事…どうなるんだろう…(最初の話に戻る)。

とりとめもなく、つらつらと書く20年の私的なこと

いやーなんかアホのように自分が書いたテキストサイトとかなんとかの過去ログを読み漁ってしまったわ。理由もきっかけも、あるにはあるが、その理由やきっかけはずいぶん前に自分に起こったことであり、なんで今更になって過去を繙くことになったのかっつうと、この新型コロナウイルス問題で時間ができたからである。

時間がね!

できたのよ!

仕事がいくつも飛びまくり、子供たちは少し手を離れ、今の私は久々に少し自由。とはいえ、遊びにゃいけないし、仕方ないので、目を逸らし続けてきた自分の過去に、向き合おうかなーなんて、いや、そんな大層なことでもないか。

仕事仲間と新型コロナのこと話してた時、2020年には大きな変革があるってずいぶん前から言われてたけど、まさかこんなことだったとは、と彼女は言った。確かに聞いたことがあった、人々の価値観とか意識がガラリと変わっていく2020年説。言うてもそう簡単に価値観や意識なんて変わらないだろうと思っていたけれど、ここまで大きな世界的な問題に苛まれるとくれば、そりゃあ人間、変わっていくはずだ。

それを言うと、私がテキストサイトなんてものを夢中でやっていたちょうど20年前の2000年も、なんだか変革の年だった気がする。少なくとも私の人生、ここで大きく転換してた。どうしたって、人生の岐路と言わざるをえない年だった。

そういえば昨年、20年前に別れた――つまり変革前に付き合っていた男から、突然メールが来たのだよね。最悪な終わり方をした恋人だというのに、懐かしいと思ってメールをするくらいの時間が流れたのですね。最悪な終わり方というのは、私が自分の変化についていけてなくて、うまく伝えられなかった結果なのだと今ならわかる。冷静に思えば、ちゃんと私の恋が冷めた瞬間というのは実ははっきりとあって、それはあの人ともあの人とも出会う前の話で、私は冷めた時にそれを伝えて別れていなければいけなかったのだ。それを言い出せないうちに、私は私の人生を変えかねない複数の人たちと立て続けに出会ってしまい、物理的に彼と離れている間に、何かが動き始めてしまった。そうして完全に私が変わってしまったあとで、別れを告げたものだから、まあ平たく言えば、さんざん浮気をした挙句、別の男に乗り換えた…みたいな…うわー平たく言ってしまうと最悪だな20年前の私☆

その因果に対する応報も私は結構ちゃんと受けてきていると思っていて、痛い苦しいことも多々あった20年。その挙句、今は修行僧のような恋をしているよ。修行僧が恋をするのかどうかは、知らんけど。うん、でもまあ。結婚しても子供いても、気持ちとしては、恋はするよ。たぶんずっと、するよ。でも、修行僧だからね。相手はもはや、人間じゃないかもしれないね。

小説も、すっかり書かなくなって久しいのだけれど。これも単に時間がないからであって、息子が生まれてからかれこれ10年、書いては投げ、書いては投げしてきた欠片はいっぱいある。今、書きたい気持ちも、ネタも、揃ってる。過去ログと一緒に、自分が過去に書いた小説も読んでみたけど、上手いなお前。んで、結構おもしろいな。と、素直に驚ける私がいた。小説を書きたい機運が高まってるところへ、時間ができた。転機って、きっとそういうもの。

20年前の今頃、私はたぶんワクワクしていたけれど、2020年3月30日現在は、まだまだ、世の中がどうなっていくかわからない。でも、そう遠くない未来に、きっと何かが変わっていくだろうという、悪くない感じの予感はある。あ、こういうのワクワクっていうんだっけね。