ベロニカ学習帳。

文京なんちゃらのなれの果て

元気ではあるけれど

パート先で先週、同じ島の社員さんが三人同時に退職するって聞かされて、それもその三人のうち一番若い人が私と同い年という割とベテランな人たちなので、なにそれコロナ関連リストラなの?それとも単にブラックなの?どちらにしてもこの会社ヤバいんでは?と震えています。もともと人の出入りが非常に激しい会社であることには気づいてたし、まあヤバいのはヤバいんだろうけど、給料とかは普通に出るし融通もきかせてもらえてるから1年働いてきたけど、これはそろそろ潮時なのではないか。でもこのタイミングで新しい職探しは難しそうだし、今さらこの収入がなくなるのも、困る。というわけでモヤモヤしたままテレワークに突入したよー!大丈夫かな。

個人事業のほうも、イベント中止などにより停滞気味だけど、イベント中止てのは出費も少なくなるし、奇しくも昨年末から無駄と思われていた固定費のカットを推進していたので、案外トントン(とはいえ、本来なら固定費カットにより利益倍増となっていたはず…)。
私は元来カネにはそんなに執着ないのだが、子育て中となると話は別で、この東京で不自由のないように子供を育てようと思ったら、すごく贅沢とかをするわけでなくても、やはり思った以上にかかるから、お金は大事だよー。

それでも今非常に私の中で揺らいでいることがあって、それは「そうまでして東京にしがみつくのか?」ということ。

東京に出たいと思って出たし、ここに住みたいと思って今の場所に住んでいる。だけど、この自粛生活で痛感した、人口密度の高さ、イコール危険の多さ。そして、夕方から朝まで家族で過ごすくらいなら特に気にならないマンション生活も、朝から晩まで家族みんなが揃っていると、とたんに狭くなること。子供が乳幼児だったころは、そんなに気にならなかったけれど、今やPは5年生、Qも2年生。それぞれにパーソナルスペースでもないと、喧嘩も絶えないという仕様。家に庭があって、少し遊べたりしたら、それだけでも違うだろうに、うちには狭いベランダしかないし。かわいそうだなと思っている。

もちろん、私だって息が詰まる。いや、実はド田舎の大きめの一軒家で育ってしまった自分自身が、一番今の状況に適応できてないかもしれない。

うーん、庭のある広い家に住みたい!

コロナ収束してまた普通の生活に戻ったら、それはそれで何とかやっていくのかしら。でも最低でもやっぱり今のマンションをリフォームしてみんなのプライベートスペースを作ったほうがいいと思うな。それにはお金がかかるので、仕事…どうなるんだろう…(最初の話に戻る)。

とりとめもなく、つらつらと書く20年の私的なこと

いやーなんかアホのように自分が書いたテキストサイトとかなんとかの過去ログを読み漁ってしまったわ。理由もきっかけも、あるにはあるが、その理由やきっかけはずいぶん前に自分に起こったことであり、なんで今更になって過去を繙くことになったのかっつうと、この新型コロナウイルス問題で時間ができたからである。

時間がね!

できたのよ!

仕事がいくつも飛びまくり、子供たちは少し手を離れ、今の私は久々に少し自由。とはいえ、遊びにゃいけないし、仕方ないので、目を逸らし続けてきた自分の過去に、向き合おうかなーなんて、いや、そんな大層なことでもないか。

仕事仲間と新型コロナのこと話してた時、2020年には大きな変革があるってずいぶん前から言われてたけど、まさかこんなことだったとは、と彼女は言った。確かに聞いたことがあった、人々の価値観とか意識がガラリと変わっていく2020年説。言うてもそう簡単に価値観や意識なんて変わらないだろうと思っていたけれど、ここまで大きな世界的な問題に苛まれるとくれば、そりゃあ人間、変わっていくはずだ。

それを言うと、私がテキストサイトなんてものを夢中でやっていたちょうど20年前の2000年も、なんだか変革の年だった気がする。少なくとも私の人生、ここで大きく転換してた。どうしたって、人生の岐路と言わざるをえない年だった。

そういえば昨年、20年前に別れた――つまり変革前に付き合っていた男から、突然メールが来たのだよね。最悪な終わり方をした恋人だというのに、懐かしいと思ってメールをするくらいの時間が流れたのですね。最悪な終わり方というのは、私が自分の変化についていけてなくて、うまく伝えられなかった結果なのだと今ならわかる。冷静に思えば、ちゃんと私の恋が冷めた瞬間というのは実ははっきりとあって、それはあの人ともあの人とも出会う前の話で、私は冷めた時にそれを伝えて別れていなければいけなかったのだ。それを言い出せないうちに、私は私の人生を変えかねない複数の人たちと立て続けに出会ってしまい、物理的に彼と離れている間に、何かが動き始めてしまった。そうして完全に私が変わってしまったあとで、別れを告げたものだから、まあ平たく言えば、さんざん浮気をした挙句、別の男に乗り換えた…みたいな…うわー平たく言ってしまうと最悪だな20年前の私☆

その因果に対する応報も私は結構ちゃんと受けてきていると思っていて、痛い苦しいことも多々あった20年。その挙句、今は修行僧のような恋をしているよ。修行僧が恋をするのかどうかは、知らんけど。うん、でもまあ。結婚しても子供いても、気持ちとしては、恋はするよ。たぶんずっと、するよ。でも、修行僧だからね。相手はもはや、人間じゃないかもしれないね。

小説も、すっかり書かなくなって久しいのだけれど。これも単に時間がないからであって、息子が生まれてからかれこれ10年、書いては投げ、書いては投げしてきた欠片はいっぱいある。今、書きたい気持ちも、ネタも、揃ってる。過去ログと一緒に、自分が過去に書いた小説も読んでみたけど、上手いなお前。んで、結構おもしろいな。と、素直に驚ける私がいた。小説を書きたい機運が高まってるところへ、時間ができた。転機って、きっとそういうもの。

20年前の今頃、私はたぶんワクワクしていたけれど、2020年3月30日現在は、まだまだ、世の中がどうなっていくかわからない。でも、そう遠くない未来に、きっと何かが変わっていくだろうという、悪くない感じの予感はある。あ、こういうのワクワクっていうんだっけね。

 

困窮…?

時間の経つのが早すぎる。

11月12月と本当に死ぬほど忙しかった!!で、年末年始はひと休みしたものの、1月の後半からまた忙しくなって、つまり忙しい。忙しい以外に言うことないっていうくらい忙しい。忙しぶりたくはないので余裕の態度でいるよう心掛けているものの、内心常にテンパっているし心が死んでると思う。鬱とかではなく、ただただ疲労困憊している感じ。

先日、2月に入って遅ればせながら家族で初詣に行った。

そこで絵馬を書くことになり、「なんて書こうかなあ」と悩んでいたら(心が死んでるので希望が見えない)、Qさんに「仕事が減りますように…?」と提案され、あコレ結構まずいわあと思った次第。余裕の態度でいるよういくら心掛けているつもりでも、小1女子に「テンパってる」とあっさり見抜かれているのだから。

仕事は好きだからやっているんだし、そもそも仕事が減ったらお金にもならなくて困るんだよねーといったら、「そりゃそうか」と笑っていたけれど。

現実問題、Pが受験のため塾に通い始めたので、二足のわらじ状態をやめるわけにもいかない。個人事業の利益は、事業のさらなる発展の糧にしたいので、今のところ家に入れるつもりがないのだ。となると、週2回のパートで、塾代プラスちょっとしたお小遣い分くらいを稼がなければ。しっかし週2パートに出たうえに週2くらい休もうと思ったら、3日で個人事業を回していくことになるけど...無理...。で、気づくと休みがねえ。

冷静に考えれば、個人事業とパートのほかに、学校関係や子供の習い事とかのなんやらがあったり、親戚行事とかそういうのもちょいちょい入ってきたりで。純粋に休みといえる日って月に1日か2日くらいしかない。で、せっかくの休みくらいちゃんと休めばいいのに、うっかり友人誘って飲みに行ったりしてしまう。自分で自分を追い詰めてるな...。

世の流れに従って働き方改革?しなきゃいけない時期だというのは、よくわかっております。まずは、個人事業の全部ひとりでやっている部分を、外注するところからだなと。お金の回し方、上手になりたい。

週報どころか季節報

週報でも書くかとか言って85日ぶりとかフフ。飛ぶように、夏が過ぎてったわ。

仕事は順調なような気もするけど、もはや忙しすぎてよくわからない。売上が忙しさに比例していないため、測れないのだ。金にはならぬが、ご縁は増えているもよう。いつか、いつかのためにと言って、5年くらいずっと人から人へ渡っているだけな気もする。

千葉の台風、実家はそこそこ大変だった。

Pがとつぜん中学受験する決意をした。周囲もそんな雰囲気になって、教えてもいない「偏差値」なんて言葉を使うようになったタイミングで、わりと近くで評判がよく、気になっていた学校の文化祭に行ったら、「自分に合いそう」と思ったみたい。私も、Pが中学生になったみたいな子がいっぱいおる、と思ったよ。その前の週に、もう少し難関の学校の文化祭にも行ったんだけど、そこは本当に賢そうな子ばっかりで(文化祭に来ている小学生すらみんな賢そう)、神が采配を間違えてPがこんなところに入ったら、6年間ついていくだけでも難しいんじゃないかというレベル。
ただし、受験を決意しただけで、勉強を始めるわけではないあたりがPクオリティ。やっぱり受験塾は必須?でも、行きたい学校は別に難関でもないんだ、かといってチョロいわけでもないけど。まあ中堅? のんびりしてて入れるとは思わないけど、そこまで必死にならなきゃ入れないとも思えないんだよな。甘いかな。
Pの仲良しグループの皆はたいがい中受するんだけど、中でもひときわ賢いTくんに色々受験のこと聞いてきなよって話したら、素直に聞いてきた。Pが受けたい学校も「まあまあいい学校だよ」と言われたと無邪気に喜ぶP。んで、Tくんはどこ受けるのかなーまあ当然御三家でしょうなーと思ってたら、まさかの灘中ですと。東京ですらなかった。

そうそう。私はといえば、以前からなんだか腰の調子が悪くて、整骨院なんかには行ってみたものの、なかなかよくならず。いよいよ整形外科に行って診てもらったところ、出産時にずれた骨盤が今さら悪さしていることが判明。思えば産後いろんな調子が悪くなったけど、年齢も年齢だし、産後は体質が変わるって言うしなーと、黙認していたのが悪かった。Pの産後は一応骨盤矯正も通ったんだけど、Qの産後はそんな暇もなかったしな。トコちゃんベルトなんかきれいなうちにと思ってヤフオク行きよ…

で、今さらリハビリ通いしているよ。産後の皆さんは、骨盤しっかり戻して下さいね。お願いだぞ!

中学受験するべきか否か

タイトルの通り悩んでいることを記録しておこう。

Pが小4になり、周りの子たちは気づけばみんな通塾を始めていたー!いやー、わかってるけどさ。小3の終わりから中学受験始まるよって散々聞かされてきたけどさ。でもやっぱ現実ベース、ついていけてない愚かな自分…

そもそも中学受験に対してあんまり前向きになれない理由、その①
私は実は中学受験のために通塾していて、でも結局「別にそんな学校行きたくないし」で受験をしなかった立場で、公立中から高校受験をしたのを正解だったと思うから。もちろん30年前の千葉と令和の東京では状況が違うってのはわかるけど、公立中に行ったからこそ、いわゆる底辺から上は結構上位な感じまでバラエティに富んだ知り合いがいて、彼らの人生、40過ぎたところで改めて見ると、結局幸せな人生を歩めるかどうかは本人の適正次第だって思う。どっちに転がっても、成功例も失敗例もある。

そもそも中学受験に対してあんまり前向きになれない理由、その②
私とは逆に、夫は通塾せずに中高一貫私立にしれっと入ってしまった人で。当然高校受験はなく、高校3年の半ばまで部活にいそしみ、ダメ元で受けた大学に受かって…と、まったく挫折することなく(といったら本人はたぶん否定するけど)生きてきたせいか、すげえ恵まれているのに、打たれ弱くて生きにくそうだとつくづく思うから。それは本人の資質の問題であって、中学受験のせいじゃないかもしれないけど…

そもそも中学受験に対してあんまり前向きになれない理由、その③
なんにせよ私は断然共学推しなので(これもやはり男子校育ちの夫が、女性についての認識がファンタジーすぎるところがあると思うから)(ただしPの場合は妹がいるのでその点少し違うかもしれない)、そもそも中受できる共学校が選択肢として少ないからあんまり興味が持てないというのも。

そもそも中学受験に対してあんまり前向きになれない理由、その④
現在住んでいる学区の公立中、ぶっちゃけ30年ほど前には荒れてどうしようもないことで有名だったらしいが、今はモデル校として区が力を入れてくれているため、そこそこ良い学校だし、都立高などへの推薦も結構あるらしいから。私自身、小学校のときは勉強「そこそこ」だったのが中学に上がってから「できる子」になったのもあり、Pも遅咲きなんじゃないかという淡い期待も込めて。

そもそも中学受験に対してあんまり前向きになれない理由、その⑤
P自身が、通塾したくない理由がはっきりしていて「遅い時間まで塾にいるなんてありえない」という。実はこの人、20時半には就寝して朝は5時半起きという完全朝型男で、現代社会に体がついていってないといえばそうなんだけど、逆にすごく正しい体内時計を持っている。睡眠の大切さを本能で知っているようなところもある。これを崩したくない。ただしこれについては、通塾無しで中受というルートが、まあ多くの人はあり得ないと思うだろうけど、選択肢としてはあるんじゃないかと思う。

だけどやっぱり中学受験したほうが良いんじゃないかと思う理由、その①
Pの仲良しダンスィーズは軒並み中受しそうで、地元の学校に行っても本人がつまらない思いをするのではないかという懸念。

だけどやっぱり中学受験したほうが良いんじゃないかと思う理由、その②
ほんのり、ここに受かるなら行かせてみたいなあと思えるような学校も、あるにはある。これがまた超難関というほどでもないから、ちょっと頑張ればいけるのでは?と思ってしまう…けど…まあそんなに甘くないんだろうな。

結論としては、まだ全然迷ってるというところなんだけど、現時点で小4の夏期講習も申し込みそびれた感じだし、どうなることやらだぜ。

タピオカ売りの少女

週報書くとか言っていきなり次の日も日記を書く私はやる気がありすぎて困る。
今日は子供らが卒園した幼稚園の夏祭りで、卒園して1年目のフレッシュ卒園生であるQは同窓会気分もあり、普段朝にまったく弱いくせに今日は早朝から「浴衣早く出して」と私を起こしに来るという気合いっぷり。

で、朝食後おもむろに浴衣を出してみたら、見事につんつるてんでワロタ。仕方ない、急遽買いに行って事なきを得る。
で、その後もいろいろあってあっという間に午後。卒園したのにまだ駆り出される私は、幼稚園へいってタピオカ売りと化したのだった。売るのはいいけど作る人は別で、なんかタピオカ茹でるの失敗したっぽくて、ちょっと大変だった。まあ作ったの私じゃないし、売れる分は全部売り切ったからいいや。
ところで、卒園してからようやく自分の時間ができて頑張ってダイエットした私。令和に入ってから禁酒していることも功を奏して、5kgほど落としたのだが(だけどまだ道半ば)、久々に会ったQさんの同級生ママたちから「卒園しても園行事に駆り出されてあんなにタピオカ売らなきゃいけないなんて…そりゃストレスで痩せるよねー」と噂されているらしいと聞かされて草。タピオカを売って同情されるって…

週報でも書こうかね

あれっていつのことだっけ、と思うことがあって久々に自分のはてダのログを探して、ちょっと読んでたら面白かったので(めっちゃ自画自賛)、だけど自分でも忘れていることばかりで、やっぱり日記を書こうと思ったね。つっても毎日は書けないから週1くらいでなんとかしていきたい。

はてなブログの空気を読まずに今週のことを書く。

■0708
パートの日。お昼は弁当持参。先週ずっと便秘だった恨みを晴らすような排出DAYであった…。昨夜見れなかった「あなたの番です」をTVerで観たあと録画も観て、ついったの考察たちを見て回った。トッキュウ4号(私のなかで横浜流星はいまだにこの呼び方…時間の流れに乗れてない)の人気がすごいわね。

■0709
仕事は休み。明日の出張講座の準備をしながら、録画の「いだてん」鑑賞。今回も泣く。シマちゃん先生の想い…!はーもう、ここんとこ、いだてんには泣かされっぱなしだわあ。他にも観たいドラマいっぱいあるんだけど、どれ観るか悩んでるうちにどんどん今期のドラマ始まってて1話を見逃しててつらい。夕方、ハーブティーお届けにいくついでに鳥新で焼き鳥を買ったりした。仲宿たのしい。

■0710
午前中、出張講座。ひさびさのメディカルハーブ検定対策講座。ハーブのマニアックな学術的な話をできるのは(検定対策でもなければ普段はみんな難しい話についてきてくれないので)たーのーしーいー。午後、生理痛で倒れる。夕食は冷凍のハンバーグで失礼させていただいた。あ、あと納豆の日だというので納豆オムレツだけは作ったった。

■0711
パートの日。セキュアブートの解除がなぜか上手くいかず、半日かけていろいろ難しい文章を読み漁って調べたけど、結果としては大した原因じゃなくて、ただ頭が重くなってドライアイが深刻化。お弁当を作る気力がなくお昼はドトールカルツォーネ ごろっとチキンと野菜のカポナータ、美味しかったよ。天気予報では夜から雨だったはずなのに昼から降ってて、しかしPがスイミングなので連れて行かなければならず、雨の中カッパ着て自転車。夫が夕飯いらないというし、帰りはそのまま中華やさんへ。Pは醤油ラーメンと半チャーハン、Qは鶏塩ラーメンと半チャーハン、私は麻婆豆腐定食だが私のごはんはPの胃へ。みんな腹ペコだというが結局完食できないボリュームだった。あ、でも美味しくて、しかも店の客は私たちだけだったけど、出前のスタッフが何度も行ったり来たりしていたので、今度は出前でいいよと思った。

■0712
Pが朝から具合悪く学校を休む。やはり雨の中自転車でスイミングが悪かったか?しかし今日はランチがてら打ち合わせの予定だったし、Pは赤子のころから具合悪くなるとひたすら寝る男なので、寝かせておいて(一応食事は用意して)打ち合わせへ。はーしかし梅雨長いなー。打ち合わせではマシンガントークに撃たれっぱなしの私ですが、まあ基本いつでもどこでも誰とでもそうなのでノー・ダメージ。肝心のハーブティーについての話は数分だったけど、向こうも「それは全面的におまかせ」とのこと。帰宅したらPは少し調子を取り戻したようで、明日から3連休で夏休みまであと4回しか学校にいけないと気付いて「学校行きたかった」と泣く。気づくのおせーわ!粗大ごみに、こたつ布団(もう何年もこたつ使ってない)と、ベビーチェア(現在は物置と化している)を出した。すっきりんこ。