ベロニカ学習帳。

文京なんちゃらのなれの果て

お久しぶりの吐き出し。
昔懐かしい知人からメッセンジャーで連絡が来て、「この人から連絡来るなんて誰か死んだ時ぐらいなのでは」と思ってメッセージ見たらほんとに共通の友人の訃報だったので凹んでいる。しかも、もう二年も前になくなっていたのだという。
亡くなった友人は、大学時代それなりにたくさんの時間を一緒に過ごした男友達の一人で、惚れっぽかった私にしては珍しく、この人にたいしての気持ちを恋愛的な意味だと勘違いしたことはなかったものの(むしろ今回連絡をくれた人のほうが色々あったんで、気まずい)、でもさ、なんか大好きだったんだよ。
向こうは私のこと、よくわからんが自分になついてくる犬みたいなもん、くらいにしか思ってなかったかもしれん。けど、それがまた良かった。実際私は、そんな感じで彼を好きだったのだから。
卒業してからも何回かは、みんなで集まる機会があって会ったけど、20年のうち2〜3回くらいかな。すごく親しかったグループとは別だったし、たしか向こうも結婚したと聞いた気がするし、あえて個人的に連絡したり会ったりすることはない。そうしたいと思ったことも。
だけど、今でも時々、本当に時々だけど、あいつ今頃どうしてるかなーと考えてた。そう思うくらいの人だった。
あれ、こうやって書き出してしまうと、なんだか薄っぺらくてもどかしいな。でも、私にとってはこれってたぶん、彼は少しだけ特別な存在だったのだと思う。
もともと会うこともなかったのだし、私が時々思いを馳せていた間にももうなくなっていたのだし、だったらそれは今後も変わらないので、私の中で彼は変わらず生きているといって良いのだけれど、それはそれで、現実との乖離がつらいなあ。ずっと会ってないのに、もういないっていわれると、信じられない。
ちゃんとお線香をあげて、ちゃんと泣いて、ちゃんと悲しんだら、良いのだろうか。気がすむだろうか。誰かと、彼についての思い出話でもしたら、現実味が出てくるのだろうか。よくわからないな。
今回この連絡をくれた知人の用件は、彼の写真を持っていないかということだった。私はよく一緒にいたし、よく写真を撮っていたから。
写真、あると思う。たぶん天袋に突っ込んだ、「黒歴史」って書かれた段ボールの中に当時のものが入ってる。高校から大学時代って、最高に調子のってて怖いもの知らずで楽しかったけど、あとからふりかえればふりかえるほど痛くて恥ずかしい時期でもあるので、あれを繙くのはこわいんだよ正直。
でも、あの頃を一緒に過ごした君を、探さなきゃね。ちゃんと思い出して、そしたらちゃんと、現実と向き合おう。