ベロニカ学習帳。

文京なんちゃらのなれの果て

腕時計を買った。18歳くらいのときにポケベルを持ち始めてからこちら、腕に時計を一切つけなかった私が。
もう人生のうち半分くらい腕時計なしで生きてきたので、現在のところ私の体は、腕に時計があることを正しく認識できておらず、時間を確認するのに携帯を鞄から取り出す癖はいまだ継続中。無駄!
だけど、たぶん意味があるんだよ。
社会復帰した当初、私は産後ボケをしていると思ってきたけれど、考えてみれば産後どころか結構長い間、社会的には隠居みたいな生活をしていたのだった。もちろん仕事はいろいろしていたし、自分のやっているひとつひとつの作業には責任を持ってきたつもりだけれど、それはあくまで歯車としてきちんと稼動することに心を砕いてきたということだったのだ。実際、誰かがまわしてくれる歯車として働くことを望んだから2つ目の会社を辞め、それ以来、正社員として働かないことにしたのだし。(正社員だって歯車なんだけど、それでも全然違うものだよ。)
ゆるゆると社会と関わりを持ちつつも自由な身の上でいたからこそ、二足のわらじで作詞をやったり、片手間で文芸サークルを立ち上げたり他いろいろできたわけだけれど、要はがっつり社会に関わってがっつり社会に振り回されることを私は避けていたのだなあ、と今になって思う。
もしかしたら多くの人がそうなのかもしれないけれど、私の原動力はたぶん、人を見返したいという気持ちによって火がつくのだろう(文章力向上委員会のシステムも、そういう性質を利用したものだった)。ここ10年ほどは、自分にとって心地よい友人ばかりを選んで付き合ってきたけれど、今の私をとりまくのはそうじゃない人のほうが多数、というか、歩み寄ろうとしても理解しがたい人たちばかりだ。で、そういう人を私は何か実績を示して黙らせたいのだと思う。
だから社会に関わってわけのわからんいろんな人と関わるようになると、自然とアグレッシブになる。そんなわけで武装が必要となった結果、服の趣味が変わったり、身に着けなかった腕時計を着けるようになったんだろう。
本当は、Pが小さいうちは今までどおりゆるゆると社会と関わっていくつもりだったのだけれど、どうやら今の会社はそうじゃなかったわー。ある意味ブラックだし。
でもだからこそ、小さな歯車ではいられなくなった私は、ひとつのプロジェクトについて責任を持たされることになった。絶対に断れない鶴の一声だった……。
ただラッキーなのは、その中身が、私が今までやってきたことの集大成にもなり得る仕事だということだ。下手すると(?)今まで場所も中身も転々として経験したいろんな種類の仕事が、ひとつの線として繋がってしまう大団円コースにもなりかねん。素で「人生に無駄なことなんて何ひとつないんだなあ」とか思ってしまうよ。まあ、この仕事を成功させれば、の話だけど。
履歴書の提出もないまま採用された私のこまかい経歴を社長が知る由もなく、ほぼ偶然こんな仕事が任されたようなものなので、これはもう神様が「お前そろそろ人生ちゃんと動かそうぜ」と背中を押しているのではと思ってしまうのも無理はないよね。だから会社のためだと思ったらいろいろむかつくけど、今後の自分へのとっかかりとして、この仕事は絶対に成功させたい。
とまあ、なんだかだらだら書いてみたけど、10文字以内に要約したら『今は仕事が楽しいです』ってことです。あ、これならツイッターで充分だった!