ベロニカ学習帳。

文京なんちゃらのなれの果て

仕事は今までになく(というと今まではなんなのと言われそうだが)結構頑張ってやっている。週4×6時間の割に、ただのパートの割に、家に帰ってもいつでも仕事のことを考えてたり。私は公私混同というのを絶対にやりたくないというポリシーで今まできたので絶対やらなかったのに、家に仕事持ち帰って作業したり(無給なのに!)。ただそれだけなんだけど、すげえ働いている感だよ。
そんで今になって、なんだか立ち止まって半生(?)をちょっと振り返ることができるようになったのだけれど、そういえば私は、いろんな仕事をしてきたのだ。
社員1〜2名の零細企業から、グループ全体で数十万人の超大企業まで経験した。純日本企業も、思いっきり外資系も経験した。アルバイトも正社員も契約社員派遣社員も嘱託社員もフリーランスも経験した。年上の部下を持ったこともあるし年下の上司についたこともある。派遣ひとつとっても、単発や短期や長期などいろいろあったし。これだけいろいろ経験していると言うことは、つまり何ひとつ長続きはしていないのだけれど、でもこれだけいろんな形でいろんな会社と関わってきたということは、もしかしたら財産かもしれないと今なら思える。
なんとなく今の会社は、大学を出て一番最初に就職した会社にすごく体質が似ている。23歳の私には許せないことばかりだった社長のやり方だけれど、あれで悪くないところもあったのだな、というのは今にしてようやく思えること。もっと社会の仕組みを知っていたら、あの会社でもっと長く働けたかもしれない(でもどっちにしても2年後くらいに会社潰れたから大差ない)。でもあの会社にずっといたら、とても世間知らずのままだったかもしれない。不思議なもの。
だから何が言いたいかと言うと、大学を卒業してからここに至るまで13年かかったけれど、別に私は遠回りしたわけじゃないんだろうな、というか。私がもっと賢かったら、もっと早く今の状態になっていたのかもしれないけれど、私の能力では13年かかってしまったということなんだと思う。
今の状態は、最善でもゴールでもない。ここからさらに先に行かなきゃ意味がないんだけど、少なくとも今は「何をしたらいいのかわからない」状態をようやく抜け出せたような気がする。やるべきことが、目の前にいっぱい見えている。これはとってもありがたいことだ。
「思う」とか「気がする」ばかりだけど、少なくとも今の私はそう感じているということを一応記録しておこうと思って書いた。40歳過ぎてこれを読み返したときに、どう思うんだろう。ちょっと楽しみ。