ベロニカ学習帳。

文京なんちゃらのなれの果て

大学時代の就職活動をふと顧みる機会があったので、思い出すまま書く。
22歳。とにかく単純に家を出たかった私は、何でもいいから就職しようとは思っていた。けれど、社会のためにできることもしたいことも思いつかなかったので、就職活動はめちゃくちゃだった。今思うと結構すごい人にコネがあって話をさせてもらう機会とかあったのに、とんちんかんなことばかり言って「(そんなに働く気がないなら)君は就職しないで小説書いてろ」と切れられたこともあった。面接中に「なんでうちの会社受けたの?」と笑われたことも、一度や二度ではない。今思うとあまりに世間知らずで恥ずかしい。
そうは言いながらも、いくつか訪問してるうちにここで働きたいなーと思うような会社が見つかった。仮にA社とするけれど、A社の人は私を笑うこともなかった。たぶんフィーリングが合っていたのだろう。面接はトントン拍子に進み、何度か通ううちに受けてる人たちとも仲良くなって、A社でみんなと働けたらどんなに楽しいだろう。と。思いました。が。なんと最終面接でまさかの敗退。(仲良くなった子たちも揃って敗退。結局、みんなで残念会をやったのを最後に連絡も取り合わなくなってしまった。)最終面接なんて意志確認ぐらいのもんだと思っていたし、もうこの時点ではほかで働くなどと考えられないほどA社を愛していたので、振られたショックは非常に大きかった。実は10年以上経った今でも未練があって、時々A社のサイトを見ては苦い気持ちになっているほどだよえーんえーん。
まあ結局それで就職する気がなくなって、ならば今から卒業までにがっつり金貯めて家を出ようと思い、行ったバイトの面接先で新卒も募集してるって話になって、流れで入社試験と面接を何回か受けることになり、結局そこに入社することになった。思わぬところで就職が決まったのは良かったものの、やる気なんかないわけで。愛社精神なんか欠片ほども持てなかった。日に日に会社にいるのが苦痛になって、結局1年で辞めた。でも、そういった経験も含めていろいろ学べたのは事実で、それがこの会社と私とのご縁だったのだと、今は思う。私を拾ってくれたことに感謝してます。もうその会社ないけど。
もし希望通りA社に入社していたら、私は1年で会社を辞めたりしていなかったと思う。そしてそれがなかったら→(風が吹いたら桶屋が儲かる的な流れで)→今こうして腹の中に命を宿している自分もいなかっただろう。どちらがより幸せだったのか、それは神のみぞ知ることよ。でも今が不幸せってわけでもないから、まあどうでもいいや。