ベロニカ学習帳。

文京なんちゃらのなれの果て

デッドエンドの思い出 (文春文庫)/よしもとばなな

久々に「やられた」と思った作品集。
この作品とは関係ないのだが(いきなり関係ない話かよ)、最近よく感じていたことがある。それは、私たちは大きな流れの中で生かされている、という感覚だ。運命というほど甘くなく、宿命というほど重くもなく、ただ「生かされている」。
どこか他人任せな感じがしてしまうけど、たとえば身を切るようなつらい別れがあったり、どんなに努力しているつもりでも叶わないことがあったりする一方で、努力していないところに幸福が降りかかってきたり、思いがけない出会いや再会が人生を切り開いたりすることがあったりするのが、やはり一般の人生にありがちなシーンであり。やっぱり自分の意志とは関係のない力がどこかで働いているような気はするのだ。そしてそれは自分のためというわけでなく、もちろん誰かのためというわけでもなく、ただ「そういうふうにできている」のではないかと思う。(でもこれは、父の死をうまく飲み込むために考えた屁理屈かもしれない)
まあなんにせよ、そんなふうに考え始めた私にとって、この作品集はすごく、思っていたことを言い当てられたような気がする一冊だった。いや、ズバリ言い当てているわけではないのだが、そういう流れをもった人生を描いた物語を集めた一冊であることは確かだ。
表題作だけでなく、収録されているすべての作品に、デッドエンドの思い出を抱えながら生きている人が描かれている。けれど、つらくて悲惨な物語はここにひとつもない。みんな、強くて優しくてあったかい。
この作品集の主人公たちほどではないにせよ、そこそこ年齢を重ねれば、誰だってデッドエンド的な思い出のひとつやふたつくらいはあるものだ。いや、小さな子供にだって、その小さな世界なりのデッドエンドがある(はずだ)。そういうデッドエンドをどうやって処理していくかが、つまり人生ということなのかもしれないなあと、この作品を読んでとても強く思った。
いやもう本当、強くて優しくてあったかい人になりたいものだ。