ベロニカ学習帳。

文京なんちゃらのなれの果て

やさしい関係 (角川文庫)/藤堂志津子

ここ2ヶ月ほど、感触としては面白いと思っているのだがナゼだかさっぱり読み進まない小説があって、ずっとつっかえていた。とうとうそれをギヴしてこの作品を読んだらさくっと読めたので、ああ私のせいじゃなかったんだな、と思う。前置きおわり。
で、この作品。以下、結構イタいよ!
男と女の友情は成立するか、というのは永遠のテーマですよネーとか、10代やら20代のときに軽々しく言ってた自分が恥ずかしい、という斜めな感想をまず書いておきます。
さて、主人公は今の私と同い年のいわゆる喪女、というかまあ一昔前の晩生なお姉さんという感じ(関係ないけど、この主人公が住んでいるのは私らが札幌時代に住んでいたすぐ近くという設定で、勤務先も夫の勤めていたビルの目の前っぽい)。で、あらすじとしては、そのお姉さんが10年来の男友達に急に恋心を感じたり、一緒につるんできた友達のあれこれに振り回されて、結婚でも恋人でもない異性の友達というものについて考える、というお話。
文庫本の裏表紙におけるあらすじでは、「恋という一瞬のときめきか、友情という永遠の休息か?」という究極の選択みたいにまとめられているけれど、それは違うのではないか。恋のときめきが同じテンションでは永遠に続かないということは確かだけれど、友情だって別に永遠に続くとは限らないことぐらい、大人は知ってる。それでもあえて「友達」であることを選ぶんだよ。
そこで前述の斜めな感想に戻るけれど、20代までの私は確かに「下心の存在しない男女の友情はありえない」と語っていた。けれど今は、「それはそうなんだけど、じゃあ下心ってなによ」という新たな課題にぶつかっている。もちろん、下心=おセックスという男女もまだまだ多かろう。でも周囲を見るに、やはり10代20代ほどの勢いはなくなってる人のほうが多く。つうか私はもう確実に減退している(言うな)。
だけど、女友達では満たすことのできない心のある部分を、男友達が満たしているという実感も確かにある。それは、モテたい好かれたい構って欲しい等の単純な欲求とは思えない。もう少し奥深いところにあるかすかな欲求。女友達といくら楽しく過ごしても、そこが満たされることはない。そして、そこが満たされなくても寂しいというほどでもないし、別に死んだりもしない。でも、満たされるとちょっと気持ちいい。そんな感じの。もしかしたら、女性ホルモンが刺激されるとかそういう話なのかもしれん。反論は認める。
まあともかく。それゆえこの物語を最後まで読み勧めていくと、主人公とそのお相手である「男友達」が、お互いに異性として惹かれあっていることを知りながらも「もうしばらく友達ごっこをしているか」という結論に落ち着いたのを(作者は「やさしい関係」としているけれど)、私は奥深いエロスだと感じたりする、のです。おっとなだなー!