ベロニカ学習帳。

文京なんちゃらのなれの果て

#16

母はなんでもすぐ洗脳されやすい人なので、昨日買って帰った本がさっそく効いているようだ。家でできる「がんに効くこと」がたくさん書かれている本。私は、代替医療に縋りすぎることはちょっと違うんじゃないかと感じるけれど、母が父についてネガティブに考えてしまうのがつらい。父が死んだ後のことばかり考えているようなので、そうじゃなくて父はまだこんなに元気に生きているんだよということを考えて欲しいと思う。「癌の人にあれはいけない、これはいけない」じゃなくて「あれが良い、これも効く」という考え方になるだけで、家の中の空気もぜんぜん違う。
今日の飲み屋での待ち合わせ。母と私が先に店について、父は会社から直接。やはり家にいるときよりも、外に出たほうが幾分シャッキリしている父。仕事に行くのも外にでるのも、体がついてくる限りは続けて欲しいと思う。ずっと行きたかった飲み屋に久々行けたこともあり、父はとてもうれしそうだった。私がずっと前から一度連れてってと言っていたところなので、その約束を果たせたというのもあるだろう。普段家では食べないモツを食べられたことにも、満足した様子(あんまり食べさせちゃいけないみたいなんだけど、たまにはね)。また、母がいないあいだにこっそり煙草を吸っていたけれど、これも好きにさせた。というか、母も父がこっそり喫煙しているのは知ってて、「中学生じゃないんだから、こっそり喫わなくても」と笑っている。決して甘やかすわけじゃなく、ちょっと気を抜いたときの一服を、そのホッとした瞬間のやすらぎを、味わえたほうが精神衛生上いいということで見逃してる。
でも、悲しいことがひとつ。
今までまったく気づいてなかった私も私だが、父の脚はすごく細くなっていた。顔やお腹は薬のせいでパンパンにむくんで丸いので、全身を見ると、球体をほっそい2本の棒で支えてる、みたいな状態だ。父が歩くのを難儀だという理由がやっと理解できた。こんな脚で支えられるわけがない。
入院から家での療養生活の間に、筋肉が落ちてしまったせいなのか(もともと父は脚が細いほうだが)。それとも、これも癌の症状のひとつなのだろうか。今はなるべく自分で歩くようにしているけれど、それじゃあ筋肉を取り戻すには全然足りないのかな。脚が衰えてしまうと、どんどん外に出られなくなり、どんどん元気じゃなくなる気がするので、怖い。