ベロニカ学習帳。

文京なんちゃらのなれの果て

#08

母は仕事の日。私もバイトがあるので、家のことを少々やってから、東京へ戻る…と思ってたけど、時間がちょっとだけあったのでちらっと病院に立ち寄ってみた。
父は大腸内視鏡検査を控え腸洗浄剤(下剤のものすごいやつ)を飲み、トイレとベッドを行き来してるとこだった。やはり見た目は元気そう。仕事に行った母のことを「俺の命より1日1万程度にしかならない仕事の方が大切なんだ」と、老人ぽい僻みで一蹴したり……。私も母にはなるべく父と一緒にいてほしいとは言ったんだけどさ、母は母なりに、父がいなくなってしまった後の生活について考えなきゃいけないんだよ。と、言葉にできない。お互い、切ない。
日々衰えを感じるのか、「闘病の手記をまとめることにするから、お前、出版社に売り込んでくれ」などと言い出す。「1冊1000円でも、2万部くらい売れればかなりの印税が入るだろ」って、結構売れるつもりでいるから笑える。
ちょっと気になったこと。喋っているときは普通だし、ちゃんと一人でいろいろできているのだけれど、トイレに行ったあと違う人のベッドに戻ってしまったり、時間を間違えていたりする。すべて、目が見えないせいだと思いたいけれど、新しい症状が出始めてしまっているのかもしれない。でも、もしかしたら昨夜からの絶食で血糖値が足りてないだけかも。なんて、都合が良すぎるかな。
弟1が休みをとって病院に来るはずなのにまだ来ない、と父が怒っているので、「じゃあ弟1に連絡しておくね」と言い残して東京に戻る。バイト先に行く前、通り道にあった金刀比羅宮の東京分社に立ち寄り、なんとなく手を合わせてみたりして。
夜、母に電話したらやけに賑やか。昨日、弟1・2と義妹に「たまに母と飯でも食ってやって」てメールしといたら、早速みんなで飯食うことにしたようだ。ものわかりの良い人たちで良かったわ。
さて。
父は結局、今日の検査でも特に首からしたの異常はみとめられず。で、外科的手術ではなく、ガンマナイフ治療に進むことになった。第1回が来週14日から。比較的早くやってもらえているんじゃないかなと思った。
ガンマナイフについては、たぶんこの治療になるのではないかと思って、以前からちょっと調べておいた。いろいろとリスクはあるかもしれないけれど、父本人が開頭はいやだと言っていたし、とにかく前に進まなきゃいけないので、頑張ってもらうしかない。これで治るのか、それとも単に症状が軽減するだけなのか、調べた中ではわからなかった。うまくいくことを祈るしかない。
東京に戻ってしまったので、しばらく父と会えない。しばらくぶりに会ったら、毎日顔を合わせている間には気付かないような症状の進行に気付いたりしそうで、こわいな。
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ここ読んでメールくれた人、電話くれた人、もちろんコメントくれた人も。本当に本当にありがとうございます、心強いです。みおっち(忘れてないよ!)、お母様はその後お元気なのでしょうか?