ベロニカ学習帳。

文京なんちゃらのなれの果て

#05

母が昼前には病院へ行くと言っていたので、病院で落ち合おうと思い、千葉へ。
正午を少し過ぎたぐらいに到着し、言われた病室まで行ってみるが、母はまだ来ていないようだった。父はパイポをくわえたまま眠っていた。
手持ちぶさたで病院をうろちょろして病室に戻ると、ちょうど母がきたところだった。私が覗き込んでも眠りこけていた父が、母が来たときは気配だけで目を覚ましたのを見て、なんだかすごく感慨深かった。
「何も見つからなかったんだって?」と声をかけると「そうなんだよなー」と笑う。父は普通にしてれば病人とは見えないくらい、とても元気だった。病院食はすべて完食したと自慢しているし、顔色も肌艶も良い。初めはもう完璧に死ぬ覚悟だった父だが、この状況になって生きる気力を取り戻した様子。何ごとも気持ちが一番大切だから、これは良い傾向だ。
コーヒーを飲みたいという父と、お昼を食べていない私と母。病院の食堂で少々遅めのランチ(父はコーヒーだけ)を摂ったあと、ちょうどお天気も良く暖かい日だったので、父を外に連れだして、少々散歩など。寝てばかりいると筋力落ちるし。しかし、外でまったりしすぎて、ナースセンターから呼び出しをくらってしまったよ……。
戻ると「先生が待ってますから」って、すぐに循環器科と消化器科の先生とお話。昨日は身体を見たとはいえ脳外科の先生の診断だったので、今日はちゃんと内科の先生が見てくれるというわけだ。
しかし、結局のところは癌、ましてや末期と思われるほど顕著な症状は見つからなかった。念のため、腹部の超音波と再度血液検査を行ったけれど、やっぱり異常なし。謎ばかりが深まるが、悪いところなんか少ないにこしたことないじゃーん、と慰める。一日も早い治療を希望する短気母は、「なんでこんなに検査ばっかりなの!?」と憤慨。でも、身体にあったら困るんだよ……。
父に夕食を食べさせて(食べること自体はもちろん自分でできるが、一応見ててあげる)から、ようやく帰宅。私も実家へ。母が夕飯を準備して、私が哲(犬)の散歩をする。哲はボスがいないせいか、非常に不遜な態度になっている。うんこ片付けてあげてる間、「遅い、なにやってんだ」と文句言ったりする。じゃあうんこすんな。
母はかなり疲弊しているように思う。てか、まだ現実が飲み込めてない感じ。つい5日前まで二人で普通に暮らしてたんだから、無理はないけど。
どげんかせんといかん、と流行語を使いながら悩む。