ベロニカ学習帳。

文京なんちゃらのなれの果て

2015の色々その3、同窓会やったことの4

そんなこんなでバタバタと、皆に会場変更の連絡をして、同窓会の準備を進めているうちに、あっという間に(つーか忙しすぎてあんま覚えてない)迎えた当日。
私は司会進行をやっていたので、ぶっちゃけ同級生の皆さんとそんなに会話する時間がなかったわけだが(二次会以降で多少交流できたけど)、歓談の時間にわざわざお礼を言いに来てくれる人が結構たくさんいたのは感激した。 あと、当日ドタキャンは普通にあると想定して予算を組んだけど、まさかのドタキャン0%で全員参加だったのには感激を通り越して驚愕したわ。
色っぽい話はないけど、小2のとき淡い初恋を覚えた相手は、たくさん喋った訳じゃないけど開催をとても感謝してくれて、後日も丁寧にメールで「本当に行ってよかった」と送ってくれた。ラブレターごっことか流行ったとき半分本気なキモいラブレター送ってごめん。いいひとだなあと思った。
中学時代に好きで好きで仕方なかった人は、会場にきてすぐに「ゴブサタしてます」と声をかけてくれたんだけど、三上博史似→武藤敬司似に進化してて、いや顔を見た瞬間その人であることはわかったけど「えー」って感じの反応を正直に顔にも言葉にも出してしまい、大変失礼いたしました。
後はまあ、広く浅くいろんな人と挨拶程度の会話を交わして思ったんだけど、同窓会を企画したくせに身も蓋もないことを言うけど私そんなに同級生に興味なかったことに気がついた()。
これ、あんまり楽しめなかったせいかな?とか、好きだった人が予想外の変貌を遂げていたからか?とか中学時代って難しい時期なのかも?(なぜか多くの人が小学校時代のあだ名で呼び合ってたし)とか色々原因を考えたけど、イマイチしっくりこない。
んで、なんか同窓会終わってから不安定な気持ちで過ごしていたのだが、昨日、残務として担任にもう一度会いに行って話をして、分かったわ。私、どうやら先生に会いたかったみたい。
受験直前に家が火事になり、先生には大変ご迷惑をかけたというか、おそらく他の生徒とはちょっと違うであろう、感謝というか申し訳なさというか複雑な感情を抱えてきた。にもかかわらず、私は25年も先生に音沙汰ないまま生きてきてしまい、それをずっと気にしていたのかもしれない。で、今更一人で会いに行くのが怖かったから、みんなを巻き込んだのだった。
そうまでしたくせに、チキンな私は同窓会当日も、先生には挨拶だけするのが精一杯で、会話をするのを避けてしまった阿呆である。なんか怖かったんだよー。
後日、本当はわざわざ会わなくても済む用事を、わざわざ会う言い訳を作って、先生に会いに行こうと思ったのも、自分でもなんでだか分かっていなかった。しかも、なぜ今になって。
ただ一つ言えるのは、先生と話をして完全にストンと落ちたということ。
先生は私たちのことをとてもよく憶えていたし、とてもよく理解していた。同窓会で私を見るなり「おまえさんは変わらんなあ」と先生は言ったけれど、それは見た目ではなく生きざまのことを言っていたことを知った。一目で今の私を見抜いてしまったのだ。完敗だ。
不惑を迎えて、私は今までの自分から脱皮したいと思っていた。でも今までの自分を冷静に把握できていなかった。先生が指摘した私の私らしさというのが、最大の長所でもあるけれど弱点でもあることは明らかで、私はそこんとこと戦わなきゃいけない。同窓会まとめのはずが、なせかその答えを先生に聞きに行ったという話にまとまってしまったよ。
何だかわからないけど、2015年にやらなきゃいけない禊だったのかも、と思うことにする。
これで同窓会の話は終わりなんだけど、もう少しだけつづく。