ベロニカ学習帳。

文京なんちゃらのなれの果て

2015の色々その3、同窓会やったことの1

私の2015を語る上で欠かせないであろう事件、それが中学の同窓会である。同窓会に行った話じゃなくて、同窓会を企画主催したという話。
中学時代から続いている友人4人以外とは全く交流がない、たとえば街で偶然会ってもたぶん声なんかかけない、向こうから声かけてきたらなんか喋るけど、連絡先聞いたりは絶対しない、と思う閉じている私である。てか実家も引っ越した今、そうそう偶然出会うこともないし。そんな境遇の私が、なぜ同窓会幹事なんかやることになったのか。
同窓会やりたいよね〜という話は、私たちの間では以前からあった。でも、「誰かやってくれないかなー」という気持ちでいた。同じ中学から同じ高校に進んだ男子のT氏は毎年学級委員をやっていたような子で、高校の同窓会で定期的(つっても5年に1度だよ)に会うので、そのたびに「中学の同窓会やってよ〜」と声をかけていたのだが、いっこうに立ち上がらねえ、という状態だった。
で、今年の4月。数少ない中学時代の友人M子とA子が我が家に集まった。
例によって同窓会やりたいよねーという話になり、T氏にやってほしいって頼んでるんだけどねーと言うと、「T氏よりあんたがやるほうが人が来るよ。私たちも一緒に幹事やるから!」と、まあ丸め込まれる形で、なんかいつの間にか幹事をやることになっていたのであった。
そこから11月の開催まで7ヶ月。一見、準備期間はたっぷりあるように見えるが、二人の子供を育てながら二足の草鞋の仕事をしてて、そのうち一足の草鞋がゴタゴタしていて、しかも子供の小学校受験を考えたりとかしている私にとって、時間はほとんど無いも同然だった。私もM子もA子も千葉をでているというところがまたネックで、会場の下見ひとつもスケジュール合わせてみんなで千葉まで行って…とやるので、本当に大変だ。
つーかね。私は故郷としては千葉を愛しているけど、千葉で一生暮らすとか全く想像も出来なかったのですが。幹事特権であとからわかったことだけど、同級生の半分は千葉市内に根を張って暮らしてたし、その残りのうちさらに半分も千葉県内に在住だったのよ。残った4分の1を、都内と関東近県、そして関東以外で三等分する感じ。幹事をやっていた私たち、アウェーすぎた。
本当、近場の人が仕切ってくれたら良かったのにと思うけど、それだとたぶん私が行方不明扱いで呼ばれなかった可能性も高く、結局、地元にいない人間のほうが実は同窓会をやりたいという気持ちが強くなるものなのかもしれぬ。
そんなんで、やっとこ日時と会場を決めたのは、幹事発足から4ヶ月も経った8月だった。
さて、日時と会場が決まったら、今度は同級生をそこに呼ぶわけであるが、現在の連絡先などまるでわからないので、とりあえず卒業アルバムの住所(どうでもよい情報だが、まだ千葉が政令指定都市になる前だった)に、往復はがきで同窓会の案内を送るという古典的な手段を試みることにした。
すごく長くなりそうなんで、続く。