ベロニカ学習帳。

文京なんちゃらのなれの果て

戌の日

五ヶ月で戌の日で日曜なので、みんなで安産祈願に行こう…と水天宮に向かったものの、さすがに朝からすごい行列。今日が雨でなかったら、もしくはPを連れていなかったら、縁起物だし並んでも良かったのだが、本格的に降りだした雨のなか2歳児を並ばせるのはなあーと思い、さくっと頭をきりかえてタクシーで神田明神へ。安産の神様ではないが、浮気せずいつもの神様がいいよ、うん。
まあ神田明神のほうは七五三が多くてこちらもそれなりに混雑はしていたが、入場制限もないし行列もないし。少し待たされたくらいで、祈祷は私ともうひとり(厄除けで来てた人)だけだったし、中に夫もPも入れたし、じっくり祝詞をあげてもらえたり、巫女さんの琴生演奏もあるし、最後にはご丁寧に「元気な赤ちゃんを生んでください」と声をかけられ、こっちに来て良かったと思えたよ。あの大混雑の水天宮では、そこまで望めないもの(Pのとき行ったので、どんな流れかはよく分かってる)。そんなこんなで無事安産祈願終了。
ところで、出掛ける前にPに「今日は神様にご挨拶に行くんだよ」と説明をすると、怪訝そうに「えー、おじいちゃんのこと?」と聞き返された。こっちが「えー」だよ。
私「おじいちゃんって、千葉のおじいちゃん?」P「うん」私「おじいちゃんって神様なの?」P「うん」…とのことで、父、なぜかPの中で神格化されていたの巻!!孫を抱くことはできなかったけど、神様だと思われててよかったねー父。
まあ「神様仏様」というくらいだから、そもそも両者は似たようなものなのかもしれない。でも、一度も会ったことのない父のことをPがきちんと認識している(存在だけでなく、写真とか見せるとちゃんと顔も分かっている)のは凄いと思うし、死の概念もまだない上に「神様仏様」という言い回しだって知らないはずのPがそれらを混同しているのも不思議。
オカルト的な話でスマンが、Pを妊娠したタイミングが父の死後まもなくということもあり、私は元々、Pは父の導きでうちに来てくれたような気がしている。よく胎内記憶サイトとかで、お空で順番を待っていたら神様のような人に「あそこのお母さんのところへ行きなさい」と言われて来た、みたいな話も見るので、もしかしたらPは私の腹の中に来る前に、そういう世界で父と会っているのかもしれない。まあ、そうであったらいいなという願望、というよりむしろ、 孫を抱かせてあげられなかったと思ってるのは現世にいる私たちだけだぜ〜と思えば少しは気が楽になるというかね。そんな話。