ベロニカ学習帳。

文京なんちゃらのなれの果て

未明から義母の容体が悪く、朝から親戚関係の人たちが次々訪れる。ほとんどは義父母の兄弟関係だ。いわば近い親戚。
で、朝から見てて思った。私は幸か不幸か、すでに親をなくす気分を知っているけれど、兄弟がなくなる気分はさっぱり想像できない。父も六人兄弟の末っ子だったので、なくなったときは伯父伯母が言葉にはしがたいショックを受けていたのがわかった。でも、ショックなのはわかっても気持ちを共有はできない。
考えてみると、私は弟たちとそれぞれの配偶者を含めても、兄弟の中で一番年上だ。だから、自分が最初に死ぬイメージが自然にある。それが、兄弟が死ぬことを想像できない理由なのだろう。
問題は、どうやら死は順番通りにやってくるとは限らないということ。私にとって父は自分より先に死ぬのが順当な人だった。予想より早すぎたからつらかったけれど、まあいつかは見送らなければいけないという覚悟はぼんやりあった。同じ死でも、父は伯父伯母にとっては先に死ぬべき人ではなかった。そういうことなのかなあ。
でもやっぱり弟たちを見送るイメージは湧かないわ。不思議と、夫を看取るイメージはできているのだが(私の方が年上なのに)。
そんなこんな、死について考えた暑い日でした。ちなみに義母はなんとか小康状態。