ベロニカ学習帳。

文京なんちゃらのなれの果て

いつまで花見するつもりなんだ

午前中に市ヶ谷で取材が終わって、バイト先に向かうのだが、まあ急がなくてもいいや天気いいしーと思って、ちょっと歩くことにした。もういいよ、私のことを花見のことしか考えてない浮かれポンチ、略して花ンチって呼んでいいよ。
市ヶ谷といえば靖国通りも桜きれいだし、外堀通りのほうも桜いっぱい咲いてるんだけど、お堀の南側で法政大学の前を通る遊歩道?(名称知らず)が散歩にベストだわー。

こんなとこでこんな時間に何やってるんだかわからないリーマン風味の人や、カメラ構えた人や、保母さんに連れられてきた子供たちやら、いろんな人がいたけれど、やっぱりここは学生さんたちが多い。でも、こんなところに大学があったら、とりあえず花見という流れになるのは当然だ。今となっては、どうせ私みたいな者は大学で何を勉強したって同じだったんだから、文芸創作だかなんだかにこだわらないで、立地で法政大学を選べば良かったなあと思うくらいだ。というのはちょっと言い過ぎたけれど、まあ学生が多い場所の空気は身体によい気がするよ。不健全さすら、健全。「こういうのじゃ仲良くなれないんだよねー」とか「出会いあると思う?」とか、ぬくもりまたは刺激を求めてやまない新歓期の男子大学生たち(花見場所取り中)の会話を小耳に挟んだりしつつ、心の中でニヤニヤしながら歩いた。私がぬくもりまたは刺激を求めてやまなかった大学生時代に、あの大学生たちはまだ鼻水たらした小童だったんだなあと思うと、感慨もひとしおです。がんばれ青春。

そしてこれですよ! 桜と菜の花と総武線。完璧すぎる組み合わせだよ。
普通に東京を走っているけれど、総武線は私にとって、故郷の電車。そして菜の花は故郷の花。ちなみに桜はすべての日本人の心の故郷に咲いてる花(と私は定義している)。まあそんなわけなんで、隣の県だけど、つい2日前に行ったけど、時には郷愁に身をゆだねて東に思いを馳せてもいいじゃない。
そしてやっぱり今日も「もうどうにでもなーれ☆」となる。