ベロニカ学習帳。

文京なんちゃらのなれの果て

葬儀周辺でいろいろあったメモ

●親戚が集まって話してたこと。昭和40年以降ぐらいに生まれた従兄弟や従兄弟の子供やら私ら姉弟も含めてみんなが「お下がり」として一度は着たことがあるという伝説の子供用コート。いろんな子供たちをめぐりめぐって、最初にそれを買った家の孫(平成生まれ)にまでしっかり着古された思い出の品だが、それがつい最近ネットオークションで売りとばされたという衝撃の事実。
●今まで自分の祖父母のしか見たことがなかったせいか、人間は骨になってしまうとすごく小さくなってしまうのだと思っていた。特に父は飲んでいた薬の副作用で骨がもうスカスカだという話だったし、あのデカい父(決して小さくない弟たちでさえ、父の身長を追い抜けなかった)が、小さくなってしまうことと想像して、私はとても悲しんでいた。しかし焼かれた父の姿を見て、私も弟たちもびっくり。思っていたよりずっと大きい。てか、骨壺に入りきらないんじゃないかと不安になるくらいだった。最終的にはなんとか入った、というか無理やり入れたけれど、骨壺ぎっしりで超重い。文字通り父の大きさを知ることとなった。
●父の古くからの友人というおじさんと犬の話をしていたら、「YouTubeにうちの犬の動画を上げてますので、ぜひ見てみてください」って言われて驚愕。イマドキの還暦はようつべもそんなふうに使いこなしているのかー!
●母の弟の娘(二人とも女子大生)が、私の夫のファンになってしまったらしく、「あんな人と結婚したーい」とか言うてるらしい。もう笑うしかない。似非さわやかジェントルマンって得だよねー。
●葬儀から帰ると、犬お待ちかね。父の入った骨壺のにおいをしきりに嗅いでいた。なんかわかるのかな。とりあえずすぐ散歩に連れてってあげると、なんかすごい我慢していたらしく、1回の散歩で5回もうんこしやがった。沢山出すのはいいんだけど、なんで小出しにするのさ?
●弟たちと子供の頃の思い出話を随分できた。母の料理がいつもメチャクチャだったのは皆共通の理解だが、一番下の弟などは高校時代にお弁当箱を開けたら、ごはんとリンゴだけが仕切りもなく詰められていたということがあったらしい(その頃もう私は家を出ていたから知らなかった)。帰宅して「なんだよあの弁当」と怒ったものの、母の反応が「リンゴ弁当ですが何か?」みたいな感じだったので、弟はなんかいろいろ諦めたらしい。よくグレなかったな。
●ただでさえ落ち込んでるときだというのに、10月に始めたばかりの仕事がクライアントの都合で12月になくなるって連絡が来た。大殺界もいよいよラストスパートってわけか……。
 ほかにもいろいろあった気がするけれど、とりあえずこんなところ。