ベロニカ学習帳。

文京なんちゃらのなれの果て

#1

不特定多数のかたが見るこの場所にプライベートすぎることを書くのはどうなんだろう、と思ったのだが。

この場所は私が人生の中で何かを学んだら書きとめようと思って用意した場所なのだし、ひょっとしたらここに書くことで何か良い情報を提供してくれる人もいるかもしれないし、そういったやり取りがネットアーカイブとして残れば誰かの役に立たないとは言い切れないし、なにしろ文章を書く勉強をしたいと私が言ったときに即大反対した母を説得してくれて私のやりたいようにやらせてくれた父に対して私ができることはやっぱり文章を書くことだけなので、できる限りの記録をしていこうと思い、書きます。

タイトルをつけるとすれば、『千葉○ートタワー〜両親と私と、ときどき弟ら(あとテツも)〜』ってかんじ? ……まわりくどいね、まあいいや。

12月1日、私は熱海1泊旅行を終え、自宅ではなく実家に帰りました。もともと両親に「新しくパソコンを買ったので設定してほしい」と言われており、幼なじみ(実家がすぐ近所)と一緒の旅行でみんなと帰れるっつうこともあるので、私としては特に不自然ではない流れで。

その日、父はいたって普通。もちろん、いつもの同じように私と両親は3人で晩酌。ただその際、母「今日、お父さんが車の運転をしてて、どうしても左に寄っちゃうから私が大騒ぎしたのよー」父「お母さんが『左! 左!』って騒ぐから、余計寄っちゃったんだよ」という会話アリ。また、母「この前、お父さんってば車庫の角(ちょっと柱が張っている)に頭ぶつけちゃってねー」父「そしたらテツ(愛犬)が心配そうに俺のこと見るんだよ……」という会話も。どちらも、「もうーお父さん疲れてるんじゃないのー」という程度の、どちらかといえば笑い話でしかなかった。

翌12月2日。私が新しいパソコンの設定をしているところに父がいろいろ質問してきたり、筆まめとグーグルアースだけは確実に入れとけなどと注文してきたり、これまたごくごく普通、だった。でも、プリンターの使い方を説明している間に「なんだか疲れたから休む、プリンターはお母さんに説明しといてくれ」と寝てしまい、その後、私が自宅に戻るといって家を出る際も、いつもは玄関まで見送る人なのに、ベッドに入って寝たまま「おう、じゃあまた年末」という感じだった。

今にして思えばそれらは前兆だったんだけど、還暦を目前とした父が多少ボケていても私なんかは「ああ歳をとったんだなー」としか思わない。

まあ、この時点で気づいたとしても遅かったんだけど。