ベロニカ学習帳。

文京なんちゃらのなれの果て

凍った蜜の月/横森理香(ISBN:4087476596)

(ひさしぶりにこのカテゴリー書く気がするよ。)
ずっと小説を読めなかった。ここ何ヶ月か、若い女性が書いた作品を何冊か囓るように開いては読むのをやめて開いては読むのをやめて、結局どれも最後まで読めなかった。だから、これはひさしぶりに最後まで読めた本。
なんでこれは最後まで読めたのだろうと考えたけれど、別にこれが他と比べて特別な名作だったわけでもないし、他のものが読むに堪えないような作品だったわけでもない(むしろ優れた作品だと思った記憶も)。たぶん理由はものすごく単純で、私のバイオリズムに合ったから、というそれだけのような気がする。バカっぽいことを言うようだけど、女性の書いたものを読むとき、私は自分のバイオリズムがひどく気になる。
で、これを読んでいたら、この前友人と「女性の第三次性徴」について話したのを思い出した。三十歳前後の女は成長期を迎えるんだよ、って話。まあ彼女が言っていたのは、肉体的な悲しい成長の話だったんだけど。
でもこれ、精神的にも思春期に似た状態に陥るきっかけになりそうな気がする。
「三十而立」って言うくらいだから、三十って年齢はなんにせよ今までやってきたことがようやく安定してくる年齢で。安定するって事は、一旦立ち止まって我に返ったりする余裕ができるわけで、その結果、自分はこれでいいのだろうか、とか、こうじゃない生き方も出来たんじゃないか、などと考えてみたりして。そんな折りに、肌の老化や体型の変化を目の当たりにするもんだから、まずい。精神的に不安になっても仕方ないし、最後にもうひと花と焦って変な恋愛に走ったり、人によっては転職とか、もっと思い切った人生改造計画を考えることもあるんじゃないだろうか。
さすがに十代の頃ほどバカじゃないし無茶もできないから、そんなに取りざたされるような大事はないかもしれないけど、三十代の女性は各所で密かにいろいろやらかしてそうな気がする。うん、まあ、そんな気がするだけです。
……という私の三十路考はおいといて、この作品集は「月」がモチーフの恋愛物語6篇入り。なるほど、恋愛もしくは女性の一生というのは、満ちたところでは決して終われない。月の満ち欠けと似ているんだなあ、と。そう納得させられるような作品たちでした。あとがきを読んで、ますますその思いは募り、私は大変な共感を覚えたのでございます。だもんで、ついかっとなって思わずバイオリズムなんて言った。今は反省している