ベロニカ学習帳。

文京なんちゃらのなれの果て

忘れないうちに書いておきたいこと。今日きいたお話。
「10年後の自分がどうなっているか?」を考えることが、どうやら30代から先の生き方を決めるらしい。言われてみて、確かにそうだなーと思う。そういえば今の会社に入るとき、私を推薦してくれた先生も、私に「10年後、どうなっていたい?」と聞いた。私は少し詳細をぼかしながらも、そのとき初めて他人にはっきりと希望を言ったと思う。そしたら、「それだったら、それまでここで働くことは、とても勉強になるはず」と言われた。それで、働くことを決めた。
20代(特に前半)のときは、10年後の自分なんて想像できなかった。30代でもかなり老化を感じることとか、30代になっても変わらないこともたくさんあるとか、そんなことすら知らなかった。10年後に結婚しているかどうかもわからなかったし、まさか子どもを生んでいるとも思っていなかった。かといって会社勤めしているだろうとも思えなかったし、まあ小説は書いていたいなとは思っていたかな。そんぐらい。
でも、おそらくぼちぼち人生後半戦に突入しますよ(もしくは、既にしてますよ)という30代半ばには、10年後がちょっとは見える。このままほうっておけばどうなるか、ほうっておかないならどうなりたいのか、なりたいようになるためにはどうすればいいのか。才覚のある人は10代20代のうちにとっくに気がついていることかもしれないけれど、私のようなボンクラは、今になってそんなことが、ようやく見えてきたのだ。
あ、あと今日言われたもうひとつのことは、女としての人生と、年齢や性別など関係ない単純な自分としての人生というのは、別物として考えなさいというアドバイスだった。じゃなきゃ、(特に女性は結婚や出産などが大きすぎて)人生イベントに振り回されたり、それらを言い訳に失敗するから、と。結婚や出産を諦めろということではなく、それはそれで全うし、自分の人生も全うするということ。それらは、一緒くたにしないで同時進行すべしということらしい。
子どもを生んでから焦り始めたのは、そういうことだったんだなと今になって思う。結婚するかしないかわからない、子どもを生むか生まないかわからないという状態のときは無限に可能性があるようでいて、かえってどんな未来もリアルじゃなかった。Pを生んだからこそ、やっと5年後10年後の人生がリアルに見えてきたのだ。妻であり母であるという状態がリアルになって、ようやくそれとは別個の自分という存在を考えることができたというか。ぶっちゃけ、なにもせずにいたらたぶん10年後の私は、子育てがちょっと落ち着いたぐらいで、後は変わらず夫に養われながら引き続き作家ワナビーであり続けるんだろうなと(肝っ玉母さんになっているだろうなとでも思えれば良かったのだが、そうではなかった)。で、たぶん死ぬまでただのワナビーで終わるんだろうなと。見えちゃったのよー悲しいことに。でも私は別にワナビーになりたかったわけじゃないし、それじゃあ人生まるっと不本意で終わってしまうなと思ったわけで。
いろいろ含めて今のところ、10年後の目標がちゃんと見えているつもりではある。だから必死だし楽しいよ。もちろん今後ともワナビーは続けると思うけど(結局!)。それもそれで、楽しいわけよ。