ベロニカ学習帳。

文京なんちゃらのなれの果て

今さらですが、香田証生さんについて。
いろいろとまあ皆さん思うところがあると思うので、別に私が言うほどのことは何もないのだけれど、ひとつだけ強く思ったのは、彼の名前について。証生という名の彼は、生きることで何かを証すことができなかった。なんて皮肉な名前をつけられたんだろうと思う。
けれど、いろいろな場面で私が頻繁に思うことのひとつに、願いを込めすぎている感のある名前を持つ人は、たいてい名前負けしてしまうということがある。これは皮肉でもなんでもなくどうやら私の知る範囲内ではとにかく本当によく当てはまることで、少なくとも平凡な名前の人間のほうが(平凡な範囲内ではあるものの)割と本人の納得できるような幸福の中に生きており、妙に力の入った名前の人は良くも悪くも人生が波瀾万丈になりやすい。苗字はあまり関係なく、ファーストネームのこと。
それは、姓名判断とかももちろんあるんだろうけれど、それよりもやっぱり「そういう名前をつけた親に育てられる」ことが人格形成に影響してるんだろうなあと。
ちなみに私は、親の「子供にはあまり意味のある名前をつけてはいけない」という方針の下、生まれた当時に流行っていたアイドルからそのまんまもらってつけられました。あまりにも適当な名前なので、それなりに幸せに生きています。
皆さんも、子供やペットの名前、また自身のハンドルネームなどを考える際には、慎重にお考えになることをおすすめします。特にハンドルネームな。一度浸透してしまったが最後、あとで「この名前はずかしい!」と気づいて撤回しても、いつまでも昔の名前で呼ばれますよ。まじで。