ベロニカ学習帳。

文京なんちゃらのなれの果て

思いの外ダメージをくらっていたんだなと、ようやく自分の状況を冷静に認識できるくらいになったので、書き留めておく。
今朝、前の会社の社長から携帯に着信があった。その名前を見た瞬間、自分で感情をコントロールできなくなるくらい、私はひどく動揺した。電話自体は、出る必要ないと考えているので出なかった。あとで確認したら、留守電の時間いっぱい雑音(ガサゴソいう音と、遠くに誰かの話し声)が入っていたから、むこうの操作ミスかなにかで電話が勝手にかけちゃったのかもしれない。そんな事故が起きるなら、もう私の番号の登録なんか消してほしい。でもそれをお願いすることはできないので、着信拒否の登録をした。
あの会社から解雇宣告をされたときにも少し書いたけど、社長からそれを言い渡されたときの話があまりに酷かったのが、この不快感の原因だ。私としては、この会社ブラックだなと思い始めていたこともあって、「辞めてもらいます」と言われれば「わかりました」で済む話だったのに。
今にして思うのは、おそらく解雇しなければならない(経営がうまくいっていない)という状況は彼女にとっても不本意で、だから彼女は自分を正当化しなければ収まらなかったのだろうなと。で、その結果、解雇宣告の際に私の人格まるごと批判みたいなことを、個室でサシで延々と繰り広げることになったわけだ。不幸中の幸いなのは、私の前後にも解雇された人が複数いて、その人たちもまったく同じことをされたのを知っていたおかげで、私はその人格批判をある程度は聞き流すことができたこと。でも、だからといって許すことはできなかった。
そりゃあ私にとってはPがなにより大切で、仕事はその次だったから、すべてを会社に注ぐほどではなかった。でも、勤務時間が短いからこそ誰よりも集中して効率的に多くの仕事を捌いてきた。休憩時間もお昼食べながら仕事の手は止めなかったし、家でもできる作業は極力持ち帰ってPを寝かしつけたあとにやっていた。年末年始だって仕事持ち帰って、義実家でこっそり作業してたくらいだ。単なるパートタイマーなのに、正社員で働いてた頃よりずっと仕事やってる感があったのは確かだ。無給部分が多くても、アロマに関われる仕事ができることを嬉しく思っていた。今思うとバカだけど、多少ブラックでも容認するしかなかったのも事実。それが36歳で新しい業界に足を踏み入れることだと思っていた。
まあでも自己満足なだけではなく、それなりに会社に貢献してきた自信はあったから、解雇宣告の際にそれらをひっくるめて全否定されたのは心の底から許せなかった。だから、復讐してやると考えたり、奴らを出し抜こうとするアイディアばかり練っていた。まあでも、結果的に復讐はやめた。関わり合いにならないことのほうが、自分にとって意味があるという結論に達したから。…と。心配してメールくださった方へのお返事を出せてないのもあったので、表明してみた。36歳を半分無駄にしちゃったけど、私は元気。
あとは、早くしっかりとした仕事を始めて、きれいさっぱり「ああ、そんなブラック企業と関わっちゃったこともあるわねー(遠い目)」と言えるように頑張ろう。ほんと、頑張ろう。