ベロニカ学習帳。

文京なんちゃらのなれの果て

基金訓練始まって、もうすぐ4週間。緊張で上げていたテンションが緩む頃だ。今日のコンサルテーション実習で組んだ人たちは、みんな主訴が「漠然とした疲れ」だったし。私も含めて。
いやーしかし、あれだ。クラスメイトとは、そもそも実技実習で物理的に裸の付き合いをして、コンサルテーション実習では精神的にもさらけ出しまくり、だから単にクラスメイトという意味で想像する以上の濃い関係ができつつある。大人になってから、人間関係において腹を割るのにはアルコールを利用してきた私にとって、これはしんどくもあるが新鮮。
ここでいろいろ垂れ流しておいてどの口が言うかって感じだけど、私は基本的に人に本音をさらけ出したくないタイプ。秘密を抱え込んでニヤニヤするのが好きなだけで閉じてるつもりはないけど、人の目からは何考えてるのか分かりにくいと思われたり、無難な優等生的キャラに見えたりするのも知ってる。それによる損も得もあったし、総じてそういう立ち位置でいることは気に入ってた。
けど、このまえ就職指導で(職業訓練なのでそういうのもある)、すごく丁寧に上手に経歴書を纏めてあるのに、なぜかあなたという人間が見えない的なことを指摘され。私が書く小説もよく同じようなことを言われるわけで。私の他人との関わりかたスタンスが、実は思いの外いろんなところに影響してて、得もあるけど今の私のやりたいことや今後の人生ではマイナスに作用することも大きいのではと気づいてしまった。だから何でも屋になっちゃうのかー、とも。自分が散々人生を迷っていた根本の原因って、これなんじゃないのか?
訓練が終わる頃には、たぶん他人との関わりかたに少しは変化があると思う。長年守ってきた生き方を変えるのはすこし怖いけど、セラピストになることよりも、ここで一皮剥けることが私の訓練になるのかもしれない。女36歳(まだ35だけど)、いよいよ剥けちゃう?む、む、剥いちゃうの?
そんなこんな、ドキドキの春でございます。