ベロニカ学習帳。

文京なんちゃらのなれの果て

あけましておめでとうございました。
Pが7歳になりました。おめでとう。
母となって丸7年。世の中の母というカテゴリからしたら、まだまだ中堅にもならない新米母なわけですが、7年も母親やってる自分ってなんか信じられないな。7年続いたことって、人生で片手に数えるくらいしかないと思う。そのくらいの時間。
先日、Pの小学校から、成人式で区歌を歌う子(有志)募集のお知らせがきたので、応募しました。というわけで、新成人さんとはまったく関係のない立場だったけれど、成人式に参加してきたのでした。
二十歳…! 二十歳だよあの子たち…!
若さに囲まれて困惑しかない。この新成人ちゃんたちが生まれた年に、踊る大捜査線シリーズが始まったんだってよ!(どうでもいい情報)
いやーしかしほんと二十歳。自分が二十歳のときって、結構もういっぱしのつもりだったけれど、新成人みんな子供なのよ。いや語弊があるので大人になったばかり、としておこう。大人初心者たちだよ。
最初は「えー二十歳ってこんなんだっけ」と思って見てたけど、だんだんと、自分もまあこの程度だったよと思い出しはじめて、ああ二十歳がもう遠いな…と。倍も生きてしまったんだから当然か。二十歳の実子がいてもおかしくない年齢だもんなー。
そんでももう、私の目線はもう完全に「親」で。Pがあと13年、Qがあと16年で、そのときもこの地に住んでいるかはわからないけれど、こんなふうに成人式にでるとき、どんな二十歳になってるのか。いろいろ想いを想いを馳せました。あんなふうになるかな、こんなふうにはなってほしくないな、まあこんなところかな、とかね。そんなことを考えながら、若さのオーラを浴びて楽しい一日でした。

2016おわる

オレオレ俺だよ文京だよ。はてダの書き方を忘れかけてるけど元気だよ。
今年はっていうか今年もいろいろありまして、でも今となって思うところはほとんどないのは、ただただ、ひた走っていたからなのだろう。すがすがしいほど思うことがない!
正直、こんなに忙しくした年ってないなと思う。41にして。40年何してたんだろうね...。もしこのくらいひたむきに走るということを、18のときにしていたら。22のときにしていたら。26のときにしていたら。そういう後悔は、ま、しないわけでもないけど、その当時は「必死」ではなくて「本気」になるってどういうことかわからなかったんだよね。いや、わかってるつもりだったし、頑張ってる気もしてたし、必死だったことはたくさんあるけど、違ったみたい。もう若さで乗りきれなくなったから本気になるしかないってのもあるかな。そんでもまだ、今だって100%で生きてるかっていうとちょっとわからんし、ただこれまでよりは頑張ってるのは確かだわ、ぐらいの感じ。
そんな2016でした。あなたはどう?

誰もいない。

別に、なんかすごい秘密を抱えてるとかじゃないんだけど、共通の友達とかいない、何のしがらみもない、けど私のことすごいわかってる人にダラダラ話を聞いてもらいたいなーとか思う今日この頃です。
そんな都合のいい人いるわけないわと思ったけど、かつてのテキストサイトはそういう場所だったのだな。ダラダラと一方的に書きたいことを書いて、私のことをよーく理解してくれる人が読みに来てくれるっていう。いやーもう読者さま最高。
このSNS時代はネット上で何言ったってリアルと紙一重でおそろしい。しかも、その貴重なテキストサイトの繋がりも結局はしがらみだらけになっちゃったわけですしね。
そうなっていったのは自分のせい。気付いたら、もう誰もいないのだ。

いやーマジかー

まだ全然終わってない感じがするのですが、熊本の地震で被災された皆様にお見舞い申し上げます。
あの一発目の震度7がきたまさにその日の夕方、私の携帯に一本の電話が入りました。見ると幼稚園の番号からの着信だ。入園したばかりの娘が早速何かやらかしたか、ぐらいの気持ちで出たら、電話の向こうの声はまさかの園長先生。
その瞬間、すべてを悟った。折しも保護者会の前々日。というか、以前から噂は聞いていたのだ。
「Qちゃんのクラス役員の代表をお願いしたいんですけど〜」
二人目三人目を入園させた、いわゆる園生活ベテランの母にそういう依頼があることは、さすがに疎い私でも3年間見てきたから知っていた。でも私かよ。確かにPを3年間通わせたけど、1年目はQが新生児で園行事も最低限しか行ってない、2年目は復職して忙しくて園行事どころではない、3年目は役員はやったけれどやはり仕事の関係で役員の仕事半分くらいしかやってない、この私かよ。マジかー
と思っていたら、それだけではなかった。
「さらに、○○会(いわゆるPTA)の幹部もやってほしいんですけど〜」
は?
である。全力で。
「Pくんの担任だったM先生も太鼓判を押してますし、前年度に幹部だったOさんからも信頼できる方ですと聞いてますよ〜」
えっ
ごめんちょっと理解できないです。
いやいやいやいやいやいやそれはさすがに無理じゃね?
幼稚園の役員ぐらいで何を大騒ぎしとるんかと思うかもしれませんが、この園は慣例で、クラス代表を務める人間は3年間変わらない。つまり卒園まで役員をやり続けなければならないという決まりがありまして。Pの謝恩会のとき、3年間つとめたクラス代表さんたちがいろんな格好に仮装してはステージに出て踊っていて本当にすごかったんだけどあれは自分にはできないわーと思ったのがまだ記憶に新しい。はっきり言うとかなり体育会系ノリだと私は見ている。
正直、この園にさせるかどうかも結構直前まで迷っていた私。結局同じ園に入れることにしたものの、上の子を卒園させた以上、役員代表になる可能性があるのは知っていたので、ヒラの役員でさえ今年はやらないでおこうと思っていた(今年やらなければ、3年間代表は免れる)。だのに、それをすっ飛ばして役員のクラス代表、のみならず組織幹部って。
即答で断ろうとしたのだが、「園長である私がこうして直々にお願いしているのに断るんですか?(意訳)」と言われ。いやちょっと待て冷静になろうよ。「とりあえず仕事のこともあるし家族にも相談したいので即答でお請けすることはできません、保留させてください」と電話を切ったあと、去年役員を一緒にやった卒園生ママさんたちに「どうしたらいい?」って聞いたら、「園長から直接そう言われて断った人っていままで見たことないよ」「つーか保留にしただけでもかなりの勇者」「まあ、がんばれ」「応援してる」「君ならできる!」と励ましの言葉しかもらえなかった。夫に相談したら「誰にでもそんなお声がかかるわけじゃないんだし、やってみたらいいじゃん」と超軽く言われ。年始に引いたおみくじを見直してみたら「今年は地盤作りのチャンス、好機を逃してはならぬ」みたいなことが書いてあり。何の地盤だよ。
実のところ一番の懸念は、断ってこれから卒園までの長い3年間ずっと針のムシロになるのもやだし(私はともかく娘が何か変な立場になったら嫌だ)、ああもうわかったよやるよやればいいんだろ!と、結局のところやけくそで引き受けることにしたわけである。
せっかく会社をやめてハーブティー売りに専念し、最近なかなか良い感じになってきたところなのになー。たぶん私は常に二足のワラジを履いて歩いていく運命にあるに違いない。まあでも確かに地盤というか、地元(小学校だと町内に限定されてしまうが、娘の幼稚園は結構広いところから園児を集めている)に今まで以上に知り合いができるのは悪いことではないかもしれない。きっと自分にとってのメリットは大きいはずと信じ、とにかく顔を売ろうと思います、はい。
しかし、未だに「なんで私が…」という気持ちは消えない。3年後もそう思ってそうだ。
あ、そうなんです、Pは無事1年生に、Qは幼稚園生になりました。(ついでかよ)

小学校受験のはなし

3月も半ばになって、今年初の更新です。いつの間にかPは6歳になり、Qも今週3歳になり、入学と入園というイベントが重なる春です。(同窓会の話の続きが書きたかったのだけれど、ありていに言うと同級生の訃報だったのだけれど、まだちょっと自分の中で整理できないので、それはもう少ししたら。)
入学入園が重なるちょっとした節目なので、小学校受験のことを書こうと思いました。
Pは一次抽選で早々に外れてしまったし、その一校以外はハナから受けさせる気もなかったんですが、同じマンションの子で赤ちゃんのときからたまに一緒に遊んでいて、三年間一緒に同じ幼稚園へ通ったAちゃんが茗荷谷三校を受けて、いわゆる最難関といわれる小学校に合格しました!他人事だけど嬉しい。
Pの行っている幼稚園は受験園とも言われていて(実際受ける人は半分くらいかな)、そこそこ教育熱心な親御さんが多く、子供たちもそれなりに「できる子」が多い。そんな中、合格したAちゃんは突出して出来る子というわけではなかったので、園ママからは「意外だよね〜」と軽く悪口っぽさが見え隠れする噂話も聞くけれど、私は「Aちゃん頑張ってたからね〜」と、ちょっとうざいフォローをしてしまう。だって本当頑張ってたもの。
周りを見ていて感じたのは、小受で勝つのに一番大事なのは結局「絶対に受かる」という気持ちなんだなとよく分かった。Aちゃんのお母さんは、地元公立小に行かせたくないという気持ちがとても強かった。うちはもちろん学区的に同じ公立小に行くことになるわけだけど、正直いろいろな要素を考えるとこの学校もいいなという気持ちがあった。なんだかんだいっても私は、公立中学から都立高校に行ってほしいなとか思ってたりする(経済的に楽なのもあるけど、自分自身がそのコースを歩んで大変良かったと思うから)(でも夫は中高一貫の私立に行ってたので、考え方が異なるかも)。結局その本気度が、対策における差として現れる。想いの強さは、抽選というクジ運さえも動かす、気がするよ。
これから受験を考える人たちの参考になりそうでならない話でした。

2015の色々その3、同窓会やったことの4

そんなこんなでバタバタと、皆に会場変更の連絡をして、同窓会の準備を進めているうちに、あっという間に(つーか忙しすぎてあんま覚えてない)迎えた当日。
私は司会進行をやっていたので、ぶっちゃけ同級生の皆さんとそんなに会話する時間がなかったわけだが(二次会以降で多少交流できたけど)、歓談の時間にわざわざお礼を言いに来てくれる人が結構たくさんいたのは感激した。 あと、当日ドタキャンは普通にあると想定して予算を組んだけど、まさかのドタキャン0%で全員参加だったのには感激を通り越して驚愕したわ。
色っぽい話はないけど、小2のとき淡い初恋を覚えた相手は、たくさん喋った訳じゃないけど開催をとても感謝してくれて、後日も丁寧にメールで「本当に行ってよかった」と送ってくれた。ラブレターごっことか流行ったとき半分本気なキモいラブレター送ってごめん。いいひとだなあと思った。
中学時代に好きで好きで仕方なかった人は、会場にきてすぐに「ゴブサタしてます」と声をかけてくれたんだけど、三上博史似→武藤敬司似に進化してて、いや顔を見た瞬間その人であることはわかったけど「えー」って感じの反応を正直に顔にも言葉にも出してしまい、大変失礼いたしました。
後はまあ、広く浅くいろんな人と挨拶程度の会話を交わして思ったんだけど、同窓会を企画したくせに身も蓋もないことを言うけど私そんなに同級生に興味なかったことに気がついた()。
これ、あんまり楽しめなかったせいかな?とか、好きだった人が予想外の変貌を遂げていたからか?とか中学時代って難しい時期なのかも?(なぜか多くの人が小学校時代のあだ名で呼び合ってたし)とか色々原因を考えたけど、イマイチしっくりこない。
んで、なんか同窓会終わってから不安定な気持ちで過ごしていたのだが、昨日、残務として担任にもう一度会いに行って話をして、分かったわ。私、どうやら先生に会いたかったみたい。
受験直前に家が火事になり、先生には大変ご迷惑をかけたというか、おそらく他の生徒とはちょっと違うであろう、感謝というか申し訳なさというか複雑な感情を抱えてきた。にもかかわらず、私は25年も先生に音沙汰ないまま生きてきてしまい、それをずっと気にしていたのかもしれない。で、今更一人で会いに行くのが怖かったから、みんなを巻き込んだのだった。
そうまでしたくせに、チキンな私は同窓会当日も、先生には挨拶だけするのが精一杯で、会話をするのを避けてしまった阿呆である。なんか怖かったんだよー。
後日、本当はわざわざ会わなくても済む用事を、わざわざ会う言い訳を作って、先生に会いに行こうと思ったのも、自分でもなんでだか分かっていなかった。しかも、なぜ今になって。
ただ一つ言えるのは、先生と話をして完全にストンと落ちたということ。
先生は私たちのことをとてもよく憶えていたし、とてもよく理解していた。同窓会で私を見るなり「おまえさんは変わらんなあ」と先生は言ったけれど、それは見た目ではなく生きざまのことを言っていたことを知った。一目で今の私を見抜いてしまったのだ。完敗だ。
不惑を迎えて、私は今までの自分から脱皮したいと思っていた。でも今までの自分を冷静に把握できていなかった。先生が指摘した私の私らしさというのが、最大の長所でもあるけれど弱点でもあることは明らかで、私はそこんとこと戦わなきゃいけない。同窓会まとめのはずが、なせかその答えを先生に聞きに行ったという話にまとまってしまったよ。
何だかわからないけど、2015年にやらなきゃいけない禊だったのかも、と思うことにする。
これで同窓会の話は終わりなんだけど、もう少しだけつづく。

2015の色々その3、同窓会やったことの3

具体的にいうと多くても70人くらいかな、というか50人集まればいいほうかも…と想定していた同窓会、いざ出欠の返事を締め切ったら、100人近い出席表明だった。1次会として設定していた会場は、多くても80人くらいまでと言われていた(一応、人数が多くなってキャンセルする可能性はあるかも、まあないと思うけどねーという感じで押さえていたのだが)。で、開催一ヶ月前になって会場を変更しなければならなくなった…!
例によって、千葉にいない私とM子とA子が幹事なので…正直、いい会場とかわからなーい。しかも私がどうしても千葉まで出向く時間がなく、下見は二人に頼んでもう破れかぶれでキャパだけは満足(それ以外はイマイチ…)な店を仮押さえしておきつつ、幹事6人になってからの初打ち合わせを迎えた。
打ち合わせの連絡をしても、当日まで返事が来ないジャイアン…。当日になって「顔は出します」と曖昧な返事だけ来たけど、集合時間になっても来ない。仕方なく5人で話を進めてると…30分くらいして、「場所わかんなかったわ」と現れたジャイアンであった。
ジャイアンは「まあとりあえず皆もっと飲めよー」と人に飲ませ、M子に異様に絡み、私たちが押さえた会場を「あー、あそこ最悪」と切り捨て、さすがのジャイアニズムである。しかし、「出席何人?100人キャパね。良い店あるよ」「今からでもいけるっしょ、オーナー知り合いだし」「ちなみに二次会に良い店もあるから連絡してみるわ」と、その場で先方(店長でなくオーナー)に電話して、速攻場所を押さえてくれたのであった。しかも「○日に会場の下見に行くからおまえら必ず来いよ」って、仕切りもジャイアン風。そして「俺、これからまだ仕事だよ。仮装して○○のイベントに出なきゃ行けないんだ(ちょーどハロウィンシーズンだった)」と言って帰っていった。嵐のような男であったが、会場の件ではほんと彼がいなかったらしょーもない同窓会になってたに違いない。
ちなみにジャイアンは「誰か今日の内容を議事録にまとめてFacebookにあげとけよ」との命令も残していったのだが、東大卒で大手企業に勤めるエリート会社員のT氏が、とりとめもない私たちの打ち合わせ内容を要点だけ完璧にうまく拾い上げてすばらしくまとめた議事録を常に打ち合わせ当日に(どんなに酔って帰っても必ずその日のうちに)うpしてくれて、とても助かったのであった。おまえリアル出来杉くんかよ。
そんなこんなで、同窓会当日に向けて私たちは急ピッチで動き出したのであった。まだまだつづく。